しき

死期が近い(と思い込むことでしか生きられない)です。詩とか日常とか怪文書

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最近の記事

いつかの死にたいに生かされるきみへ

口に出せなかった言葉は涙になってあふれるものだ。窓の外は快晴、なのに外に出られないわたし。枷などどこにもないと思いこんでいるだけなのか、見えないけれど存在しているものなのか。 吐き出せない、喉につかえた句読点さえ吐き出せない。小指の先には鰭があり、鼻の先には翅がある。生きていれば、生きていれさえすれば息ができる。青い血管は、母の刻んだ轍なのだと信じている。 人生が愛しいだなんて、思ったことはないよ。ただいい子でいたかった。聞き分けがよくて、勉強ができて、大人の手をわずらわせ

    • しごとやめた

      タイトルの通りです。 お疲れ様です。昨年4月に新卒入社した会社を1月にやめました。後悔はしてないけどとってもいい会社だった。ただ、わたしが馴染めなかったし、仕事も壊滅的に向いてなかったので、結果的にこうなってしまいました。 就職活動をしているときから、自分に誇れるのはバカみたいな責任感の強さしかないと思っていて、必死にそれをアピールしていました。ただ、そのバカみたいな責任感の強さのせいで、10月頃から体調をくずしたり、気分が落ち込むことが多くなりました。どうしてかというと

      • クソデカ責任感に殺される

        責任感という言葉が嫌い。 責任感は強いほうだった。やると決めたことはやり遂げないと気が済まないし、何かを途中で投げ出したくなっても、やると決めたんだから、となんとか自分を鼓舞して乗り切ってきた。けれどどうしても途中で無理〜!となることもあって、その度に自分を責めてきた。どうして最後までできないんだろう、どうして他の人みたいにできないんだろう、と。 4月に新卒入社した会社をやめることになった。環境なら悪くはなかった。周りの人もいい人たちばかりだった。ただ、馴染めなかった。

        • おまえを見ている

          意識がなくなるまで混ざり合ってみたい、 夢の中で、あなたは水、わたしは油、決して叶わぬ願望が、きっといつか欲望に変わるから、そのまえに潰すか殺すか記憶をなくすか。残された道はそれしかないと思った。あなたはいったいどう思うのでしょう、つまらない夢。 薬を、気分を落ち着かせる薬を半分に割って飲むことすらしなくなった朝。かえって清々しくて、こんなものただのお金の無駄遣いだったんじゃないかとすら思える。ばかみたい。気の持ちよう、というのはある意味本当だった。いまなら痛いくらいにわ

        いつかの死にたいに生かされるきみへ

          パスピエ synoniumに行った

          2020年12月25日。 パスピエのライブ、synoniumに行った。 わたしはパスピエが大好きだ。 高校生の頃、パスピエの音楽を初めて聴いた。言葉にできないくらい衝撃だった。初めて聴いたのはたしかフィーバーだった。不思議な歌詞。不思議な雰囲気のボーカル。不思議な音たち。全部が混ざり合って、とにかく不思議、だけど、心地いい。この人たちの音楽をもっと聴きたい、と思った。 初めて行ったライブは新木場スタジオコーストであった印象Dだった。パスピエの音楽をできるだけ近くで聴きたくて

          パスピエ synoniumに行った

          ショートケーキの絶対性について

          ショートケーキほど、ショートケーキでありうるものはないと思う。 最近、甘味を食べることが減った。ストレスによる暴飲暴食で8キロ増えたわたしは、ストレスによる食欲減退で6キロの減量に成功した。 甘いものを食べてもあまり美味しいと感じなくなった。無性に糖分が欲しくなることはたまにあるけれど、太るのは怖い。でも最近はまた食べつつある。やっぱりダイエット失敗しそうです。あーあ それはさておき、ショートケーキってすごい。1ホールでもショートケーキ、だけど、1ピースに切り取られても

          ショートケーキの絶対性について

          波間

          水の音が聞こえる。 人間にとって原始、だからひどく安心する。それと同時に、恐ろしくなる。命をもって生きるということは、苦楽にさらされ生きるということ。ときに耐え難くもなるそれ。毎日泣きながら生きるわたしは、その音で頭が割れそうになることがある。 耳をすませば色々な音が聞こえるが、大きな音はいかづちのような衝撃をともない鼓膜を突き刺す。まるでなんでもないことだ。普通の人が普通にできること、わたしにもできていたこと、が、ある日突然できなくなる。くやしい、くやしくてこわくてたま

          心は疲れているかもしれないけど文を書くということ

          note、ずっと使ってみたかったけど、なんだか文章を書く気力もない、発信できることも大してないと思っていたから今まで使うことはなかったけれど。 今年10月に病院で適応障害と診断されてから、文章を書く気力もなくなって、健全な精神でなければそういうことも楽しめないのかなと思い始めてしまった。でもやっぱり、頭の中がぐちゃぐちゃしていても、書くということで何かプラスに働けばいいなと思い、始めてみることにしました。 書く内容は日記だったり好きなことだったり、いろいろ。 ながらく趣

          心は疲れているかもしれないけど文を書くということ