グレープフルーツゼリーの迫真
トークイベントに行って、会場の書店のドアを開けるなり、店主さんより早く「イベント(を観覧する人)ですか?」と、その日のゲストさんから朗らかに声をかけられ、展示や物販を案内されて10月の夜だというのに汗が止まらなくなった。気さくな人ってほんと気さくだ。
ライターの朝山実さんがノンフィクションの書き手に話を聞く「インタビュー田原町」シリーズ、キッチンミノルさんの回に行ってきた。わたしはどこかから注文を受けて何字×何行の原稿を物するライターなので、このシリーズに登場するライターさんたちのことはただまぶしく仰ぎ見るばかりだけど、それでも共通する工程はあるので参考になる。参考になるけど、実はもう、参考になることもさほど求めてはいない。ライターという切り口に惹かれてこのイベントと出合い、面白いことが分かったので通っているだけだ。会場のReadin' Writin' BOOKSTOREさんがすてきだし。
キッチンミノルさんは写真家で「しゃしん絵本」の作家でもある。今回は今年5月刊行の「ひこうきがとぶまえに」というしゃしん絵本がインタビューの主題。この本、文は子ども向けに平易に書かれていて、子どもたちをきっと楽しませていると思うけど、取材と情報整理が綿密に巧みに行われているので、大人でも知らなかったことを知れる。そして、やっぱり写真に心をつかまれる。飛行機のエンジンを捉えた写真なんか、ジャンボの内臓を見るようで、きれいですごみがある。
レポートは公式(朝山さんのnote)を楽しみにするとして、例によってわたしはわたしが覚えていること思ったことをぽつぽつと書きつけておく。録音もメモもしていないので、「」で引用している言葉は、きっとこの通りではないです。
「ひこうきがとぶまえに」は、テキサスブックセラーズという出版社から出ている。これが実はキッチンさんが立ち上げた会社。なんで「テキサス」かといえば、キッチンさんの生まれ故郷だから。5歳までテキサス州フォートワースにいたそうで、以降は日本。英語はからっきしだそうだ。
大人になってキッチンさんは自分のルーツを見たくなり、テキサス時代の家を訪ねた。家は残っていて、しかし別の家族がもう住んでいる。写真を撮らせてくれと頼んでも当然嫌がられるが、「実は自分は昔ここに住んでいて」云々と書いたものを見せると撮影を許してもらえたそうだ。
キッチンさんいわく「アメリカ人、自分探しとか大好きなんですよ」。アメリカ人のロマンチストな性分を利用して、他人の家のキッチンで皿洗いする自分をタイマー撮影するキッチンさん。リビングのソファーでテレビを見る自分を略。アメリカ人家族の困惑顔が目に浮かぶようだ。
テキサス~を立ち上げたのは、「ひこうきがとぶまえに」を出すためだった。ひこうきは雑誌の付録冊子シリーズの1冊で、ほかの冊子は発行元が単行本にしたものの(キッチンさん作のも出ている)、ひこうきは単行本化が見送られることに。それなら出版社ごと自分で作ってやろうという発想に至ったのだそうだ。自費出版ではなく、出版社を立ち上げたうえで、その会社負担で制作・発行するというやり方。
「本を出そうという企画が立ち上がっても、『で、どこから金を引っ張りますか』という話になる。みんな、自分のものに投資しませんよね」
ひこうきは初版部数を全て配本済みで返品はごくわずか。これはかっこいい。何をかっこいいとするかが裏返るかっこよさ。
わたしは、出版社の賢い人たちが立てた企画に呼ばれることがかっこいいことだと思っていた。何から何まで、自分の仕事の値段まで、知らない人の言いなりでも、取り分がどんなに少なくても、それがかっこいいことだとかたくなに信じていたのだ。“これは世に出すべき本”と自分が真っ先に信じて投資をすることがかっこよく思えないなら、それは自分か、自分を取り巻く環境が不健康なのではないか。今はそう思う。来月になって、もう違う心境になっている可能性はある。
写真の話も当然多かった。『AERA』で「はたらく夫婦カンケイ」という連載が始まるとき、写真担当に指名されたキッチンさん。妻と夫がそれぞれあさっての方向を見ていたり、真顔だったり、夫婦記事のセオリーを外れたような写真を撮り、AERAもそれを掲載していた。なぜなのか。
キッチンさんの答えは「笑顔の写真って、笑顔以外の情報が入ってこないんですよ」。なるほど。確かに「幸せそう」「よかったね」としか思わないかもしれない。特に夫婦の写真で笑顔だと。
ちなみに今、この連載はAERA dot.で無料で読める(すごい)。今では連載にさまざまなカメラマンが参加していて、記事一覧ページに並ぶサムネイルの夫婦たちはわりと笑っている。結婚産業メディアの広告みたいなキラキラのもある。中に、キッチン魂を受け継いだのかどうなのか、真顔フォトもあるのが味わい深い。
落語家の春風亭一之輔さんに密着した『春風亭一之輔の、いちのいちのいち』を中心に、あの写真この写真を撮影者ご本人に解説してもらうくだりもあった。写真の横幅半分が暗幕で、半分はライトに照らし出された高座と一之輔さん、という構図の写真について、「落語家の春風亭一之輔ではなく、人間の一之輔さんを撮りたかったから」とキッチンさん。その感覚はなんとなくわかる、と思った。
