2/6「CATCHER in the 巣鴨。」
〈たぶんガールズバーの女の子が雪遊びしてるから後ろみて。〉
僕が座る席の真後ろにある部屋の広さは力士で換算すると4人か、いや、人間の尊厳とか道徳とか無視してぎゅうぎゅうに詰めれば5人くらいの広さで、そんな喫煙室で一服をしているともだちからラインが飛んできた。振り返るとピースを指で挟んでいるともだちがガラス越しに外を指している。レースカーテンを開け、外を見回す。細い路地は日中降り続けていた雪と雨が染み込んで黒く、歩道の白線が際立つ。露光量を増やし、コントラスト値を上げて、レタッチされたように陰影の区別がはっきりとしている外景色だ。冬はなんでもそうだが、輪郭がくっきりして見える。気がする。そんな中で目を凝らして見えたのは喫茶店の窓の前に立つぶっとい電柱と店の明かりが二つ。僕は道路ばかりを見ているのでどちらの店舗がガールズバーかはわかっちゃいない。雪遊びをしている女の子がどんな子か想像しながら探す。前髪は多分下ろしているだろう。韓国系の吊り目のアイラインではなく、目尻は下がり、おっとりさんと周りから言われるタイプで、運動部のマネージャーがよく着てそうなベンチコートを羽織っている。そんな妄想の子を脳内で描きながら、同時にそんなきっしょい自分だけのアイドル像に吐き気を覚えながら、歩き方はどうだろうなんて考えている間、僕はずっと目を凝らしていた。
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その5時間前、時刻にすると午後の2時すぎ。山手線を降りると雨。昨晩のXのタイムラインには #雷雪 というワードが散見され、びしゃあとした雪が地面を覆い、赤錆の線路にも纏わりつき、白雪を突き破るように砂利が顔を出していた。幼い頃、コンクリートブロックに乗った白雪をスキー用のグローブで上澄みだけ掬って口に入れて、天然のかき氷だと言ってはしゃいでいたが、今思えば、命知らずだったかもしれない。そう考えるとあの時の僕の方が勇敢で、勇猛で、だからこそ無知だったのかもしれない。なんてことをここでは書いてみるが、実際に降りた時の感想は特になんとも思っていなかった。ただ、ああ、雪だってだけで、やったことといえばXを開いて冬は空気が澄んでるみたいなことをポストした。
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待っている間は読みかけのハードカバーを開く。開けばノイズオフ。引きこもりのモモセスはプッシャーである春っていう昔バッテリーを組んでいた女の子のアッシー(死語)になって大麻を売り捌いている。スラングに直すなら手押しというらしい。ペニーっていうちっさいスケボーのデッキのほとんどが原色系で、僕は春の乗るペニーは水色でリールは赤かなと思ってる。多分、小説の冒頭に春が乗ってるペニーの描写があったけど忘れた。ページを捲るとチャリのチェーンが回る音とリールがアスファルトの上を滑る音がしている。これは先ほどとは違い、実際にそんな気分がしている。大麻、ストリートチルドレン、プッシャー、読点の少ない文章。何もかもが新鮮で、今は新しいおもちゃを手に入れた児童のようにとにかく箱に手を突っ込んで掴んで投げ散らかしてるそんな気分だから、あんまし物語の仔細は頭に入っていない。ただブリってる時の描写はすごい生だなって思った。美しいだけの表現物はもうグッナイな世界だからこそ人々は未体験を欲しがる。多分、今の僕もそうで、そんな僕は子供とかじゃなくて、下唇に釣り針が刺さったまま返しがうまく引き抜けない魚みたいな感じなんだと思う。引っ張ると下唇のでっぷりとした肉を返しの先が押すからそこだけ凹んで、粘膜が破れて血が無音で噴き出し表面の唾液と混ざる。痛い。早く解放してほしい。そう思っているのに、見たい。骨の髄までしゃぶり尽くしたい。とも思っている。もしかしたらせめぎ合いという快感に脳が侵されているのかもしれない。だとしたら小説ってやっぱし合法ドラッグだ。炙ることも焚くこともない捲るだけのドラッグ。シラフのまんまでいつかそんな文章を誰かの脳に植え付けたいとも思う。
