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◆国境線を引き始めた時点で戦争は不可避/世界総人口増えすぎ問題/平和って本当に良いことなの?

 日本国内では長期景気低迷と少子高齢化から年々人口が減少傾向にあることが問題だと騒がれ続けているけれども、人口動態そのものは景気と連動するものだから、政策一つでこれを人為的にコントロールしようとすると、それはそれでまた別の問題を誘発することになるのではないかと私は思う。

 戦争やら紛争やらあちこちで起きてしまうのには相応に条件を満たすプロセスがあって、どんなに綺麗事を並べたところで、戦争を起こしたり長引かせたりする軍事的な戦略により犠牲を払ってでも国益を優先するといった政治的な思想があるため、そもそも防ぎようがないものだというのが現実的な解釈。

 メキシコ周辺の中米諸国からアメリカ合衆国へ不法に入国しようとする移民が年間10万人以上も訪れるらしく、トランプ前大統領政権下で建立された国境の壁は建設途中のところから移民たちがなだれ込んでくるのが現状らしい。

 母国を離れ稼ぎに行こうとするほど何ともならなくなった人たちがこんなにいるなんて、と驚かされる。陸続きの国々ではよくあることなんだろうか。島国である日本ではそうもいかない。他国に亡命するほど劣化しているわけではないけれども、今後数年間でまた国内情勢が変化を見せていくことを考えると、他人ごとではないなと思わされる。

 世界人口が増えすぎることで、環境問題はもちろんのこと、食糧危機もリスクを増すだろうし、世界経済恐慌が深刻化すれば戦争や紛争、国内クーデーターなんてことも起こりやすくなるわけで、日本も例外ではないのだということを年々肌で感じ始めている。

 ふとね、平和を訴えたり、平等を叫んだりすることの本質的な意味について考えることがある。自分という人間が社会において平等に扱われて平和な日々を過ごすことができる状態はきっと誰もが望むことだとは思うんだけど、実際そうではない、そうは感じていないという現実があって、どう頑張ってもいつまで経っても解決に至らない平和と平等の問題は、いよいよ解決不可能なものなんだと認識するほうがいいような気がしてならないのよね。

 平和な時期があって平和ではない時期がある。平等に扱われることがあって差別的に扱われることがある。それが社会のもつ本来の性質で、完全にどちらかに偏ることがないのもまた特徴の一つだろうと思う。

 「平和がいいに決まっている」「別に誰かを差別したいなんて思っていない」と思っている人たちでさえも、実際のところ広すぎるこの世界のすべての住人が強いられている略奪・搾取・暴力・差別などを防ぐ方法を誰一人として持っていない。これこそがまさに理想と現実のギャップであり、ジレンマを生む根源なのだと言える。

 じゃあね?どこかの誰かの代わりに自分が犠牲になれるかというと、もはやそういう話でもなくて、みんな自分が大事で、極力争いごとやも揉めごとは避けて通りたいのが心情だし、自分の周りの大切な人たちをそういう辛い目には合わせたくないというのも人として正常な感情だろうと思う。

 ところが、近年では、国内で起きている殺傷事件のおよそ半数が家庭内のものらしい統計が発表されていて、治安がどうのこうのということよりも、家族とか愛情とかいうことを含む人生観が歪んでしまうほど、社会構造の脆弱性が高まってきているということが読み取れる。

 日本の離婚率1.69%(3組に1組の割合で離婚する計算)と言われているけれども、この数字は間違いなく昭和時代の理想が生み出した現代におけるギャップ値だとわかる。

 結婚して子を授かってみたら、想像を絶するほどの苦痛が待ち受けていて、耐えきれずに離婚をする・・・そういう大人たちがたくさんいるということは、その影響を直に受ける子供たちもその数以上にいるわけで、その子供たちが大人になった時に体感する結婚や子育てはもっと環境が悪化していた、というのが現状。

 国の政策でどうにかできる問題だとは到底思えない。仮に、西村ひろゆき氏が提言している「子供を産んだら一人につき1000万円給付案」で出生率が一時的に上昇したとしても、産まれた子供たちが大人になった時に十分な公的補助が受けられるかどうかはまた別の話であって、こういう政策に乗っかって子供を授かることが本当にその子のためになるかというと甚だ疑わしい限り。

 景気低迷と人口減少、この流れには向こう20年くらいは逆らわずにやっていったほうが無難ではないかと私は思う。今から20年もすると国内人口は1億人を優に割り込んでいるような状況になっているため、その時々で状況に合った政策を都度打ち出していくほうがまだマシではないだろうか。

