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短編小説「廃墟の夢」

 自衛隊とロシア軍の交戦がまもなく始まる見込みだと、テレビの報道が繰りかえしていた。場違いなくらい穏やかな声で。解像度のやけに低い、粒の粗い映像に、カーキ色のヘルメットを被ってゆっくり動いている人影と、止まった戦車とが映っていた。安全と思われる長い距離を取ってから、望遠レンズを使って撮影しているのだろう。機密に関わるからなのか、不安を煽らないためなのか、その場所がどこなのかは語られなかった。まもなく、おそらくロシアの側から発砲があり、自衛隊が応戦して戦闘が始まるようだ。それはまた、戦争が始まるということなのだろうか。国際法でどう定義されているのかわからない。いつもならここぞとばかりに微に入り細を穿った解説をするテレビ報道がきょうに限っては多くを語らず、現場の光景をそのまま提示している。映っているのがロシア軍なのか自衛隊なのかさえはっきりしない。数日前から緊迫が始まっていた現場に、今日は何かの兆候が読み取られたということなのだろうか。
 全国で小中高の体育館に地域ごとの避難所が開設されていたものの、実際に避難している人はほとんどいなかった。直撃するミサイルから防衛する力もない薄っぺらの建物に人が集まっていたら格好の標的になるだけだと誰もが思っているようだった。ロシア軍と自衛隊の衝突がおそらく日本の領土のどこかで始まりそうだという一報以来、人びとは目の色を変えてスーパーやコンビニに殺到し、どの店でも瞬く間にすべての陳列棚が空になった。どこから手に入れたのか、法律では所持を禁止されているはずの銃器で武装する人も少なくなかった。意味はないと思いつつ、ぼくは自宅の窓の外のシャッターをすべて下ろしていた。
 テレビの画面を見続けていた。今日も激しい動悸が収まらない。何日めになるのだろうか。社会のすべてが止まっている。電気やガスや水道といったライフラインに携わる人びとも家に籠り始めていて、すぐに現場で人手が足りなくなるので、緊急事態条項で強制的に出勤させようとしているらしいという話があった。すぐに止まってしまうかもしれない。すでにどの家でもありとあらゆる容器に水を貯めていた。この報道がいつまで続くのかわからなかった。
 街に出てももうどの店も閉まったままなので、外に人影はなかった。家の周りでは鳥たちの声だけが響き、あとはどこまでも無音だった。うちには多くはないけれど災害用の備蓄があるので、食糧はあと一週間くらいはもつだろうか。あるとき不意に、テレビ画面のなかに白煙が立った。どちらからの攻撃かはわからないけれど、これで始まるのだろう。
 八十年間、戦争と縁がなかった国でふたたび戦争が始まる。前の戦争を経験した人はそう多く残っていない。ほとんどの国民にとってこれは初めての経験になる。指導者たちにとっても、戦地に立つ自衛隊員にとっても、兵器を作って売る人にとっても、国の進む方向を決める力を持たないに等しいぼくたち末端の国民にとっても。胸で動悸が激しさを増すのを感じながら、次々と音もなく立つ白煙に見入っていた。

 久しぶりにその夢を見て目醒めた。動悸が続いている。狭い空間を完全に閉ざして寝ていたせいで、酸素が薄くなったからかもしれない。いったん落ち着こうと、ポリタンクに溜めてある水を零さないように気をつけながら錆びかけたシェラカップに注ぎ、ちびちびと飲んで喉を潤す。
 始めの頃はそんなふうだったことを思い出す。迫り来る未知の脅威に怯え、ただ呆然として、それでも目の前の状況をなんとか理解し、順応しようと、誰もが必死だった。時が経てば不思議と、ぼくたちはどんな状況にも慣れて鈍感になってゆく。
 いまではどこかで喧しいアラートが鳴っても、空をミサイルが通過しても、誰もが気にせずに外を出歩いている。最初の頃はミサイルが着弾した地点、被害の状況、死者の数やプロフィールが詳しくテレビで報道され、多くの人がそれを注視していた。知り合いの知り合いが、友人の家族が犠牲になり、家族の知り合いが、友人が犠牲になり、感情は少しずつ麻痺していった。いつしか情報が曖昧になり、嘘だらけになったテレビを見ようとする人はいなくなった。火葬されないままの無縁の遺体がそこここに転がって腐臭を放ち、カラスの群れに啄まれている。この辺りで見ることのなかった鷲か鷹のような鳥も増えていて、カラスを押しのけて屍肉を貪る。かつては想像さえしたことのない惨禍のなか、淡々と日常生活が営まれている。
 東京には廃墟が広がり、生き残っている人びとは新たな爆撃を避けるために無傷のビルには近寄らず、むしろ半壊の建物や瓦礫の物陰に住んでいる。死が怖くなくなったわけではないけれど、ミサイルの飛ぶ音に慣れ、着弾の振動に、炎と熱と粉塵に、血や人体の焼ける匂いに慣れ、それらとともに生きることが当たり前になった。
 軍備増強とか和平交渉とかアメリカからの支援とかについて指導者たちは議論しているのかもしれないけれど、周りではもう耳にしなくなった。国家というあまりにも抽象的なものの影が感じられることは、少なくとも東京のこの辺りでは減ってきている。庇護や恩恵がなくなっただけでなく、抑圧もまったくなくなっている。
 誰もが毎日食べるものを確保するのに必死で、それ以上のことを考える時間も余裕もない。ぼくの日々は、コミューンの人たちといっしょに近くの川に設置した新しい浄水装置のこと、かき集めたソーラーパネルの残骸を使って作った充電器のこと、倒壊した家の瓦礫を焼き払って耕した畑で育てているじゃがいものことを考えて慌ただしく過ぎてゆく。まもなく訪れる冬を乗り越えるためには、仮に立て掛けて組んであるだけの壁をしっかりと固定して隙間を塞ぎ、寒さを凌げる屋内を作らなければならない。
 かつての平穏な時代から見たら、この暮らしは悲惨以外の何ものでもないかもしれない。でも、以前の時代に戻りたいとは微塵も思わない。ぼくはいま、爆発で火災が広がった街を逃げ惑っていたときに出会った女性といっしょに暮らしている。彼女のお腹のふくらみが大きくなっていて、年配の人たちは、もう一ヶ月もしないうちにその子が生まれてくるだろうと話している。そのかけがえのない命が生まれないかもしれない過去の世界に戻りたくはない。いっしょにコミューンを作って暮らしている人たちも多くは先の計画を立てて前を向いている。おそらく後ろを振り返れば絶望してしまうことを知っているから。より強力な兵器が使われれば逃れる術はなく、すべてが一瞬で終わることもわかっている。でも誰もそんな噂話はしない。まるで自分たちが不死身であるかのように、この荒廃した土地にふたたび街を立ち上げ、いつかはもしかすると国のようなものも作り直す夢をぼんやりと分かち合って、暮らし続けている。

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