フリーウェイに乗って、山下達郎を追いかけて! extra 「Sync of Summer」
53th Single 「Sync of Summer」
53作目のシングル「Sync of Summer」は、キリン 午後の紅茶のCMソングとして書き下ろされた表題曲と、テレビ朝日系木曜ドラマ「警視庁アウトサイダー」の主題歌になった「Love's On Fire」、ミスタードーナツのテーマソング「Donut Song」のリマスター盤、で主に構成されています。
CDジャケットは最新アルバムのデザインも手がけられた漫画家のヤマザキマリさんです。
誰もいない海辺におかれたデッキチェアの隣にはラブラドールレトリバーのような大型犬が佇み、犬の視線の先には、波打ち際に立って海の向こうを望む一人の男。そんな様相が油画で描かれたジャケットからは、学生たちが送るような青春真っ只中の煌めきは感じません。ですが、アルバムを捲っているときにふと、込み上げてくるような、些細なときめきがあるなと個人的に思いました。
山下達郎さん曰く、幼少期によく訪れていた海は、芋を洗う人々が押し寄せていたせいで情緒も何もなかったそうです。
だからこそ、彼は「夏の午後」は幻影の中にあると言っています。
CMのテイストもまさしく「理想の夏」といった仕上がりとなっており、だからこそCDジャケットも、人っこひとりいないビーチが描かれていたのでしょう。
1.Sync of Summer
鎌倉、七里ヶ浜で撮影されたMVのテーマは「海で思い返す、あの夏」。
静かな海の中で触れ合う男女はどことなく涼しげで、なんとなく成熟しているように見え、そんな中に差し込まれた8ミリ映像がテーマ性を際立たせています。
「Sync of Summer」の「Sync」とは「同期する」という意味です。
その言葉通り、CM然り、MV然り、曲調も、ポップでありながらどこか切ない。そういった印象づけが徹底されています。
清涼感漂うときめきと、郷愁に浸るような切なさが同居した表題曲は、山下達郎さんが言っていた幻想の夏そのもので、夏というと外に出れば肌が汗ばみ、熱中症で具合が悪くなったりと、弊害がたくさんあります。
にも関わらず、過ぎ去ってしまえば、また巡り来るのを期待してしまう。
まさしく、思い出の中にだけ存在する夏が、この曲を聴くと浮かんできます。
ちなみに、僕が時折、思い出す夏は、幼少期に母と母の友達と出かけた海です。
僕は幼い頃、手や足の裏に異物がつくのがすごく嫌いで、そんな子供が砂浜の上に立てば、まず右足の裏についた砂を手で払います。するともう一方の足裏についた砂も手で払いたくなる。右足、左足と払えば払うほどもう一方は砂を踏んでいるので、終わりが見えません。そんな僕を見ながら母と母の友達は笑いが止まらなかったそうです。
この時、僕は2歳か3歳ぐらいで、実は僕自身に記憶はありません。それでもそうしていてもおかしくはないと確信でき、その時は無限地獄に苦しんでいたとしても、僕はそんな夏を思い出すと、どんなに落ち込んでいても笑ってしまいます。
思い出の中だからこそある夏のときめき。
そういった描写は歌詞の中にも散りばめられています。
例えば1サビの「夏が立ち止まる。風が舞い上がる。君が駆けてゆく」という歌詞は、もはや記号的にすら感じてしまうほどです。おそらく山下達郎さん以外のアーティストがこの歌詞を使うと、描写のあざとさだけが目立ってしまうでしょう。
リスナーにそう感じさせないためには、煌めきの反作用となるものが必要で、それに当たるものが切なさです。そしてその要素を特に担っている部分がここなのではないかと思っています。
夏に馳せるきらびやかな想いが綴られた歌詞の中に唯一、この部分だけが影を落としています。
失う。残される。
そういったネガティブな表現は歌詞の中でアクセントとして機能し、深みを与えています。
そして、それらの影すら「切ないほど愛おしい」と言い切ってしまう。
この包容力こそが歌詞全体に均衡と味わいを与えているんだと、僕は思います。
Bonus track. [Sync of Summer]
「前の車、追ってください」
そう言ってきた老人はさっきからずっと、息子に嫁が現れて初孫ができた話を繰り返している。おそらくボケているのだろう。その証拠に前を走る80年代の白のサーフが右へ曲がり、試しにわたしがタクシーを直進させても何も言わなかった。
そういえば、今朝からわたしはついていなかった。
彼氏の部屋のベッドで見知らぬピアスを見つけるし、洗車を終えた途端、ボンネットに鳥の糞がついているし、毎朝出勤前に行うラジオ体操をしている時、腰から異音がして今も鈍い痛みが続いている。
わたしの人生はいつだってそうだ。
友人と毎年末に行う桃太郎電鉄も、わたしが上がり調子になった瞬間、キングボンビーが取り憑く。そんな友人と出逢った学生時代もこれといった煌めきが見当たらない。
思い出すのはただ、暑いだけの夏だ。ラケットを握るたびに指の根本の胼胝が増えた。部活動は厳しく、休みもほとんどなく、練習メニューについていくのが精一杯だった。オフの日はずっと寝てた。
