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ルーティンのその先へ

こんにちは!四月一日庭の車田です。
今日は、自分自身を信頼できているかどうか、どうやってわかるかというお話をしてみたいと思います。


・ルーティンとは

自分自身の平常というものに立ち戻るのによく使われるのが、日々の暮らしの中で、毎日決まった行動、行為を行うという方法があります。
俗にいうルーティンワークというものです。
それをすることで、心を今現在に引き戻す。
今ここにつなぎ戻す。

これは、自分自身の在り方を取り戻すのに、とても有効なことだと思いますし、算命学的には、害という位相法を命式に持っている人には特におすすめです。
算命学については以下の記事をご参考ください。

ですが、本当に大切なことは、そのルーティンが無意識に行えるようになった先にあると私は思っています。

意識して行わなければならないうちは、自分自身の心の揺らぎや、絶え間なく変化し続けるこの世界の在り方に不安感を覚えている状態といえます。

無意識に行えるようになったからといって、その不安感を拭えるわけではないです。

その先なのです。

どんな変化がやってこようとも、自分自身の心がどんなに揺らごうとも、その状態を丸ごと受け止められるかどうか。
その状態で「良いのだ」と思えるかどうか。

無意識に行えるようになると、途端に心の領域が幅をきかせ始めます。
心の声がうるさくなる感じです。
無心になることが難しくなる。
それでも、ルーティンを行う時間は必ず用意されています。

何度も何度もこなれた作業を行うことで、ルーティンを行なっていない時間には感じられない外界の変化に気が付きやすくなります。
そして、自分自身の変化にも。

・変化は調和に向かう。人間の性(さが)。

自然界の法則は、無常であること。つまり変化し続けるということ。そしてそれは常に調和に向かっているということ。

変化というのは、過程に過ぎず、世界も自分も今現在より「(人間は)良くなろう=(自然界は)調和しよう」という方向に動き続けています。
自然界における調和とは、気の流れがスムーズであること。自然であること。なんの無理矛盾もない状態このとを言います。
それが、人間にとっても良いことかどうかは、個人の命式に則った主観で見ると断言できませんが、客観的に見れば良いことであると私は思っています。

そもそも人間が矛盾を抱えて生まれてくることに、意味があるように思えるからです。
矛盾がなければ、良くなろうという欲そのものも生まれにくくなると思うからです。

もちろん、投げやりになってみたり、自分を傷つける人もいるでしょう。
ですが、初めから純粋にそれを望む生命体は、基本存在しないと私は思います。

なぜなら、全ての生命体の使命は、生き残り、未来に命を繋ぐことにあるからです。
でなければ、進化し得ないからです。

・ルーティンの内容

ちなみに、ここまで書いておいてなんですが、ルーティンワークの内容に関しては、できれば自分自身と無心で向き合えるような何かであると良いだろうなぁと思います。
物理的な場を整えられるような何か。
丁寧に意識を集中させる必要のある何か。
肉体と精神を両方忙しくする必要のある何かです。

日本人は文化的にもこういった行為をすることにはあまり抵抗がないように思います。

私は朝起きたら、全ての窓を開けます。
そして掃除をします。
床は拭き掃除。玄関のたたきも水拭きします。
そしてトイレも便器の中までピカピカにします。
洗剤は使わず、素手でやります。

ただそれをやるだけで、季節の変化を痛烈に感じますし、今日どんな服装をしたらいいか当たりがつけられます。
風の匂いの変化にも気がつけますし、自分自身の調子の良し悪しにも意識が向きやすいです。
冬でも、夏でも同じです。

私がこれを始めた理由の一つは、何年か前に、自分の部屋をサンクチュアリ化しようと決めたからです。
毎日過ごすその空間が、最も自分に影響を与えると思ったからです。
何年かかけて、本当に必要なものはなにか、時間をかけて整理しました。
自分自身も変化しますので、その変化とともに整理する必要があったため、それなりに時間がかかったのです。

・時間をかけて整理すると見えてくること

不思議なもので、洋服やカバン、靴といったものたちの中で、値段が高いから長く保つというものでもないのだなということを知りました。
どんなに高くて気に入っていても、使えなくなることは多々あります。
逆に、思入れも大してなく買ったものを長く使っていることも多々あります。

そこにはどんな差があるのだろう。
と、度々考えてきましたが、それはある種の縁のようなものなのだろうとしか思えません。
自分がどんなに望もうと望むまいとに関わらず、流れてゆくもの。

だから、思入れもなく買ったものでも、長く使うものにはそれなりの思いが入りますし、思入れが強くて買ったものも、目の前からなくなってしまったら、時を経ていくごとに薄れていきます。何年か経つとほとんど思い出さなくなったりしてしまう。

かつて買ったものの、ほとんど使わなかったものが、数年経って急にたくさん使い始めることもありました。

今の私は、かつての自分が蓄積したものをうまく活用して成り立っています。
何かを新しく買い足すことが減りました。

モノも、人も、環境も、そして自分自身が変化し続けるからこそ、その在り方をそのまま丁寧に眺めて落とし込んでいく。
するとそこには、一種の「ありがたみ」みたいなものを感じられるようになります。
二度とない今という瞬間においてです。
その貴重さが沁みてきます。

これが自分を信じ、この世界を信じることができている状態であり、自ずとこの命の貴重さが心に沁みる。

そういうものが、ルーティンの先に見出せるのではないかと思います。

今日はクリスマス。
子供の頃、無邪気に何かを欲しがった、その心も大切に。
しかし何よりこの有限である世界、そして自分の存在にも目を向けつつ、年の瀬に向かってもう一息、自分を整えていこうと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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