【職場改善note有料マガジン】No.0005・・・篩いにかける、社会の仕組みは今も昔も変わらない。人も会社組織もそういう社会の枠組みの中で変化し続けてきたが、これからは・・・?!
【1】学歴という篩いはもう古い
日本国内の企業組織が人材を篩いにかける方法を変えることになったのは、先進国において顕著に表れた社会現象がその最大の発端である。 そのことを簡潔に説明しているWikipediaから一部抜粋したのが以下の説明分だ。
【学歴のインフレ化】
先進国においては、社会の高学歴化が起きたが、そうした仕組みの中で、大量の人々に学歴が与えられるようになり、学歴のインフレーションが進んだ。 つまり高学歴を持っている人の数が非常に増え、相対的に高学歴者の価値は下がった。(Wikipedia「学歴」より)
日本国内においてだけでなく、諸先進国において同様の社会現象が起きてしまい、所謂「大学卒業者」や「大学院卒業者」の割合が爆発的に増加したことにより、例え高学歴の人材であっても一流企業と呼ばれる会社組織への就職が困難になってきたのだ。 また、大企業がどんどん誕生してきたという背景もあるが、実のところ高学歴であっても実際に就職してみると、能力や資質は企業が求めているレベルとのギャップを生むことにもなり、学歴重視型の人事採用は企業にとっても社会全体にとっても病理として認知されるようになってきた。
【2018年問題】
日本の18歳の人口が2018年頃から減り始め、大学進学者が減っていくこと。日本の18歳人口は、1992年の205万人から2009年の121万人へと激減したが、この時期、大学進学率が27%から50%に伸びたため、進学者は逆に増加した。09年以降の18歳人口は、ほぼ横ばいの状態が17年頃まで続くが、推計では18年以降減少に転じ、31年には104万人まで減る。(コトバンク「2018年問題」より)
もう一つの背景としては「2018年問題」だ。 単純に少子化の波が毎年の進学率にダイレクトに影響を及ぼしたことにより、定員割れの大学が次々と出てきてしまい、大学経営のために門戸を広く構えざるを得なくなったために、偏差値がどうのこうのという学歴基準が加速的に下がる傾向が続き、ついに人材の最終学歴はその価値を失ったとされている。 同時に、スマホの普及に伴い、大学の高額な学費を支払うことのできない貧困層の家庭の若い人たちに満遍なく質の高い教育を普及させることも今後一層進化していくことが予測されている。
【2】これからの時代で人に要求されること
「あなたには何ができますか?」「あなたの夢は何ですか?」「あなたはこれまでどんなことを頑張り、また、その結果はどんなものでしたか?」「あなたが過去に挑戦したことから得たものは何ですか?」「あなたは未来の社会をどんな社会になると描いていますか?」「あなたが現在取り組まれているライフワークは何かありますか?」「あなたのお金をどのように認識していますか?」「あなたは時間をどのように認識していますか?」「あなたは人生をどのように認識していますか?」
例えば入社試験の面接で、上記のようなシンプルな質問をされた時に、あなたならどのように答えるだろうか。 そう、学歴が価値を失った2018年が過ぎたこれからも、企業はこれまでとは全く違う採用方法で「人材を篩いにかける」。 そしてこれは、現在会社勤めしている既存社員も同様にこれまでとは全く違う方法で人事考課が実施されるようになる。
学歴同様に、資格制度も発達し、多くの人たちが資格を取得できる体制が整っているものの、後にこれもまた飽和したり、社会全体のバランスが崩れたり、はたまた人工知能の進化により無効化される資格も登場してくるだろうと考えられる。 かつては「大学を卒業すれば有利」なんていう社会的な常識も今となっては役に立たなくなったように、今後は「資格を持っていれば安泰(評価してもらえる、給料が上がる、昇進に有利)」などと言われてきたことが裏切られるようになっていく。 それも、これまでの比ではないくらいに人工知能は資格という概念を無効化していくだろうと思われる。
