◆問題の議論よりも前に「影響との向き合い方」がわかっていない現代社会と青い鳥がもたらす本質的な弊害
皆さんは今の世界、社会を見ていて何についてどう考えているだろうか。まず以って私が思うのは、コロナ禍3年余りが経過して見えてきたワクチン接種の功罪について、ほとんど予想通りの経緯を辿っているということ。
直近で見えてきたコロナワクチン接種による影響は、副反応がアナフィラキシーショックを引き起こす可能性と死因に関係していること、ワクチン接種済みの感染者が増えていることから「ワクチン接種をしている人たちほど変異ウィルスに感染しやすい傾向が浮上してきた」ということ。
この現実を目の当たりにして、皆さんはどう思うだろうか。この3年余りでワクチン接種3回4回済ませた人たち、1回しか摂取していない人たち、1度も接種していない人たちに大別できるかもしれないが、中和抗体の効力が早くて1か月、もって半年から1年と言われていて、未だに年に1度はワクチン接種をしなければならないというような話が出てきているのが現状。
でも、ワクチンはウィルス感染しやすくなってしまう抗体をも生成するらしく、これまでに多くのワクチン接種済みの感染者数の報告が挙がっている。さすがに私は思う。あれよあれよという間に感染者数は急増し、増減を繰り返しながら過去最大値を更新し、減少傾向に移行した場合の最小新規感染者数も底上げされてきて、「大衆は常に間違っている」ということを改めて目の当たりにしたことで、疑って正解だったと心底思う。
これまでに、感染者差別はもちろん、ワクチン未接種差別も起きていて、マスクに関してはずっと物議をかもしていて、最近ようやく外す流れにむかってきているものの、そうした人的トラブルはそう簡単には払拭されないだろうということは容易に想像ができる。
本当は死ななくて済んだはずの人たちが、一体どれだけ亡くなったのだろうか。累計死者数約6万7千人のうち7割強は50代以上の高齢者世代とされているものの、約2万人の若い世代の人たちが亡くなられていることを踏まえると、これは人災とも捉えるべき事態ではないかと私は思う。
毎年1回ワクチン接種が必要だという見解にも正直明確な根拠はないのだろうと見ている。本当に大丈夫なんだろうかと思ってしまう。日本人は従う一方でほとんど反発をしないところも大きな要因の一つで、周りの動きを見てそれに倣う傾向にあるけれども、これがまさかこんな事態に至るとは多くの人たちは想像すらしていなかったに違いない。
どうしてワクチン接種を信じることができたのか、どうして3回も4回も接種できたのか、未だに私には理解できない。
日本は世界でも有数のTwitter大国。イーロンマスク氏が「日本人はアメリカの約半数しかユーザー数がいないのにアメリカを凌駕するほどのインプレッション数を誇っている」と称賛するほど。でも私はTwitterは使っていない。なぜなら、私個人としてTwitterを利用する価値を全く感じないからだ。
Twitterの良い部分、悪い部分、両方に目を向けてみても、良い部分で言うならば拡散力くらいで、あとは悪い部分しかないようにしか映っていない。
その拡散力に魅力を感じる人たちが非常に多いことは言うに及ばないのだけれども、それによってもたらされる様々な「影響」について深く考えてみると、リスクとも言うべき要素を多分に含んでいるのではないかと言わざるを得ない
というのも、Twitterでよくツイートする人たちの文面やツイートに対するリプライ(返信)に書かれている文面を読んでみても、造語造語のオンパレードで、何を意図して書かれているかも定かではない文法めちゃくちゃなコメントが散見されるため、よくよく読んでみてもツイート内容を理解できていない返信が目立つことも多々ある。
一言に、言葉が雑に扱われているプラットフォーム、それが日本におけるTwitterの最たる特徴ではないかということ。感情任せに相手にツバを吐き捨てるようなコメントがズラッと並んでいる様は、日本の終わりを連想させる。最近で言うとColabo問題関連のツイートなんかは炎上していたために辛辣なコメントが多数散見されたらしいが、私は表面的にしか見ていないので詳しくは知らない。
炎上大好き日本人。他人の粗探し大好き日本人。他人の過去を蒸し返すのが大好き日本人。他人の足を引っ張るのが大好き日本人。言ってしまえば現代のネット社会における人間の本質が可視化されたという意味では貢献度が高いと思われるTwitterではあるけれども、それでも私は魅力だとは感じない。
