幼い頃の性格は年をとっても変わらない。
タイトルは、「三つ子の魂百まで」という言葉の意味。
28歳の今、物心ついた頃を思い出しながら書き進めてみたい。
この記事を書くに至ったきっかけ
本記事は、アドベントカレンダー企画の執筆者のうちの1人として書いている。企画参加者のうち、誰かから届いた「キーワード」をもとに書きたいことを自由に書いていくのだ。
そして今回、私がいただいたキーワードは先ほど述べた「三つ子の魂百まで」である。
聞いたことはある!という感じだけど、日常生活では中々使わない言葉。そして、自分が書く文章の中にこのキーワードを織り交ぜるのは、きっと人生初!
2022年の終盤にして「人生初」の経験がまたひとつ増えたことを喜ばしく思う。
このキーワードを贈ってくれた方に対して感謝の気持ちを抱きつつ、幼い頃の自分を思い出してみよう。
幼い頃の自分
自分が3歳の頃(幼い頃)の記憶は無いのだが、以前に親へ「どんな子供だった?」と聞いたことがある。
その時に言っていたのがこの2つ。
とてもかわいかった
ここについては、私はまだ親になったことがないので分からないが、世の中のお父さんお母さんは、共感してくれる部分もあるのかなと思う。
我が子ながらとてもかわいかったようだ。
うん。なんかそんな気がする。
ただ今回ここは深堀はせず、これぐらいにしておく。
勝手に色んなところに行っちゃう
これは、例えばスーパーに行ったときに「目を離したら居なくなっていて、知らない人と話している」みたいなことらしい。
子どもは自由に動き回ったりすることが多いと思うが、私の場合は、特に多かったのかもしれない。
なぜいつも勝手に動き回っていたのか。
明確な理由はわからないが、自分なりに推測すると親に「ここに居ておきなさい!」と強く言われたことがないからだと思う。
思い返してみると、物心ついたときから「○○をやりなさい」「○○をしなさい」と言われた記憶がない。(あったのは、○○をやってみたらどう?という提案程度)
例えば、勉強をやりなさい!と言われることもなかった。
実際は私が都合よく忘れているだけかもしれないが、私の感覚としてはそのように残っている。
精神的に自由だった気がする!
なので、”勝手に色んなところに行っちゃう”というのはつまり、”私が自由でいることを尊重してくれていた”ということなのだと思う。
2022年の自分
さて次は一気に時間を進め、現在の自分について。
もう12月なので、2022年を振り返りつつ先ほどの「勝手に色んなところに行っちゃう=自由である」は、今の自分に残っているかを考えてみたい。
今年、自由に動いたなぁと思うことを3つ挙げてみる。
全て自分がやりたいと感じ、実際に動いていった。「これだ!」と思ったら自分で勝手に決めて行動した。
そう思うと、やはり幼き頃の「勝手に色んなところに行っちゃう=自由である」という特性は残っている気がする。
100歳までの自分
最後はこれからの自分について。
100歳まではあと72年ある。
ただ人生経験を重ねていくうちに、
既に、自由度が減ってきているように感じる。
発想は自由であるが、行動はコンフォートゾーン内の選択肢から選んでいるような感覚。
もっと勝手に色んなところに行きたい。
もうこれは、意識的にコンフォートゾーンの外に出る癖をつけていくしかない。
など。自由に発想して、勝手に動いちゃおう。
例えミスしたとしても、すべったとしても、1年後にはほとんど覚えていない。(実際、2021年のミスもそんなに覚えていない。)
一方で、覚えているようなインパクトの大きいものは話のネタになるし、むしろラッキーだ。
自分のミスを明るく話せる人に惹かれるし、その方がなんだか色気がある。
100歳の自分はまだまだ先に居るが、2023年以降も、世の中の当たり前や人の価値観に縛られず、自分が思う通りに行動していきたい!
コンフォートゾーンの外にでるのが怖くなった時は、この記事を思いだして「ああ昔から自分はそういう人間だったよね!」と立ち戻り、自由に進んでいきたい!
まとまりのない決意表明みたいになったが、こんな感じでこの記事はおしまい。
三つ子の魂百まで。
なんだか好きな言葉になった。
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読んでくださった方ありがとうございました!
そして企画してくださった、
りみさん・まーさんありがとうございました!
そしてそして素敵なキーワードを
贈ってくださった方ありがとうございました!
残りの2022年と2023年もよろしくお願いいたします!(^^)!
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