◆次元のインターフェイス/○○だと思っていて・・・を多用して話を展開する人、増えたよね?
人の意識とは無意識にも意識的にもいろんなことと接続可能な状態。
必要だと思うことは接続した状態に、不要だと思うことは非接続の状態に、こればかりは自分でやらないといけない。
人は過去に縛られがちだけれども、どんなに過去に固執してもそこから未来が拓かれるわけではない。
過去という次元のインターフェイスにも要不要の二種類がある。
でも、多くの人たちがネガティブインターフェイスをいくつも接続しがち。
例えば、恨み妬み、嫉妬、怨恨、報復、復讐といったもの。
自分の意識の接続点がいくつあるかといった数の問題よりも、消去法で片っ端からネガティブインターフェイスを引っこ抜いていき、現状がより有効かつ快適な意識状態を保つための接続点に限定していく必要があるように思う。
でもこれは、汚いものや醜いものを見て見ぬふりをするため・・・ということではなく、あくまでもそれらを含んだ上で良好な意識状態を維持するためという前提で意識の接続点の整理を常にしていかなくてはならない。
どうも、現代人はSNS上でのトラブルに意識が支配されやすい傾向にあるようで、そこにかける時間的価値が如何に無意味なものかをあまりよく自覚していない。
そういうことが有識者間で見られるようになったのも時代の流れなのかもしれないけれども、それに起因して優先事項に関する議論がどんどん先送りされているようでもある。
ある時のウクライナ情勢関連の動画配信で、橋下徹氏と河野太郎氏の対談で、河野氏が「今はそんなことを議論している場合ではない!」と語気を荒めに主張している場面があったけれども、常に意識の接続点の整理ができている人とそうでない人とのコミュニケーションというのは、とあるテーマに関する議論でも、直接的に関係ある発言が的確にできる人に対してそのテーマとは関係ない別の問題を引っ張り出して無理やり発言して論点がズレまくるようなことを無意識にしてしまう人がいる。
前置きとして「全く関係ないことなんですけれども・・・」と言ってから本当に関係ないことをつらつらと話始める人も少なくない。たとえ話が下手な人ほどそういう語り方をしがち。
議論の場で余計に知識をひけらかしたり、一般的にはそれほど知られていないし常用するでもない難しい表現や専門用語を一生懸命に使いたがる人にもも共通するのは、相手からの理解や認識を円滑に進めるためではないただの承認欲求から来る発言しかできないこと。
「そんなことも知らないんですか?もっと勉強してください。」なんて言い出すような人は、自分の説明力不足を棚上げしていたり、知識マウントを取ってあたかも自分が優位であるかのように見せようとしているだけだったりする。
相手がそもそも興味のないであろう話題について話す時に、「〇〇って知ってる?」というフレーズを言ってから話始める人なんかもそうだね。相手をイライラさせてから話し始める神経はちょっと理解できないな。
人は、意識したことないことがあって当然で、興味のあるなしについても人によっていくらでも違いがある。そういう中で、相手も興味があるだろう、相手もいくらかは知っているだろうということを半ば強要するかのごとく会話の切り口にイライラフレーズを混ぜてくる人は、残念ながらそういう話し方しかできない思考回路になってしまっている。変えろと言われても難しい状態に至っている。
車に興味のない人に自分の愛車について切々と語る人、一応観察対象としては相手できるけれども、大抵そういう人の話に興味を抱くことはない。
いろんな人がいるけれども、よくよく観察していると会話のやり取りが上手な人って言うほどいないと感じる。そう言う自分はどうかと言われれば、会話のスキルが高いとは言い難い。
というのも、やたらと相手の話に共感一辺倒で中身のない返答しかしない人は決して聞き上手なわけではなく、場合によっては聞き流していることも往々にしてあるからで、会話が上手というレベルがどういうものなのかはイマイチ定義づけが難しい。
ただ、一つ言えるのは、会話の中でタイミングよくその時々でズバッと良い質問ができる人、また、そうした質問に即答できる人、そういう両者の言葉のやり取りは聴いていて何の抵抗もなく没入できるし思考も回転するということ。
あと、自分の意見を言う時に、「~だと思っていて・・・」を多用する人が増えすぎていることにすごく違和感を感じている。中には、「〇〇だと思っていて、〇〇だと思っていて」と続けて使う人も今では珍しくない。話し言葉だから気にする必要はないのかというとそうではないと思う。
「だと思っていて」を多用する人の話は、だんだん何が言いたいのかわからなくなってくる。自分が思っていることを「〇〇だと思っていて・・・」と表現してそのまま話を展開することが、どこか格好いい話し方のように見えるのかどうかわからないけれども、辞めたほうがいい。
ニュアンス的には現代語ならではの省略に近い話し方の中で使っているフレーズなのかもしれないけれども、変だ、何回聴いていても。丁寧に話すことも面倒くさくなってきてしまっているのかもしれない。
せっかく良いテーマについて議論をしている番組も、発言する人たちの話し方にいちいち違和感を感じてしまうと集中が削がれてしまうことも少なくはない。
「だと思っていてー・・・」って伸ばすように言いながら次に言うことをちょっとだけ考えてる人もいたりする。あまり説明が得意ではない人がマネしてこのフレーズを使っているのも見ていてすぐにわかる。
何をどう思ってるのかを言いたいだけなら、「思う」「思います」は一回で良いんでないかね?日本語は結論が最後に来る表現が主流だから英語のように結論から言うってのはこれを意識している人しかやっていない。
「~だと思っていて族」を観察してみるといい。これを多用する人の意見が結局何についてどう思っているのかをまとめるのが面倒になってくるかもしれない。
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