140字程度で何を発信するのか、どんな意見をするのか、本当にちゃんと言語化する気はあるのか、ちゃんと言語化できていると認識しているのか、私からすればわからない価値観の集合体でしかない。
誰かが炎上していると自分もそこに混ざって石を投げたりリツイートしてさらに騒ぎを拡大することに加担したり・・・と、今の日本人が必死になっていることがこういう何の生産性もないことなのだということが、結局のところ日本の経済力衰退にも大いに影響しているように感じられる。
気が付くと、人は目にした情報のうち、信じたいものを信じたいように信じるようになり、信じられないものについては批判して叩きまくるようになってしまっている。何かしらの問題が起こると、右か左か、正しいか間違いか、ウソか本当か、などといった両極端なポジション取りを、おそらくほとんど無意識にしてしまっているのではないかという節さえ感じられる。
自分の意思は本当に働いているのだろうか。正体不明の「みんな」に惑わされていたり、流されたりして、行動選択が操られていたりしないのだろうか。
そういう意味では、青い鳥は「多くの人々の思考の進化を止めた」のではないかと思う。これほど有効で、これほど残酷な洗脳は他には存在しないくらいに、人々の意識を縛り、思考を誘導する。きっとそれが今で言うところの青い鳥、Twitterなのだと。
教壇に立つ教師が“あること”について生徒たちに向かって「皆さんはどう思いますか」と尋ねる。なぜか、小学校低学年の頃は我先に「はい!はい!はい!はい!」と手を挙げていた子どもたちは、成長していくとともに周りを気にするようになり、最初に誰か一人が手を挙げない限り、これに続く者はいない。そして、決まってこう答える。「私も僕もそう思います。」と最初に答えた生徒の回答をなぞるように中身のない回答をする。
Twitterとは、その中身のない問答をオンライン上でやっているようなもので、賛成か反対か、共感か批判か、事あるごとに両極端なポジション取りをして「あたかも自分の意思で答えているかのうように」意見を主張している。そういう人たちの集まりでしかないように見える。
だからこそ、捏造された画像や映像も、投稿者の意図など推察することもせずに、見たままを受け取り、炎上騒動へと発展するのだろう。それが実はやらせやドッキリだと事後に知らされてどうなるか。それはそれでまた二次的に炎上する。回転寿司店で他人の注文した寿司を勝手に盗み食べる映像が炎上していたが、事実がどうあれネット上では炎上するのである。
そういう時間的精神的ロスを延々と生み出し続けているTwitterやTikTokなどのコンテンツに一体どれだけの価値があるというのか。ただただインプレッション数を稼ぎ出すために注目されたいが故のあらゆる奇行に、数十万人、数百万人の人々が“何か”を日々大量に奪われている。
おそらく、そういう認識などしてなどいないのかもしれないが、自分のインターフェイス(接続点)となり得るものがTwitterであれフェイスブックであれYouTubeであれ、自身の意思が働かない限りはずっと意識を縛られ、思考を操作され続けることになる、そういう弊害が世間に浸透してしまっているのが現代社会なのだろうと思う。
結果、あまりに度が過ぎる罵詈雑言や誹謗中傷により、人が命を落とすことになったり、犯罪者を生み出していたりもする。中国地方や関東圏で連続している強盗(一部殺人を含む)事件は、組織的に遠隔操作されているらしい報道が流れているが、結局どんなに素晴らしいツールも、これを扱う人間によって様々な結果を生み出すことに繋がっている。
これを他人事とは思えないからこそ、少なくとも私はTwitterは使わないし、TikTokも使わないのだ。無意識に、無自覚に、自分の人生に接続されっぱなしで操られる可能性が高いのであれば使わないほうがいい。情報を取る場所は、それこそ自分の意思を働かせて選択しないといけない。
謎の存在「みんな」がやっているから自分もやる、そういう便乗型のユーザーが実は一番リスクに晒されていることを、社会はもっと自覚すべきだろうと私は思う。
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