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ゆっくりだけど着実に、確実に、成長しているよっ

朝日新聞デジタルでnoteで(勝手に)おなじみ岸田奈美さんの記事を拝見。

ダウン症のある弟さんの成長について「寿命が200年あれば、私たちとほぼ同じ生活ができるんじゃないかな」とおっしゃられていて、ちょっと納得してしまった。

ダウン症のある子どもを育てている親としては、200年と言わず、100年くらいでお願いしたいところだけれど、肝はそこではなくて、

ゆっくりなんだけれど成長し続ける

というところ。

我が家の長男は、2年生の時になんとかわかりかけてたはずの足し算引き算が、3年生で数字の書き取りまで巻き戻り、そこから1年かけて今、再び、足し算引き算わかりかけの状態である。

行きつ戻りつな息子の勉強を見ていると、

「これ2年前も見たような・・・これはデジャブか?デジャブなのか?」

というくらい同じような問題を繰り返し解いているように見える。

行きつ戻りつしながらも、成長中、なのだけれど、親だから欲が出てしまう。

階段を登れたら、できれば登り続けて欲しい、と思ってしまう。

ゆっくりだけれど着実に成長するのだから、焦らずに見守るのが親としてベストな姿なのはわかっている。

わかっているのに、だまって見守れない。

ついつい、もっとがんばってほしいとハッパをかけてしまうし、しっかりやれと叱ってしまう。

息子はすでによくがんばっているし、がんばってほしいならばうちの息子の場合「褒める」以外に手はない。それはわかっている。わかっているのに、なぜできないんだ私!

叱るのもハッパをかけるのも息子には響かないのに、どちらもついつい繰り返し、とうとう息子は「ママとは勉強しない」という結論にたどりついてしまった。とほほ。

親としての期待があるので、行きつ戻りつの「戻り」が見えると焦ってしまうし不安でソワソワしてしまう。どーんと構えて過ごせない。不安の威力はすさまじい。

でも、語弊を恐れずに言うと、人間の成長って20歳くらいで止まるものだと漠然と思っていたのだけれど、ダウン症のある人は20歳すぎても確実に成長し続けるんじゃないかな、と思う。

ゆっくりなだけで最終到達点は健常の方とさほど変わらないんじゃないだろうか、なんて思う時もある。

これが正解か不正解かはさておき、そう思うと結構将来が楽しみになってくるのです。

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