【Chapter2】本当に否定すべき2つのこと/Part1
さて、第4回目となる今回は、煩雑化した社会における否定について述べていきます。情報化社会、グローバル社会、人々の生活を豊かにするために進化してきたこの社会は、確実に煩雑化した社会になったと言えます。Chapter2では「本当に否定すべき2つのこと」について触れていきます。
Part1:混沌としたインターネット社会だからこそ
皆さんは普段、どんな情報に触れているでしょうか。皆さんが手にしているスマホやパソコンには、どんな情報が届いているでしょうか。
今や、一日を過ごす間に、無自覚にも非常に多くの情報に触れて過ごすようになった現代の人々は、どうやら「考えることを放棄するクセ」が身に付いてしまったのではないかと思えてなりません。
発信過多社会とは言われつつも、日々目にするあらゆる記事に投稿されるコメントを読んでいると、特別感銘を受けるようなものは少なく、記事を読んで感じたまま、何の深みもない雑な単語が並んでいるだけで、知性も感じられません。
Twitter、YouTube、LINE、Facebook、Yahoo!Newsなど、こうしたSNS媒体が主流となり、オンラインショップのサイトのamazonでは「レビュー」投稿ができるようになっています。
確かにSNSやECサイトは多くの人々の声が集まるようになり、情報交換しやすくなりましたし、何かを買う時でもレビューを読むことで購入動機に繋がったりもします。
デジタル時代においては、利便性が加速的に向上したことにより、欲しい情報や知りたいことについては自分で考えたり調べたりすることよりも、GoogleやYahoo!などの検索媒体を使えば時間をかけることなく「解決」することが可能になりました。
しかし、そこにはメリットだけではなく、デメリットも生じているということで、Abema Primeで読み書きの重要性について議論されていました。
ボクの個人的な解答をするならば上記3つの問に対しこのように答えます。
人間には利き手がありますね。多くの人は右利きで、一部の人たちは左利きですが、そんなボクは元々左利きです。幼稚園の頃までは字を左で書いていましたが、親に矯正されて以来、字は右で書くようになり、小学校中学年でペン習字を習い、一般レベル以上の字を書けるようになりました。
なぜ字を書く事が必要かというと、まず、そもそも字を書くという行為自体が非常に繊細なものであり、人を想いながら書く文字というのは自然と心が現れるものだからです。
「文字を丁寧に書くこと」を意識すると集中しますから、思考にも良い影響をもたらします。計画を立てたり、メッセージを伝えたりする時には、書きながら考え、一通り書いたら推敲して修正や追加をします。
文字そのもののサイズや文章は、バランスよく書かれていることで全体として美しく見えるものです。デジタル社会においてこの部分が軽視されがちなのは非常にもったいないことです。
もったいないと断言する理由として、手先の繊細さを鍛えるには「字を丁寧に書く事」が最適であり、そのことが別の、例えば仕事やスポーツや工作などをする際に【自分がイメージした通りに自分の身体を動かす】ということにも確実にリンクするからです。
字が雑、汚い、ということを、書く機会自体少ないし、別にどうでもいいなどと考えていると、思いのほか致命的なほど損をすることにもなりかねないのです。
考えても見てください。自分がイメージしたとおりに自分の身体を動かせないことほどストレスを感じると思いませんか?世の中のあらゆる分野の職人は、そのことに長けているのです。
漢字は覚える必要はありません。漢字に限らず、あらゆる知識はネットで検索すればすぐに分かります。わざわざ時間をかけて暗記する意味があるとは思えません。漢字は「正しく遣うこと」が出来さえすれば何の問題もありません。
漢字が書けないと恥をかく、などと言う人がいますけれども、漢字の間違い程度で恥ずかしいなどと思うその度量の無さのほうがよっぽど問題ではないでしょうか。間違いだと気付いたのなら正せばいいだけのことです。何も笑われるような恥でも何でもありません。これについては、デジタル化に感謝すべきでしょう。
文学作家や小説家、記者などを目指すのであれば語彙力は必須でしょうから、本を読んだり漢字検定の勉強をするなどして覚える必要はあるでしょうね。
文字を綺麗に書く習字、この表現は「綺麗に書くことを強制されている」といった誤解を与えかねないので、「文字を丁寧に書く習字」と表現するほうが適切でしょう。
こればかりは、自分が書く文字が雑で汚いことがコンプレックスでイヤだと感じている人であれば、習字は良い機会になるでしょうから、個人の意思に因るでしょうね。
ただ、個人的には、文字を丁寧に書くことは「必要」だと考えています。その理由は上記に述べたとおりです。
字なんか書く機会がほとんどないのだから書けなくてもいい、そういう捉え方自体は、物事に対して何が必要で何が不要かを、単に自身の欲求で判断してしまう傾向にある人は、読み書きの重要性にまず気付いてほしいところです。
インターネット社会、言葉の意味くらいは検索して調べればいいと思いますが、あくまでもそれは表面上の意味に留まりますから、それをどのように自分が書く文章に落とし込むかが重要なのです。
結局、どんなにIT技術が進化して便利になったとしても、自分の頭で考えて思考を言語化したり発言したりする機会というのは常にあります。今の時代、インプット量はケータイのなかった時代に比べれば圧倒的に増加していますが、アウトプット量やその質は日々の生活において意識している人とそうでない人とでは雲泥の差が開いています。
字なんか書かなくてもいい、別に雑でもいい、そう思っているのであれば、その考え方は否定したほうがいいかもしれません。
何かにつけ「丁寧さ」というのは人の心を惹き付けます。雑さは否定するに超したことはありません。感情のブレと元々の雑さが掛け合わさることで良い結果には絶対に至ることがないからです。
※次回Chapter2Part2もお楽しみに!(・∀・)
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