現に、銀行員はもう要らない、証券アナリストも要らない、そして先々は弁護士も検事も警察官も裁判官も、公務員系の資格はどんどん無効化されていく。 罪を犯した被告を有罪か無罪か判決を下すのにはこれまでは司法の頂点に立った者たちが必要だったが、将来的には過去の全裁判事例をディープラーニングした人工知能が判決を下すようになる(かもしれない)。 間違いなく治安は良くなっていくものと考えられるというよりは、犯罪率がほとんど必然的に下がっていく社会になっていく。
【3】過去都合よく線引き材料にしてきた名文句が使えなくなる
過去、社会において頼りにされてきた、人々が頼ってきたあらゆる基準が、これからはどんどん書き換えられていく。 会社組織における上下関係による統率も、どんどん力を失っていき、「上司だから」「係長だから」「部長だから」などといった肩書ベースの思考回路もどんどんアップデートされていく。 所謂、今まで働く上で縛ってきたものを撤廃し、自由度の高い働き方ができるようになっていく。 この期に及んでそういう線引きをしてブツクサ文句垂れたり言い訳をしたりするような人間はどんどん置き去りにされていく。 もはや「どんどん」なんていう言葉ではその加速スピードを言い表せないくらいのパラダイムシフトが起こっていく。
古い考え方のまま働いている人たちは、そのパラダイムシフトという篩いにかけられて置き去りにされていく。 どっちがいいだろうか。 「置き去りにする側」と「置き去りにされる側」と。 間違いなく前者だろう? あ、そうそう、「下っ端だから」とかいうのも言い訳するには全く無意味になっていく。 コネでも何でもなく、できるヤツが組織の上に行くんだ。 気に入られるために擦ってきたゴマも、これからは全く旨味のないものとなり、冷ややかな目でしか見られなくなる。
【4】目に見えないものを探し求める生き方が面白い
ようやく、働く人たち一人一人がそれぞれの真価を問われる時が来たのだ。 だから、周りの人たちに合わせて大人しく当たり障りのない働き方をしていても大丈夫なんて言えなくなっていくんだ。 それに気付いている人たちはすでに動き始めているんだ。 彼らは金(給料)や地位や名誉を追ってるんじゃない。 (損得勘定を抜きにした)今、目の前にないもの、だな。 現実的な働き方を探し始めているんだ。 これから一番重要視されるのは「信頼」だ。 本当に大切なものは、欲しいものより先に来る。 学校じゃ教えてくれない真実さ。 常識のある大人は、敢えてパンドラの箱を開けまいとしている。 オレたちが知っているこの世界は、とてつもなく大きな世界のほんの一部に過ぎないってことだ。(太字:HUNTER×HUNTER ジン・フリークスの言葉)。
いろんな立場に立つ者たちが集まり、大業を成せる時代。 これには運も必要だろうけれど、本当に欲しいものよりも大事なものは、今も昔も変わらない普遍的な「人との出会い」だ。 出会いの価値は、今後益々増大する。 手遅れなんてことは全くなくて、今からでも十分に間に合う。
あなたは、働いている時、どんな規模で仕事のことを考えているだろうか。 個人規模か、部署規模か、職場規模か、会社規模か、国家規模か、世界規模か、地球規模か、それとも宇宙規模か。 あくまでもこれは思考範囲の例だが、どうせ考えるんだったら少しでも規模は大きいほうがいい。 そして、景観を眺め、全体を俯瞰し、必要なことは何かを考え揃え、目に見えないものに意識を向け、とにかく動くんだ。 それができれば、他者に左右されない「あなた独自の決断と行動」が実現するだろう。 批判ばかりするような人間は篩いにかければ堕ちていく。 篩いにかけても堕ちていかない人たちをあなたの周りに置くんだ。
【5】国の働き方改革であなたの働き方が変わるわけがない。自ら働き方に変革を起こせ。