わたしは仕事で俳優さんにインタビューする機会が多い。たくさんの媒体をひとところに呼んで15分ずつとか、いわゆる取材会がほとんどだ。15分や20分の間に、彼女や彼が俳優以外の何かに見えることはほとんどない。だけど、たまに何かのきっかけで、この人もひとりの人間で、今日は仕事でここに来て今はわたしと話している、ということにいきなり思い至る瞬間がある。
例えば、昔のことだけど、沢尻エリカさんが「現場でそういうのを見っけていけたらいいなと思ってます」と言ったとき。「見っけて」を聞いたときに、俳優業をしている沢尻さんという人に会った気がした。口癖とか、役から離れた話し方が出たらいつもそう感じるかといえばそうではない。理屈はわたしにもわかっていない。
キッチンさんは、暗幕が写真の多くを占め、人物が相対的に小さく写ることで、高座の噺家が「遠花火」のように見えるんだとも言っていた。朝山さんが本を開いてその写真をこちらに見せてくれるのを、わたしは2階から見ていた。なお遠い遠花火。それでも美しいのはわかった。
写真は現実そこにあるものを写し取るけれど、角度だったり、枠内にどこからどこまでをおさめるかだったり、いろんなことを撮り手が選び取っているのであって、人間の意思の表れる仕事だ。そのことをキッチンさんは「グレープフルーツゼリー」にたとえて話していた。
「グレープフルーツの中身をくりぬいて、ゼリーにして皮に詰めなおしたのがあるけど、“だったらグレープフルーツを食べたらいい”とはならないでしょう。それはゼリーがグレープフルーツの持ち味をぎゅっと凝縮しているから。写真も同じことです」
素材に対して人が腕を振るうことの意味。先日、わたしは18世紀に都市景観画を多く描いたカナレットという人の回顧展を見てきた。
カナレットは非常に正確に、建物や船や人物の輪郭や遠近をつかんでキャンバスに再現することができたけど、時にはあえて建物を実際の位置からずらして描いたりしている。現実にはこの橋が見える位置からはこの建物が見えないなど、観光客目線で“惜しい”風景だったりするのを、どちらも描き込んで人々を喜ばせたのだという。
わたしはこのことを日経新聞の記事(赤塚佳彦記者、2024年8月10日)で知って俄然、カナレットの絵が見たくなった(行ってみると展覧会のキャプションにも同様の解説があった)。一度だけ訪れたことがあって大好きなヴェネツィア。水位が上がった下がったとニュースで見るときにはない“また会えた”感があった。最新のアニメ映画かというぐらい明瞭な線は、見て気持ちがよかった。
“事実に徹底的に忠実”とはいえないけれど、“真実にできるだけ接近してやろう”という野心的な試み。東京・荻窪で復原整備中の荻外荘(近衞文麿旧宅)プロジェクトでも同様のことが行われている。荻外荘の主は何度か代わって、増改築が繰り返された。杉並区はこれをある時期の状態に戻して保存公開するそうだ。具体的にはざっと、近衛の第1次内閣が発足した頃から終戦を迎えて自害する頃まで。
「〇年〇月〇日時点」ではなく「1937年から1945年」と期間があるのは、邸宅の各部をそれぞれ人々の想起する姿に近づけるためだ。時の首相の邸宅は何度か歴史的な場面の背景になっていて、新聞にも載っている。荻外荘の玄関といえばこの位置、この形という人々に共通のイメージがある。しかし、イメージ通りの玄関と応接室(だったかどこだったか)が同時に並び立っていた時期が実はない。だから「この年代」の状態に復原するという言い方になる。今年12月に区立公園としてオープンするそうで、きっと訪ねようと思っている。
松田奈緒子の漫画『重版出来!』の7巻に、グラビアアイドルの写真を修整するエピソードがあって、これもちょっと近い考え方かもしれない。“実際に目の当たりにしたときの旬のアイドルのまばゆいたたずまいは、二次元に写し取ろうとしても限界があるので、修整を加えてきらめきを再現する”というふうな説明を受けて、主人公の新人編集者のモヤモヤが晴れる展開だったかと思う。余談が長い。
写真について語るキッチンさんの言葉は、どれもすごく力があった。矜持や主義があって、写真に不案内なわたしでもずっと聞いていたいものだった。そんなキッチンさんが「アイドル写真集ってすごいんですよ。ページをめくるだけで恋人気分が味わえる。あれはそう簡単に撮れません」と、ファングッズとしての写真集を下に見ることなくリスペクトしていたのが心に残る。
あと、「赤袋」。飛行機の整備に使う道具はどれも横文字でかっこいいのに、赤い巾着袋だけ「赤袋」なものだから、キッチンさんも初めて聞いたときは「アカブクロ? どんな綴り?」と思って、聞こえているのに聞き返してしまったそうだ。なお、取材したJAL以外の会社でもそう呼んでいるかどうかは不明とのこと。ANAが「レッドパウチ」とかって呼んでいないことを祈りたい。マイレージをためているので、できれば鞍替えしたくないと思っている。