2DKでは狭すぎる
先日、娘は高校の体験授業を受けた。週1日~4日の通学か、インターネットを使ってほぼ自宅で授業を受けるかのどちらかを選べる、発達障がい児を専門に受け入れる高校だ。
2週間前、1週間前、3日前、前日とカウントダウンしながら気持ちを整えさせたが、案の定当日の朝は行きたくないと言ってベッドから動こうとしない。しかしここは引き下がる場面ではない。7月、8月と、ほんの少しずつ変化の兆しが見えだした。打ちひしがれて萎れ切ったような弱々しさが影を潜め、内側から力が湧き始めたように感じる。
「そうか。行きたくないか。でも、今日は行こう」
背中を押す力を少し強めて様子をうかがう。娘は、「うー・・・」と頭を抱えてうずくまった姿勢から、頷きながらおもむろに起き上がり、「何を着ていこう」と言った。よし。エンジンかかった!
学校では終始緊張していたが、パソコンを使った授業の体験から、在校生を交えた懇談会まで1時間半、最後まで正気を保って座っていられた。これは奇跡的と言っていい。
高校の先生方から「よく頑張って来たね」と声をかけられて、帰りの車で「分かってるやん(''∀'') そうよー。頑張って来たよ~」とボソッとまんざらでもない様子で呟いた。
先生の気遣いはもとより、在校生の様子にも感慨深いものがあった。5人の生徒が自分の中学校時代の事を話してくれたが、ほぼ全員が不登校経験者だった。目の前の受験生が今抱えている不安を十分理解した上で、言葉を選んで誠実に一生懸命、話してくれた。当時の辛い事を思い出してつい話がヒートアップしそうになる生徒がいると、隣に座った子がさりげなく背中に手を添え、他の子たちも穏やかに頷いて見せる。と、それが合図というように話が止まり、誰かがすかさず言葉が足りない部分をフォローする、といった具合。お互いが理解し尊重しあってその場が成り立っていた。
それぞれ発達の課題を抱えた子たちであり、入学前は不安で一杯だったに違いない。一人一人が取り組む問題はありつつも、認められ安心して過ごせる環境が人を成長させるという好例を見る思いだった。
帰宅直後の娘は神経をすり減らしているので、数日後、改めて感想を聞いてみた。「前にお母さんが、『ここでいいや』という決め方じゃなくて、『ここがいい』と思える学校に決めた方がいいと言ってたでしょう。この学校がいい、と思う」
少しずつ、娘の中で変化が起きている。「あー。なんかイライラする」と言う娘に、思い切ってこう言ってみた。
「あんたにこの2DKは、もう狭すぎるのよ。もっと広い世界があんたを待ってるんじゃない?」
「そうだ!」
その返事への驚きは努めて表に出さず、「そうだ、そうだ~!」と応じる。ここまで3年。娘の変化を、穏やかに受け止めて育てたい。
最近、4年前のフェイスブックに書いた内容が「当時の記事」としてあがってきた。当時の自分の無知、無理解がいかに娘を傷つけたを思い知った。本人の回復力に感謝する思いだ。