キャンパスの奥、背の高い木々に覆われた一角にあったその寮は、ぼくが大学に入った年にはすでに廃止が決まってから五、六年が経ち、荒れ果てた廃墟になっていた。半世紀近く前に建てられたレンガ造りの建物はあちこちが瓦解していたし、電気もガスも水道も長いあいだ止まっていて、扉もなくなっている入り口から足を一歩踏み入れるだけで、饐えた匂いが鼻を突いた。その寮に、学生なのかそうではないのか、いまでも非合法に住み続けている人たちがいる、と聞いたときには、東京の真ん中にあるキャンパスでそんな文
Fですか? はい、友達ですよ。中学と高校がいっしょで、そのあとおれもあいつも上京して、大学は別のところだったんですけど。もう十年以上の付き合いですね。どうかしたんですか? えっ、捜索願? いなくなったってことですか? 生きてますよね? いや、うちには来てないです。あいつがここに遊びに来たこともありますけど。このマンションには三年くらい住んでます。あいつと最後に連絡取ったのは、一ヶ月以上前ですね。確認しましょうか? そうですね、「今の案件が山場越えたら連絡するわ」ってメッセー
自衛隊とロシア軍の交戦がまもなく始まる見込みだと、テレビの報道が繰りかえしていた。場違いなくらい穏やかな声で。解像度のやけに低い、粒の粗い映像に、カーキ色のヘルメットを被ってゆっくり動いている人影と、止まった戦車とが映っていた。安全と思われる長い距離を取ってから、望遠レンズを使って撮影しているのだろう。機密に関わるからなのか、不安を煽らないためなのか、その場所がどこなのかは語られなかった。まもなく、おそらくロシアの側から発砲があり、自衛隊が応戦して戦闘が始まるようだ。それは
コンクリート造りの部室に差し込む九月の西陽をスネアドラムのリムが反射して、白い光が目に刺さった。セッティングを終えた尚樹のレスポールは、すでに一時間あまりスタンドに立てかけられたままになっている。約束の時間を四十分は過ぎていたけれど、ハルが来る気配はなかった。「また寝てるんだよ。先に始めよう」と尚樹が穏やかな口調で言いながらギターのストラップを肩にかけた。大学四年生のぼくたちにとっては最後の定演に向けたリハーサルだったし、サークルでずっと使っていた六本木のジャズバーはその年
黄色とオレンジのガーベラを挿した陶器の花瓶をテーブルに置いた。部屋は整ったので、あとは料理の準備をするだけだった。玉ねぎとにんじんとセロリのみじん切りを弱火で炒めたあと、牛挽肉を入れて塩で味を整えて、缶入りのトマトを加えて煮詰めて作るラグー。溶かしたバターに小麦粉を篩い落として、薄く色づいたところで温めた牛乳を注ぎ、ていねいに混ぜて作るベシャメル。茹でたラザニア。ガラスの耐熱皿に順に敷き詰めて、いちばん上に擦り下ろしたパルミッジャーノをかけて、十二時に食べやすい温度になるよ