 今の国内情勢や政府のあれこれを見ていると、世論に流され過ぎて答えを求めすぎているようであり、実際にはこれといった妙案もなく何もしていない状態が続いているようでもある、非常に曖昧な状態がのらりくらいと長引いている。本当は政府もこのまま2050年頃までやり過ごす気でいるのかもしれない。もし仮にそうだとしても世論に向けては言えないことだとは思う。

 民主主義と言いつつも、本当はみんな今の自分の状況を少しでも良くしてもらいたいだろうし、誰だって損はしたくなくてちょっとでも得できるような選択があるならそっちを選びたいっていうのが本音でしょう。だから奪い合いが起きているわけで、タクシー代を払わずに逃げたり、確信犯で食い逃げしたり、人を騙して金銭を搾取したりってことが実際に増えている。

 寝屋川市の市議会女性議員が詐欺事件で数回逮捕されているのは周知の事実だけど、公職に就いている人たちがこんなことをし出すような有様が今で、これからもっとひどいことになりそうな気しかしない。街頭演説している時の様子を見る限りは、感触の良いことしか言っていないのに裏では詐欺行為をしていたってなると、「魔が差してやっちゃいましたごめんちゃい♬」では済まされない。

 複数人のグループで計画的に実行された詐欺事件というところも考えると、かなり重い量刑が課されることになるんだろうね。

 どうせ今のような景気低迷期が長引くのであれば、我欲に走っても良いことないよね。そういう認識さえできていれば、求めることをしないってだけで精神的にもラクに維持できるのに、走っちゃう人たちが後を絶たないんだよね。

 「自分はもっと恵まれるべきだ」なんて思い込んでしまったら、目に映るもの、耳に聞こえること、全てに対して不満を抱くことになりそう。

 国民の税金で食いつないでいる公職人たちが掲げられている大義を無視して我欲に走る様は、人によっては国賊呼ばわりするくらい、そういうふうにしか映らなくなってしまうんだよね。

 国境線を引いてしまったことがすべての元凶だと私は思う。それ以外に理由はない。もっと言うと、人間が調子に乗り過ぎて起きていることがすべて。誰が掲げる正義もその後ろについてくる人たちにとっての正義であって、敵対する相手側の掲げる正義とは対立するわけで、こっちは善で向こうは悪というポジションを取らざるを得なくなる、非常に単純で滑稽な生き物だと思うけどね。

 挙句の果てには、競争は社会における原理原則で強い者が正義だなんて公言している人たちは本当に危ない。こういう思想を持つ人たちが国政に関わると、社会は独裁者と奴隷の構図になりやすいんじゃないかね?すでにそうなっているようにも見えるけどね。

 「働く」ということがまさにそう。正規、非正規で二分されて、それに留まらずどちらにおいてもヒエラルキー化されてるでしょ。その時点で雇われの身の労働者たちはみんな低所得の奴隷みたいなもの。真面目に働いている人たちほど業務上の負担は増加していくのに給料が上がらないことに絶望している。

 給料が上がらないだけならまだ良いかもしれない。仕事に対するモチベが低い従業員の集まりみたいな職場ではいろんな問題が起こっている。本来感じる必要のない精神的ストレスを現代社会では余計にまき散らしている。

 30年前は30年前でその当時の社会的な問題はあったんだろうけれども、時代が変わって現在では現在特有の問題が散在してしまっていて、それらを整理する余裕もなくなってしまっているような状況。職場環境が悪化しているところのほうが今は多いんじゃないかね。

 中途半端に昭和末期から平成にかけてなんとなくやってこれたことを平和と呼んでいいのかはわからないけれども、令和に入って確実にその平和が終止符を打ったことを誰もが感じているよね。その上でのコロナ感染拡大。泣きっ面に蜂。

 いつどうなってもおかしくはないってのは頭ではわかっていても、実際なってみると、あまりに物事がうまくいかなくて面倒でやることが多くなっただけで、旨味というかコスパが急激に低下したせいでモチベも何もないような虚無に陥ってしまっている人たちは少なくはないと思う。労働のコスパは当分上がらないよね。

 絶望しかない未来に、乾杯☆

※画像はみんなのフォトギャラリーに出品しておきますので、是非ご自身のテーマに合う場合はご利用ください☆

検索ワード:note イメージクリエイションラボ 惑星 国境

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