あなたが夢中になれることを、あなた自身が見付け、取り組んでいくほうがいい。 まずそれができれば、後悔することはないんじゃないかと、イチロー選手が引退会見で言っていたけれども、本当にそうだなと思う。 すると、自ずと自分の周りには、運命かと思えるほどに出会うべき人と出会い、そばにいてくれる。 本当に信頼できる仲間は、そうやって作っていくべきなのかもしれないと考えさせられた。 これは仕事でもプライベートでも共通して言えることだろうと思う。
誰もが一流の世界トップの人間にはなれない。 どこかのタイミングでは自分が誰かに、何かに篩い落とされることだってあるだろうけれど、それでもやっぱり生に縋りついて、恥をかいても、失敗をしても、堂々と生きていくべきなんだと思う。 これからの時代は本当に、自分次第で人生がどんどん変化していく。 そういう前例を近年垣間見ることがあるが、彼らは自分で決断して動いた人たちだ。 おそらくは、これまでの常識なんかには囚われずに思い切って行動した人たちだろうと思う。 そんな彼らを羨ましがるのではなくて、自分でもやってみればいい。
なんだかんだ言っても、「人に喜んでもらえるような生き方」「人に喜んでもらえるような働き方」をして時を過ごすほうが一番幸せを感じられるんじゃないかなとボクは思う。 でもね、それを実現するには、先行して「自分が喜べるような生き方」と「自分が喜べるような働き方」をしないとダメだね。 そのためには、容赦なく必要と不要を篩いにかけるべきなんだよね、きっと。 関わる人も、自分がやることも、手に入れるものも、行く場所も、何もかも全部ね。 計画を立てたとしても必ず修正が必要になる。 最初に立てた計画通りに物事が進んでいくほど人生はシンプルではない。
【6】自分の力量以上の評価をされて格上げされるという体験
あなたはあなたの人生を、ボクはボクの人生を、やっぱりこうと決めて生きるほうがいい。 そして、決めることは「理想」とか「夢」とかいうものでも、極力デカいほうがいい。 そうすれば、限りなくそれに近付いていくことができる。 そうやって信じてテクテク歩く、一歩ずつ歩を進めて生きていく、焦らず急がずね? 1度ね、あ、2度か、過去に「自分の力量以上の評価」をいただいたことがあるんだけど、正直しんどかったんだよね。 イチロー選手とは圧倒的に格は違うんだけども、想定外に高く評価してもらった時には、素直に喜べないんだなっていうことがあった。
そういう時は、プレッシャーも大きいけども、それよりも何よりも「自分の大きさ」を突き付けられる感じがするんだよね。 結果ね? その大きすぎる評価に対して応えることができなくて、降格や左遷、そして退社、そういう経験をした。 2度ほどね。 ただ、貴重な体験だったなと思う。 見事に振り落とされたというか、篩いにかけられて落ちていった。 変な話、落ち込みようもないんだよね(笑) 始めからそうなることがわかっていた感じがするし。 それでも断らずに受け入れたのは、「できるところまでやってみよう」っていう思いがあったからなんだよね。 それに、ボクを2段階昇進させた当時の会社の社長だって、出来ると思って昇進させたわけではなくて、とりあえず試してみるかという思いだったと思うんだ。
これはこれで面白かったよ。 おかしいくらいに月給もボーナスも跳ね上がって、仕事の内容も管理職の業務ばかりだし、大金扱ってたし。 その時は数千万がお金に見えなくなってた(笑) ただの紙の束(笑) だってそうでしょ、自分のお金じゃなくて会社のお金なんだからね(笑) 一番初めに就職した会社は証券会社だったし(笑) ガチの文系が証券会社なんか受けてはいけないなと身に染みて感じた(笑) よく内定もらえたなーと思ったほど。 アレは明らかに棚ボタな経験だったな。
【7】自分の大きさを知り、他者と接するということ
