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◆心安きは不和の基/人間関係の在り方に正解はない

 ほとんど誰もが人生で悩むこと、人間関係はあらゆる問題の中で最も複雑で難しい。

 「心安きは不和の基」という諺があって、仲違いの基になるのは過度に親密な人間関係という意味。どんなに仲の良い間柄でも、互いに理解し合えない瞬間があったり、妬みや嫉妬、恨みつらみといった感情が湧き上がる瞬間があったりして、そういう間柄ほど尾を引き、修復が困難な場合が多い。

 仲が良くて信頼し合える関係なのだから一切問題がない、ということは人間関係において本来あり得ない解釈であるということを認識できている人たちがどれだけいるだろうか。

 DVや虐待を含み、年間で全国で起きている暴行・殺人事件のおよそ半数は家庭内で起きている事件が占めているらしい。事の背景については各家庭によって様々に違いはあるけれども、家庭環境がどうであれ、本来最も信頼し合えるはずの家族関係でありながら、現実としては非常に残念な事件が起き続けている。

 親子関係だからこそ、兄弟関係だからこそ、口喧嘩をする時には思ってもいないような酷い言葉を吐いてしまったり、暴力を振るったりしてしまうことがあるのは、まさに「心安きは不和の基」を象徴する行動なのかもしれない。

 さらに、家庭内で絶縁に近いくらいの衝突が起きてしまった場合、これを修復するには長い年月を要する場合が多く、10年、20年と顔を合わすこともなくなるくらいに修復することすら考えなくなることもある。

 相手の過去を否定する言葉だったり、相手の存在価値そのものを否定する言葉だったりを言い合うようになってしまったら、ほとんど修復は不可能だということを小さい頃から学ぶべきことなんだけれども、強い信頼関係にある間柄ほどこうしたことを学ぶ機会がないのかもしれない。

 そういう意味では、家庭内における家族関係というのは、いつ壊れてもおかしくないガラスのような関係性なのかもしれない。

 不和の対義語は「円満」。「夫婦円満」であることは良いことのように認識されがち。強い信頼関係にある間柄において「不協和音」が鳴り響くようになると、これを放置すれば壊れるのも時間の問題ということなのかもしれない。

 世間が大変な状況下で、やたらとSNSや動画サイトで幸せアピールを繰り返す発信者は後を絶たない。しかし、表面上に見えている幸せそうな様子とは裏腹に、実態は想像できないくらいに乖離していることもあって不思議はない。

 特に、カップルでの配信だったり、家族での配信だったりで言うと、かなり幸せ(そうに見えるよう)な印象を与える内容になっているものの、不和が起これば配信回数が減ったりチャンネルを閉じたりといったこともザラに起きているらしい。

 もういい加減に幸せマウント目的の発信は辞めたほうがいい。どちらかというと、普段のありのままの状態で淡々と発信したほうが不和を回避できるのではないかと思う。

 「こうすれば幸せになれますよ」とか「幸せの法則」とか、あたかも「これこそが正解ですよ」みたいな表現物は、全くの無駄とは言わないし、参考になる部分もあるのかもしれないけれども、そんなもので自分の幸せや家庭の幸せが確実なものになるわけではない。

 他人基準で考えている以上、足元の幸せを実感することはできないだろうし、そのことすら意識しなくなるだろう。確かに、自分よりも不遇な人たちはいる。たくさんいる。でも彼らのことを見て「彼らよりは幸せ」と考えるのは、人としては一般的な解釈であっても、そんなふうに考えてしまう自分のことは決して好きにはなれないだろう。

 どうなんだろうね。これが正解というのはないとしても、私個人的に思うのは、人は誰でも常に孤独であるという事実は否定しようがないし、誰かといる時に感じる幸福感よりも、独りでいる時に感じる幸福感が最も信頼関係にある人たちとの不和から遠い状態を保てるだろうと考える。

 他人との間柄で不和も何もないわけで、家族から知り合いまでのどの人間関係であっても、不和を回避すべく、一定の距離感は維持する必要があって、仲良くなり過ぎない、親密になり過ぎない、そういうこともある種教訓にする必要があるのかもしれない。

 孤独を嘆くよりも、独りで過ごす故に感じられる幸福感の材料をどれだけ身の周りに揃えられるかが大事になってくる、そういう時代。

 人に対するリスペクトとか感謝とかいうことが如何に大事かを上から偉そうに詭弁を語る人がいるけれども、「尊敬しろ」「感謝しろ」「人を思いやれ」「人に優しくしろ」といったことを言ってしまったその瞬間から、その人は尊敬もされないし、感謝もされないし、他者から思いやりを感じることもなくなるし、優しくしてもらうこともなくなる。

 「年上を敬え」は心底反吐が出る詭弁。自分より年下の人にこんなことを言う人間は、基本誰からも尊敬されていないし、そもそも人望がない。

 でも、でもね、「なんかこの人・・・苦手・・・」と思うような人とは強い信頼関係の間柄にはならないため、無駄に言い合いになったりトラブルになったりするよりもまず避けて通ろうとするのが一般的で、よっぽどのことがない限り不和も起こらない。

 人と仲良くなりすぎると壊れた時に修復が難しい。コロナ禍で一層可視化されたのが「心安きは不和の基」。冷静さを欠いて良い瞬間というのはいつどんな時もない。

 SNSで過剰に人々の感情が可視化されるようになってしまった現代では、感情を制御できない人たちが増えているようにも見える。SNSが人とつながるサービスである一方で、同時にあらゆる場面で不和を助長し、トラブルを引き起こしているということは忘れてはならない。


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