海沿いを走っている時は、たいてい、窓を少し開けて匂いを嗅いだりするのだが、今日はエアコンの風量を上げた。
「ここら辺で降ろしてください」
「ここら辺て、どこら辺です?」
「どこら辺て、そこら辺ですよ?」
呑気に微笑みかけてくる老人は色白で、体も細く、とても海の男には見えない。漂着した枝のように長く細い指の下には真っ青なハードカバーのアルバムらしきものがある。
「僕と一緒に、海を見ていただけませんかね。安心してください。運賃はきっと支払いますから」
揶揄われているのだろうか。
意図が見えないまま会話を続けることに段々と腹が立ってきて、わたしは、どこでもいいからこの老人を海水浴場の駐車場に捨ててきてしまおうと思った。
右に曲がる時、わざと急にハンドルを切ると老人はアトラクションに乗った子供のように燥いでいた。
真夏の平日の午後、20台ほどしか停められない駐車場に入ると、わたしはタクシーを止めた。
「おじいさん、着きましたよ」
「なるほど。ここが、あなたのここら辺なんですね」
ヘッヘと、実家の犬を思い起こさせるような笑い方をしながら老人は後部座席に座ったままでいる。
「どこでもいいです。おじいさん、もう降りていただけます?」
「ええ、あなたが降りたらおりますよ」
苛立ちを超えて、わたしは恐怖すら感じつつも、ハンドルにしがみついていると、老人が後部座席のドアを自分で開けた。隙間からは潮の匂いがした。
「良い午後ですね。それでは、また」
ヘッヘと、笑いながら老人はあっさりと降りていく。そして急に駆け出した。その時わたしは、まだ支払いが済んでいないことに気づいた。
無賃乗車男を追いかけていくと、そこにはベタ凪の海が待っていた。
まるで夢かと見紛うほど誰もいない。
誰もいないはずなのに、デッキチェアが一脚だけ放置されていて、今だけ目の前の海岸は、プライベートビーチだった。波打ち際では老人が立っていて、足先を浸している。
打ち寄せる波の音を聞いていると、青い空と戯れる海鳥の鳴き声を聞いていると、どうにも椅子に座りたくなってしまい、わたしは午後の心地よさに負けた。
買ったばかりのアイスティー、車の中か。いや、それは流石にくつろぎ過ぎだろうか。
わたしがそんなことを思っていると、老人がこちらに向かって歩いてきた。
「おや、来たんですね」
おーい、と手を振る老人に合わせて体を起こすのは癪で、わたしは目を閉じたまま、デッキチェアに身を任せ、波の音を聞いている。陽や雨や風の中放置されていたデッキチェアの背もたれは毛羽立っていて、頸がくすぐったい。
「ここね、二人でよく来たんですよ」
老人は隣に立ってわたしに話しかけていて、すっかり夏の午後の虜となったわたしは車に残したアイスティーを取りに行こうかと未だ迷っている。
「あの人は国体選手になれるほど泳ぐのが得意でね、僕は当時新聞部にいて、撮影班の一人だった。まるでイルカみたいだったよ。速くて、美しくてね。一目惚れだった。今思えば、よくこんな男と一緒にいてくれたと思うよ」
くれた。
その表現がわたしの尊い迷いを妨げた。
目を開けると老人はデッキチェアの隣に腰を下ろし、足を伸ばしていた。
足の上に広げられた真っ青なハードカバーの中身はやはりアルバムで、当時のフィルムで撮った写真がいくつも並んでいる。
その中の一枚には、傾いだパラソルの下で微笑む蜃気楼のような女性が写っていた。
「僕はね、自分で言うのもあれだけど良い写真を撮った。それでもね、あの人を撮ろうとするといつも露光調整がうまくいってなかったりね、ぶれていたりする。現像し終えて僕が撮った写真を二人で見てる時、あの人は『下手だね』と笑うんだ。恥ずかしかったけど、嬉しかったなぁ」
確かに、老人が言う通り他の写真はわたしや友人たちがスマートフォンで撮る写真とはまるで違う。なんというか、写真が語りかけてくる、そんなふうに思わせる魅力がある。
だが、ポートレートの時はどれも不格好だ。あまりの徹底ぶりには狙っているのかと思うほどだった。
「確かに、下手くそですね」
「でしょ」
ヘッヘと老人は笑う。なんだかその笑い方が癖になっている自分がいた。
「毎年、ここへ来られるんですか?」
「うん。この日というものはないんだけどね」
「普通、命日とかにくるんじゃないんですか?」
「命日ね。そういったさ、"それらしい日"は避けるんだよ」
理由を問うと、老人は答えた。
喪失に苦しむ時期が終わったからだ、と。
「過去も現在も未来もね、今はもう全てが、ただ愛おしいんだ」
だから、老人は日取りを決めず、晴れた夏の午後にこの海を訪れるという。老人は満足げに言い切った顔をしていたが、わたしにとっては、分かるようで、解らない話だった。
わたしは一度車に戻り、アイスティーを持って海に戻った。アイスティーはもう温くなっていたので、一口含んで、残りを老人にあげた。
老人の撮る夏はどれも、幻じみていて、夏なんてどうせ暑いだけなのに、ページを捲るたび海の向こうから潮騒のコーラスが聞こえてくる気がする。
「不思議だよね。夏って思い返すとさ、綺麗なんだよ」
わたしと老人の考えが少しだけ同期した。
料金は割り増しで請求してやった。