【絶望するな】失っても、失っても、生きていくしかないです。どんなに打ちのめされようと・・・
どんな時も冷静でいられるのなら、人はきっと、考えればわかりそうなミスはしない。
でも、人間だからこそ、我を見失う瞬間があり、思いもよらない失敗をしてしまうことがある。
人間だからこそ、悲しみに打ちひしがれて、もう二度と立ち上がれないのではないかと思い込んでしまうことがある。
それでも、夜は明けて、朝が来て、また夜が来るように、例え自分がその場に立ち止まり続けたとしても、そのことに気付いていないかのように、周りは変化し続けている、さも当然のように・・・。
目の前の道が断たれた、退路も断たれた、もう一歩も身動きが取れない、そんな状況が起こるとしたならば、必ずそれに足る行き過ぎた行動が原因である場合がほとんど。
余計に求めすぎれば、普段頭では分かっていても、理性が働かないことだってある。
人は勝手に思い込む生き物だ。
時に、まだまだ方法も手段もあるのに、そのことに気付けずに、自ら諦めてしまったり、せっかくの機会をみすみす見逃してしまったりすることもある。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
思い通りにいかないことに不満を漏らすことに一体何の意味があるのだろうか・・・。
そんなくだらないことばかり考えて目の前のことに集中できないのなら、中途半端にやるくらいなら、考えなくてもいいような思考回路を持っておくべきではなかろうか。
その不満を他人のせいにしているうちは、ずっと思い通りになんてなるわけがない。
海の向こう側を自由に想像できる者と、ただただ不安と恐怖しか感じられない者とがいるとして、浜辺にある筏(いかだ)を見てそれぞれが選択する行動は全く別のものになるかもしれない。
前者は筏で海へ漕ぎ出し、後者は行動を起こせないままそこに居座る。
海の向こうには何があるんだろうって考えるほうがずっと楽しい時間を過ごすことができるのに、目の前の(自分だけが不幸だと思っている)状況に絶望するだけなんてもったいない。
仮に、絶望せざるを得ない状況だとしても、心の内で「それがどうした」って思えるくらいなら、いちいち状況の変化に右往左往せずに済むだろうし、精神的な疲労を感じなくて済むんじゃないかね?
なったらなった時に、起こったら起こった時に、その都度考えればいい。
それまでは、考え続け、動き続ければいい。
そうしていくうちに、人は失敗しながら、不安を乗り越え、徐々に徐々に強くなっていく。
始めから完全に思い通りにいく人生が、本当に自分にとっての幸福なのか?と問われれば、決してそうとは思わないんじゃないかな。
何も心配する必要が無い、欲しいモノは全て手に入れた、やりたいことならいつでもなんでもできる、そういう人生は、きっと最初は楽しいだろうし、幸せだと感じるかもしれない。
でもね、どんなに満たされた人生を過ごせていると思ったとしても、結局のところ人間は「もうこれ以上はないのだな」と気付いた瞬間から、人生がつまらなくなってしまったことに絶望する。
不満を感じられること、不安になること、恐怖を感じること、ストレスを感じること、これら全てを完全に避けて生きられたとしたら、きっと早死にする。
たった1度の苦難に命を落とすことになる。
天は人に乗り越えられない試練は与えないなんていうのはウソだと思うけれども、人が生きていく上で幾度となく乗り越える苦難こそが人を強くするのだから、天がどうのこうのというのは関係なく、自ら自分を強くしていくことができるのが人の生きる道の特性ではないかと思う。
隣の人からいきなり大きな声で叫ばれたらめちゃくちゃビックリするだろうけれども、二回目、三回目・・・と叫ばれたら、「この人はこういう人なのかな?」と想像することができるし、いちいち驚かなくなる。
実際にそういう人に遭遇したら、きっとその時初めてケツが浮くほどビックリするんだろうけれども(笑)
経験をしなさい。
経験をすることでしか人は強くなれない。
考えなさい。
考え続けることでしか人は想像力を鍛えることができない。
ただ、「熟慮は時に短慮以上の愚行を招く」というのも確か。
古い考え方が一概に悪いわけではないけれども、現状に明らかにそぐわない古い考え方はさっさと切って捨てて生きていくほうが賢い。
人は、いつからでも賢くなれる。
と思うのだが、どうだろう(・∀・)あはっ♬