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【職場改善note有料マガジン】No.0010・・・虚像は常に実像よりも大きく映り、そしてぼやけて見える。

【1】虚像とは何か。

※ある人や物の本当の姿とは異なる、他によってつくられたイメージ。(大辞林第三版より)

 ここでは物体が反射する光の屈折によって映し出された像・・・などという意味での虚像ではありません。 人には、「表の顔と裏の顔」があると言われますが、一体これは何のことでしょう。 そして、そのどちらが虚像なのでしょう。 ここに日本という国には「本音と建て前」という文化がありますね。 そして確かに、それでも日本経済は息も絶え絶えの状況が長期化したもののなんとか財政破綻せずにやってこれましたが、まさに、現在の日本財政は「虚像」として世界各国に映っていることでしょう。 いえ、もう10年も20年も前からそのように映ってきたはずです。 1997年から日本経済は減速し、成長率がどんどん下がり、長きに亘って低迷してきました。

 この国に住む国民は、日本の今と将来をどのように捉えているのでしょう。 安倍政権下において確かに景気回復を見せはしましたが、国民感情として言えば、政治家やメディアが伝えてきたその景気回復は、国民が実感出来るほどのものではなかったでしょう。 なぜならば、日本経済そのものが虚像だからです。 先日、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが、今年の10月に実施される日本の消費税増税について「自傷行為だ」と批判的な声明を発表しました。 その理由として、日本経済指標が低調な上、米中貿易摩擦などにより世界的に経済が鈍化し、同時に、8年目に突入したアベノミクスの政策は現実的には矛盾に陥っているため、増税による設備投資拡大や生産性向上が期待するほど進行しないと予測したためです。

 今、この日本は、年金、保険、福祉、などといった社会福祉関連に対して莫大な税金を必要としています。 日本経済が縮小傾向にある中でこうした流れに傾きつつあるというのは、国政にかかっている負担がどれほど重いものかを示しています。 それを増税で賄おうとしているのは、ほとんどお手上げ状態といっても過言ではないとボクは思います。 この流れは、ヘタすると向こう40年以上に亘って続くことが懸念されており、増税は加速的に繰り返されていくものと考えられます。 どこかのタイミングで日本は財政破綻を余儀なくされるのも時間の問題だと言わざるを得ません。 安倍首相が政権を他の誰かに託すにしても代わりがいません。 ともすれば、その時点で財政破綻は現実味を帯びることになるでしょう。

【2】この国、日本は世界各国に対して虚像として映っている。

 国政が虚像なのだから、この国で暮らす国民の多くは虚像の中で生活しているわけです。 今年度の国家予算が100兆円を超えるなど、誰が想像できたでしょう。 端末がほとんど全国民にばら撒かれて以来、情報化社会は加速的に進みはしたものの、真偽定かではない情報が簡単に人々が手に持つ端末に飛び込んできます。 大まかに近い将来どうなっていくかは予測できたとしても、実のところいつどうなってもおかしくない不確定要素を多分に含んでいるのが現代の日本経済であり、世界経済でもあると感じます。 虚像の国に住む国民のうち、その事実をひしひしと感じている人々もおられるでしょう。

 大変な事態に陥ったとして、国のせいにしたり、会社のせいにしたり、人のせいにしたりしても、結局のところ誰が助けてくれるわけではありません。 むしろ、有事の際には裏切られたり奪われたりすることだって想定しておかなくてはなりません。 ぬるま湯に浸かっている場合ではありませんよね。 普段から外面ばかり気にして自分を虚像にして周りに見せていると、誰かの、何かのせいにしたくなるのかもしれないですね。 そういう人間こそ簡単に人を裏切るのですよね。 困ったものです。 それまで馴れ合いで保たれた人間関係も、簡単に血肉の争いをするようになるのです。

【3】馴れ合い・・・ですか。

 そうですね、馴れ合いの人間関係も虚像だと言えますね。 交わす言葉全てが屈折して映ります。 その光景を見ているとボクは違和感しか感じられません。 血の通わない言葉のやり取りに自分も交ざろうとは思いません。 これまでずっとそんな馴れ合いの関係性にはヘドが出そうな思いでしたがしかし! 虚像だと言った馴れ合いの人間関係も、扱い方次第で実像に近付けていくことができるかもしれないと思い始めているのです。 虚像は虚像ですが、屈折しているその光の反射を、真っ直ぐにすることができれば、等身大の実像を映し出すことができます。

 どこで屈折しているのか、誰が光の行方を屈折させているのか、それを明らかにすることこそが実像を見つめるためには必要なのだと思うわけです。 国家も会社組織も学校も家庭も、そこに属す人々が周りの人たちに自分の虚像を映し出しているのだとすれば、虚像同士仲良くしているというような光景に映ることでしょう。 これが馴れ合い集団の実態であるとも言えるでしょう。 ダメなこともみんなでグルになって有耶無耶にすれば、ウソも本当だと思い込むことができます。 なんて素晴らしい環境なのでしょうか。 ですが、そのような環境はいずれバランスを崩し、虚像を投影し続けることができなくなります。