ともだちと合流して古着屋に入る。鈴木真海子からのチェルミコで、お次はiriと歌ってる真海子だ。随分、推しがはっきりとしたプレイリストで、店内はインド人の頸から香ってきそうなバニラの匂いがしていた気がする。窓の外の空は斑らに青いけどまだ小雨が降っている。ドアを開けて右のラックは三角形に配置されていて入り口側の辺が50%OFFだ。にしても、どれもこれも高い。いいなと思っても3万だ。かっこいいなと思っても2万5000円を超えちゃう。セレクトだからこんなもんだ。されど、ワールドイズマニー。ながめせしまに2500円とかになってくれねぇかなとか思いながらハツカネズミの僕は店内を漁る。ともだちは入って早々、店員さんに声をかけられたが僕はかけられていない。やっぱり背中を丸めてぶつぶつ何かを言いながら漁る姿は、バイト終わりに見る明け方の側溝を駆け回るアイツらの姿と重なって見えたのだろうか。貧乏ってのは色々荒む。ともだちは以前、ここで買い物をしていて、何を買ったのかを店員さんに見せてなんか盛り上がっているから、なんか買わないと出れない気がして、目についたのはジーンズ生地を埋めるピンズの群生地帯だ。どこの国で作られ、なんのために作られたのかを考えるのは楽しいが、調べるのは野暮ってもんで、地下暮らしを生き抜いてきた嗅覚を駆使して指先を彷徨わせる。もう三年以上着ているレザーのブルゾンは合皮だから大丈夫かと気を抜いていたのだが、襟元の後ろからポロポロと薄い革が剥がれてきて見窄らしくなってしまった。目に見えて見窄らしいってのは居た堪れない。ボロ服を襤褸のままで着こなせるのなんて常田大希くらいだ。そんなカリスマ性もルックスも僕にはないからそんな欠陥をヴィンテージだかんねと誤魔化すための細工が必要になる。だから僕は剥がれたところにピンズを埋めようと画策していた。貧乏ってのは工夫を養う力が身に付く。
決まっていたのは古着屋に行こうってだけで、もちろんそれだけじゃまだ外も明るくて、僕らは喫茶店へ向かう。古着屋さんのおにいさんは結局、二人とも気さくな方で、貧乏とかネズミとかプレッシャーとかそういうの気にしてるのは僕だけだった。別にそんな自分を許せるし、平気だし、無問題なんだけど古着屋のお兄さんがおすすめしてくれた喫茶店に行って、立ち止まって、時間見て、午後3時で、閉店が午後4時だから入るのはやめた。途中で見かけたスイートポテトは芋と卵の甘味がしっとりと混ざって、その棚の横には広瀬すずが六年間愛した大学芋が売られていた。それは小一から小六の頃を指すのか、中一から高三までの期間を指すのか、はたまたもっと先でござろうか。思春期を形成する時期に芋の甘みを味わえる女の子はなんかいいな。多分、その子はきっと冬はスカートの下に学校指定ジャージを履いている。部活は軟式ソフトボール部。僕の地元は真っ赤のジャージだった。
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意図せず向かった2軒目の喫茶店は以前も二人で行ったところで、ホールにいるおじいちゃんはテーブルに灰皿とおしぼりを置くとき、投げやりに置くんだけど、目がシジミみたいに黒々としていて、しゃべる時、きゃわなじいちゃんで、初来店時も今日も変わらず多分この先も普遍的にかわいいおじいちゃんなんだろう。ともだちは観る側じゃなくて、魅せる側の仕事を生業にしている。ピースを加えてターボライターで火をつけて僕にかからないように煙を吐くともだちの話はおもしろい。話の詳しい内容なんてもう覚えちゃいないけど、ともだちの思想は優しくて、どこかキザでもある。革張りのソファに僕は背を預ける。コカコーラの王冠がチャームになったシルバーネックレスが胸の前で揺れ、ちらきらと目敏く光っている。