なああんたさ、感受性の配合ミスっただろ

酷く涙が溢れた。
これは傷つけられた悲しさや痛みからではなく、やっぱり理解されないよなあという絶望感からである。

私の人生ははっきり言えば”生きづらい”の一言に尽きる。
些細な感情の変化に敏感で脆いガラス、いやプリンの上のカラメルのように脆い心は簡単に割れてしまう。
不機嫌になったのが手に取るように分かってしまうのだ。それが自分のせいなのか理不尽かによって変わるが、
どちらも同じように辛い。

つん、と突き放されたような言い方をされると私が何かをしてしまったんだろうか……と脳内をぐるぐるぐるぐる考えてしまいとても苦しい。
気にしないで!なんて言われるが出来るなら気にしていないのだ。というより、気にしようとして気にしてるんではなく勝手に脳内がその事柄でいっぱいになる。
水に手を入れると濡れてしまうように。

生きづらいなと何度も思ったし希死念慮を持ち合わせることも多々ある。別に常日頃生きづらいから終わらせようだなんて思ってはいない。断じてはここは否定する。
やりたいことをして好きなものを得て、楽しく生きれてる方だ。そうして私だって繊細だけど皆と同じように生きてるんじゃんって思った矢先に当然亀裂が生じてしまう。

その度に、相手は悪意のない何気ない一言。だと言い聞かせてはいるものの、やはり辛い。
分かっているからこそ、言い聞かせたいからこそ傷ついてしまう自分に嫌気がさす。どうして、こんなに重く受け止めるんだ。相手はそうじゃないと言ってるだろ、と分かっていても、その言葉は強くて痛い。痛むのだ。
……相手を悪者にしたい訳じゃないのに。

生きるのって難しいなあ、と考えて苦しいのを吐き出してみることにした。もしかしたら同じように感じる誰かがいるかもしれないなんて淡い期待も1%程込められている。人と違うことは個性だとか言うけど、言葉の捉え方が違うのは実に生きにくい。
神様さ、私の感受性配合ミスってないか?


苦しくてすぐ泣くし、嫌な事されて嫌だったことをなんとか伝えようとしてる内に声が震えて涙が出る。
面倒がられたり謝られると、ああまた迷惑掛けてしまったと脳内反省会の幕開け。

分かって欲しいなんて思ってないんです、ただ泣いてしまうことを否定しないで欲しい。そっか、でいいんだよ。私だってなんとか受け入れてこの体質で生きてきてるんだ。まあ、この体質じゃないとこんな気持ち分かりっこないよな、とかなんとか。

それじゃ。このへんで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?