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失敗には「本人の糧になる失敗」と「本人にはダメージだけで周囲の糧になる失敗」がある

反脆弱性」からの個人的な振り返りを書く。

まとめ

・失敗には「本人の糧になる失敗」と「本人にはダメージだけで周囲の糧になる失敗」がある
・本人にはマイナスのほうが大きくて、周囲にとっては大きな利益をもたらす失敗には心理的抵抗があるが、実際に発生している
・まずは二つの失敗を同一視しないところからスタートする

本人の糧になる失敗

仕事で失敗をして、そこから学びを得て成長する。わかりやすいから例も省く。

本人はダメージだけで周囲の糧になる失敗

例えば飛行機墜落による死亡事故。自分は飛行機に乗っていて死亡した。今後同じ事故を防ぐために、周囲にはプラスの学びがあったとする。「だからよかった」とはならないはずだ。

本人にはマイナスのほうが大きくて、周囲にとっては大きな利益をもたらす失敗には心理的抵抗があるが、実際に発生している

例えば100人のチームがある。その中のひとりが、大失敗をしてしまった(本人が原因ではない場合も含む)。本人は心理的負担も大きく、かなりダメージを喰らったとする。代わりにチーム(=残りの99人)にはかなりの学びがあった。同じことが起きないような改善も行い、今後の糧となった。

もちろんダメージを食らった当事者の心配はしつつも、チーム視点だけで考えると、「学びもあったし、次は頑張ろう」という判断もありえてしまう。大ダメージを喰らった本人からすると、「本人は取り返せない大ダメージで、周囲は大きな学びを得る失敗」を許容されるのは許せないはずだ。

失敗時のダメージ量をコントロールすればいい?

もちろんできるならやればいい。それが出来ないときの話をしている。これは単なる個人的な経験でしかないが、本人にはマイナスのほうが大きくて、周囲にとっては大きな利益をもたらす失敗はたくさん存在している気がする。俯瞰した視点だとそれを許容することになるのだろう。でも、自分が取り返すことができないダメージを喰らう側になるのは、ほとんどの人が嫌がるのではないか。だったら、それを許容するのはおかしいはずだ。許容するしないに関わらず、現実問題として発生してる、ということかもしれない。

「本人の糧になる失敗」と「本人にはダメージだけで周囲の糧になる失敗」を同一視しない

まずは二つの失敗を同一視しないところから始めるのはどうか。少なくとも私は混同していた。

今回は以上です!


おまけ:大変な経験で強くなったのではなく、強い人だけが生き残った

「あの経験があったから、このチームは強くなった」という考え方がある。一方で、実際にはそのチームから脱落してしまった人がいて、単に「もともと強い人だけが生き残った」という解釈も可能だったりする。

システムとして選別されただけなのに、個人が強化されたと思い込んでしまう。これも失敗からの糧とつながってそうなので、書いておいた。

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柴田史郎
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