 ボクたちが明らかにしなければならないのは、物事がどこで誰によって屈折させられているのか、何が原因で事が歪曲しているのか、そのポイントを明確にしなければなりません。 「本当にこのままでいいのか」と、これを真剣になって考えなければなりません。 このままで良くないのであれば、虚像の実態を明らかにしなければなりません。 これからの時代、企業内部不正は社会全体から徹底的に叩かれることになります。 向こう側を見えにくくしている磨りガラスは、それに届いた光を屈折させ、本来ハッキリと見えるはずのことを見せようとしません。 ならば、ボクたちはその磨りガラスを叩き割らなければならないのです。 「誰ですか!こんなところに磨りガラスを設置したのは!バリィィィィィン!!」と。

【4】イエスマンの末路は・・・?

 自分のことを盛りに盛って隠して偽って他者と関わるのは、保身の気持ちがあるからできることであって、保身の気持ちを捨てれば、自分のことを盛る必要も隠す必要も偽る必要もなくなります。 職場がスタミナを失いつつある今だからこそ、本音で戦いませんか。 小手先だけの改善活動では職場は良くなりません。 そのことがわかっているのであれば、認識を改め、変革を起こしませんか。 まず、自分自身の変革を。 このままでは、職場全体が不幸に陥ることになります。 イエスマンとして働くことは簡単です。 言われたことを言われたとおりにやっていれば楽でしょうね。 でも、そういう仕事人生を生きていこうと思っているのだとすれば、いざ大変な事態が起きてしまった時には真っ先に切り捨てられることになります。

 イエスマンは責任を擦り付けられても「はい、わかりました」としか言えないのです。 それのどこが幸せな仕事人生なのでしょうか。 ですが、だからと言って、むやみやたらに逆らえばいいというものでもありません。 ボクたちには「言葉」があるじゃないですか。 それを「本音」で発言・発信すればいいじゃないですか。 場の空気ばかり気にして本音を言わず、当たり障りないように振る舞うような人間は、簡単にウソを吐きます。 長年周りの人たちの顔色ばかりを窺ってうまいこと渡り歩いてこれたと思っていても虚像としてしか映らないのです。 そのような働き方をしていれば、信用されることはなく、仮に責任ある仕事を任されたとしても、期待などされません。 失敗した場合には、その責任を負わされることになるだけです。

【5】たまにウソも言うけれど本音も言える人間になりなさい。人はいつからでも「天才に限りなく近い賢明さ」を手に入れることができる。

 周りの人たちと同じように、周りの人たちに合わせていれば大丈夫だと思い込むのは危険だということを深く認識して自分の仕事と向き合ってください。 正義が全てとは言いません。 黒であるものを全て白に塗り変えようと思えば、必ずリスクが付き纏います。 うまいことやろうと思うのであれば、馴れ合うのではなく、小出しに本音で人と向き合い、小出しに本音をぶつけるのです。 つまり、「たまにウソも言うけれど本音も言える人間を演じればいい」のです。 そういう意味では、「愛嬌のある人間」が最も賢い判断をするのかもしれませんね?

 言葉というツールを武器として仕事に活かせるようになりましょう。 それさえできれば、ウソも本音もタイミングよく言うこともできるようになるでしょう。 矛盾を指摘されたとしても、言葉によって相手を納得させることだってできるのです。 ウソも方便と言われる所以は、言わばこういうことなのではないかとボクは思います。 決してウソが悪ということではありません。 同じく馴れ合いも、時と場合によっては非常に強い協力者を獲得することが可能だということです。 わかりやすく言えば、「1+1は2」ですが、そこに「1を足せば3」になりますし、「5をかければ10」になる、ということです。

 人はいつからでも「天才に限りなく近い賢明さ」を手に入れることができます。 ですから、学びを止めないでください。 学びを止めさえしなければ、いつどんな状況下であっても活路を見出すことができます。 しかし、学びを止めてしまった瞬間から、選択肢は断念や諦めや妥協くらいしか残りません。 自分の虚像を投影することばかりに必死になっている人というのは思っている以上に多いものです。 それを見抜けるようになってしまえば、心通わぬ人間関係か否かも判別することができるようになります。 そうなれば、無理に心通わぬ人間関係を保つ必要はなく、心の通う人間関係を大事にすればいいことに必ず気付かされるはずです。

 それを望んだが故に独りになったとしても、いずれ心通う人間関係というのは不思議とできていくものですから、ご安心ください。 孤独力の強い人間はそのことをよく理解しています。 虚像ではなく、実像で生きてください。 仕事上の政治は上の人間たちに任せて、あなたはあなたの仕事を真剣に、そして楽しくやってください。 楽しまなければ損ですよ。 仕事が楽しいと思えるようになれば、実像であるあなた自身が、自分の魂を喜ばせてあげることができます。 それをどうか実現してください。

※ふー、たった4000文字の文章でも、良い表現ができた(ような気がするw)。 あまりに眠すぎて今夜はこれしか書けなかったことは、本当に申し訳なく思っている。(ウソだけどw) じゃ、またね✋・∀・)

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