トレインスポッティングの服用シーンで寝そべった絨毯が歪んで凹んで底に向かって落ちていくみたいに、革張りのローソファに身体を預けた時、背もたれが溶けていき、包み込まれて呑まれていく。こうすれば会話が盛り上がりそうだとか、この子に話振らなきゃとか、どうでもよくて、マジで野暮さんで、ただこの空気を吸って楽しめばいいっていうシンプルな答えが会話の先で大手を振っている。とはいえ、脳は活動している。坂道を下るチャリはチチチって鳴きながら車輪が回り、そのケイデンスはいつもより多いけど、ハスラーの男女は喧々諤諤と楽しそうで、話せば話すほど飛び交う言葉は目の前にいるともだちが吐き出す煙の先で霧散していく。そう考えると時間もあっという間に溶けていくし、ともだちも合法ドラッグかもしんない。いや、ドラッグは言い過ぎか。調子乗ったか。あるいは、マイナスプロモーションか。
本屋挟んで、また喫茶店だ。ともだちは漫画コーナーから雑誌コーナーに移った時、腹痛に襲われてトイレを挟んでいる。巣鴨の駅前は帳が下りると車のヘッドライトが幹線道路でいくつも交差して雨が上がった夜空に古びたラブホテルのビルが添えられている。ネオンサインはHOTELが黄色で、Aはオレンジっぽい赤。明かりが切れている文字はエアポートと書いてあった。歓楽街の入り口にある伯爵っていう喫茶店は昭和の喫茶店って感じで、僕らはテトリスができるゲームテーブルと迷ったが、喫煙室のすぐ横にある徹子の部屋に出てきそうな窓際席にすっぽりとおさまった。迷った挙句この席にしたが、正解だった。だって、端っこはいつでも心地が良いのだから。ここでも僕らは話をする。とめどない。はなしゃあ話すほどChillしてく。頼んだバナナジュースはさっぱりとしていて、ヨーグルト由来の仄かな甘さが舌の上に乗って蕩けていく。ちびちびと飲み進めていく。真っ黄色のバナナが僕はあんまし好きじゃない。実家で食べてたのはいつも緑がかった早摘みだから、好みドンピシャで飲みたい欲望を堰き止めつつ、プラスチックのストローに口をつける。ともだちが菅田将暉をスナマサキと聞き間違えた事がきっかけで、もし『須那正樹』がいたらどんなヤツだったか大喜利が始まる。マジでくだらないけど気兼ねなく楽しめる時間を共にできる存在ってそうそう現れないもんで、なんか死にたくなることとか週に一回ペースで訪れるけど、その時だったら希死念慮くんもこの大喜利に混ぜてあげられるくらいのキャパシティがあった。久々にブランクスペースを得た。ともだちが喫煙室にいる間、僕はインスタグラムを眺めていた。すると画面上にポップアップが表示された。
〈たぶんガールズバーの女の子が雪遊びしてるから後ろみて。〉と、ラインが届いてすぐ僕はレースカーテンを開けた。見えたのは中央にぶっとい電柱。左右には店明かりが二つ。真っ黒な路地で、左の店の明かりの下には雪溜まりが見える。けど、雪遊びをしているガールズバーの女の子はどこにもいなかった。座席のすぐ後ろを振り返りガラス越しにともだちを見る。ともだちは外を指している。もう一度見る。今度は目を凝らす。どこにも、マジでどこにもいない。てか、人すらいない。もう一度振り返ってともだちを見て、首を傾げた。ともだちは見えてないならいいよみたいな顔をしている。向き直り、ムキになって探す。いないですけど。え、こわいこわい。
👻
そんなことがあって伯爵を出た後の帰り道、僕はしらばっくれて駅を素通りし、サイゼに行ってやろうと思ったけど普通に断られた。ちょっと侘しく、改札を抜ける時は振り返ることができなかったけど新宿に着く頃には落ち着いていた。きっと、足りないくらいが丁度いいんだろう。丸の内線で最寄駅に向かいながら真っ黒な窓を見てふと、思い出した。そういや、ともだちは出会いしな、「金縛りに初めて遭った」って言ってた。
え?
くわばらくわばらじゃん。
snapshot / music
▶︎II
またね。