まぁね、とにかく自分は小さいってことを十分にこの社会で思い知らされたんだよね。 小さいから篩いにかけられると落ちちゃうんだ。 これを宇宙規模で言い換えると、もはや存在すらしていないくらいに誰にも気付かれないくらいに小さい?もしくはいない?みたいな。 それを自覚できたことはボクにとっては大きな収穫だった。 でもね、自分を卑下して言うのではなくて、自分の大きさを自覚できると、他者がどんな大きさでも見下すことはなくなる。 批判するにしてもその価値があるかどうかもきちんと考えが及ぶようになる。
これを実感できたのは、通勤でいつも使う駅のちょっとした広場に、帰宅の際によく見かけるホームレスのおじさんを見た時なんだ。 誰が吸ったかもわからないタバコの吸い殻を共有のスタンド灰皿を漁ってシケモクしてるんだけど、ある時、ライターの火がつかなくて何度も何度もカッチンカッチンしてたから、自分が持ってたライターをあげたんだよ。 そしたら、凄く小さな声で「ありがとう」のような言葉を発したんだ。 彼は社会の篩いから落とされた人。 きっと立ち上がれずにホームレスとしての人生を選択したのだろうなと。 珍しく、空き缶なんか集めないホームレス。 見下すような感情はまったく湧いてこなかった。 なぜなら、それは彼が自分で選択した生き方であることがわかるから。 以前には新しいタバコ数本をあげたこともあった。
見下そうと思えば簡単だけど、立場を自分に置き換えて考えると、特にタバコは新しいタバコのほうがうまいことを知っているから、その時だけは手渡したんだ。 自分だってホームレスにでもなればこうなるんだろうなと想像できるからね。 自分だけはそんなこと絶対にないなんて言い切れないのが社会だから。 何もこれは薄っぺらい善意なんかでは片付けられない、リアルな想像ね。
【8】とにかく自分の篩いの精度を上げろ
篩いにかける、これを家族単位に当てはめて考えることも、人はするんだよね。 もし身内に金遣いが荒くて借金抱えるような人間がいたり、罪を犯して逮捕されたり再犯で捕まったりっていう人間がいたりすれば、いくら血の繋がる家族とはいえ、結婚した相手とはいえ、何かしらを理由に縁を切るという選択をせざるを得ない状況だって起こる。 だからね、まったくの他人との関わりにおいては、篩いにかけるのは当然だし、誰もがやっていることなんだよね。 表向きは平然と接しているようでも、心の中では篩いにかけていたり、距離を置こうとしたり考えてるんだよね。 誰とでも仲良くとか口に出して言っているような人間は極めてその辺を理解していない。
結局、世の中には絶対なんていうことは一つもなくて、同時に、何でもアリなのが世の中なんだと言わざるを得ない。 その中でボクたちは生きているんだということを忘れてはならないんだよね。 理屈ではどうにもならないことだって起こるんだから、絶対なんて口にしてはいけない。
他者にどう評価されたいかを考えるよりも、自分が自分のことをどう評価したいか、前回のnoteと全く被るけれども、篩いにかけられても落とされないくらいには大きい人間で在りたいと念じ生きることで、自己評価は上がっていくだろうし、自然と他者からの評価も徐々に上がっていくものではないのかなとボクは思っている。 学びは尽きないなー本当に。 でも、それが楽しいと思える今は幸せに思う。 困ったことに、実際、ボクは明確にコレと決めて欲していることが今は全くないんだよね。 欲するよりも学びが足りていないから、強いて言えば学ぶための時間と機会を欲しているかな。
何かを頼りにして得る安定は、箍が外れれば安定はその瞬間に不安定になるし、目先のことすらも見えなくなってしまう。 多少はリスクを選択して決断することも重要かつ適切な選択になることがある。 それをするには、自分のことを信じられなければそういう決断はできない。 大方、そういう決断を迫られる時というのは仕事のほうが多いだろう。 仕事で決断する力を発揮できれば、プライベートだって動く。 自分の意思でね。
今回は以上。 また書くよ。 お楽しみに(・∀・)あはっ♬
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