「10数年前の僕たちへ」
先日開催されたAfter the Rainのライブを通して思ったことと、ツアータイトルにもなっているアルバム「アイムユアヒーロー」の話を中心に、あの日教室のドアの重たさに足を止めては逃げていた私がどうしようもなく救われていたまふまふという人間の音楽と、共に生きた「10数年」の話をする。
私が彼に出会ったのは十年以上前、小学生の頃。ボカロや歌い手という文化に触れ始めて彼を知った私は、その後レンタルショップで借りてきた「明鏡止水」という一枚のアルバムをきっかけに、まふまふの作る音楽と歌声にのめり込んでいった。
最初はただ好きなだけだった彼の音楽は、やがて救いになっていった。「林檎花火とソーダの海」。それから、「ベルセルク」「罰ゲーム」「立ち入り禁止」。その後も様々な音楽に救われ、泣いた。いじめ、性被害、家庭の問題、あの頃世界の何もかもを恨んでいた私にとって、彼の言葉は絶望の代弁であり、生きる希望だった。
中学二年生の頃、初めてAfter the Rainのライブに行った。キラキラしたステージと、普段は姿を見せない彼が人間のかたちから声を発している光景に胸が躍ったのを覚えている。
それから何度行っても、彼のいるライブでは必ず泣いた。ユニットでも、ソロでも。近くの席の人に心配されるほど泣いた日もあった。大好きだからというよりも、救いだったから。彼の音楽に生かされていることを実感する度に、何度でも涙した。
そうして生きて、生かされて、やがて私も大人になった。新たな環境に身を置き人との出会いを重ねるごとに少しずつ何かが変わっていって、二十歳を過ぎる頃には、死にたい理由は少しずつ減っていった。その代わりに、ただ漠然と、生きることが苦しくなった。死にたい理由が減っただけで生きていたいと思うことはできなくて、曖昧な希死念慮を抱えたままただぼんやりと生きた。世界の全てを恨むほどの感情はなく、ただゆっくりと生きて、時折襲ってくる解像度の低い苦しみに泣くだけの日々。
中高生の頃に刺さっていた言葉はだんだんと他人事のように思えるようになって、いつからか、彼の紡ぐ言葉に共感することが難しくなった。これ以上彼の暗い音楽に救われることはもうないと思った。大人になってもかつての気持ちはきっと忘れないけれど、漠然と死にたくなる日はまだまだあるけれど、あの頃に比べれば圧倒的に安定してしまっていて、呪詛を吐くほどの感情はもう薄れてしまった。彼の音楽に、無条件では泣けなくなった。
また彼の言葉が本質的に刺さる日を待ちながらも、今の精神安定を手放したくはなくて、ただ救いになりきらない音楽に体を預けていた。
精神安定なんて言うけれど、本当は、支えのない今の方があの頃よりもずっと不安定だったのかもしれない。ひとりで生きて、音楽の救いも得られず、根本的な原因の見えない希死念慮を抱き続けるのは苦しかった。だけど、私はひとりが好きだったし、それなりに忙しく充実した生活を送っているのも確かで、うまく泣けないから元気なのだと思い込んでいた。
そして、先週。彼の言葉が心に響かない寂しさを抱えたまま、After the Rainのライブに参加した。音作りが、歌声が、ユニットの調和が、演出が、何もかも素敵で、本当に楽しくて素敵な時間だった。もう泣けなかったらどうしよう、と不安を抱いていたのを忘れるほど、泣いた。どのライブでも泣いてきたけれど、どのライブも楽しかったけれど、これまでのどんなライブよりも救われた二日間だった。
不幸を生きることは、原因のない痛みを抱えたまま生き続けるのは苦しい。それでも明日生きるのに必要だと言われてしまえば、そうなのかもしれないと思うことができた。「きっと」「そうだよね?」と不確かな問いをこちらに投げかけてくる歌詞は、励ますというよりも寄り添ってくれているような気がして、その方が心地よかった。この不幸が必要だなんて背中を押されるよりも、必要なものだと一緒に信じようとしてくれる言葉が嬉しかった。
アルバム表題曲「アイムユアヒーロー」は、これまでにないほどストレートな歌詞で、歌で私たちを救うヒーローでいる、と宣言してくれるような優しい音楽。"ずっとひとりで頑張ってきたんだね"という歌詞を初めて聴いた時、私はひとりが好きだし頑張っていないから刺さらないね、なんて笑っていた。ひとりで頑張っている人は泣けるんだろうなと、他人事に思っていた。
だけど、ライブでこのフレーズを聴いた瞬間、彼らの音楽に支えられて生きてきた日々を思い出して、涙が止まらなかった。ずっとひとりでいることは苦痛ではなかったし、頑張っているとは言い切れない人生を生きてきたけれど、それでも彼らの音楽に救われるような日にはひとりが苦しかったし、何かを頑張っていなくとも生きることそれ自体を頑張っていたはずだった。「もうだいじょうぶ」と手を差し伸べられてやっと、これまでの人生をひとりで頑張ってきたことに気が付けた。
大人になってしまううちに彼の音楽に救われることが無くなったなんて大層なことを言っていたけれど、彼の音楽が私のそばにいつもあること、それ自体が救いだったことを思い知った。音楽とは言葉以外も救済たりうるものなのだと、今更思い出した。
いや、本当は音楽なんて直接的な救いにはならなくて、決して私の周りの何かを変えてくれるわけではない。けれど、「悲しくてたまらない時に一緒に泣いてくれる」のが彼らの音楽で、私はそれに助けられて生きてきたのだ。十年以上、ずっと。紛れもなく、それが救済だった。
ライブ中、本当に何度も泣いた。何もかもを憎めなくなっても、刹那の幸せを享受して生きられるようになっても、本質的に何かが変わったわけではなくて、ずっと痛みとともに生きていた。だから、アイムユアヒーローも、アイスクリームコンプレックスも、もしかしたら、大人になったからこそ刺さる音楽だったのかもしれない。
これまで"ずっと"とか"絶対"なんて言える自信はなかったけれど、出会って11年、初めて生で見て7年が経ってやっと自信を持って言えるようになった気がする。ずっと好きだ。絶対に。たとえ彼という人間のことを好きでなくなる日が来ても、彼の音楽だけは最後まで好きでいる自信がある。
これまでの人生の半分を彼の音楽と生きて、抱く感情は緩やかに変化して、それも好きだという気持ちはいつまでも変わらなかった。人を救うだけが音楽じゃないけれど、まふまふという人間の作る音楽は私にとっていつまでも救いだ。世界への憎しみが薄れて響く言葉が減ってしまっても、いつでも私の痛みのそばにあって、寄り添う姿勢で居続けてくれる。
死ねない理由を探す日々の中で、彼の音楽だけが、「生きたい理由」になった。死にたくないから生きていて、死ねないから生きている私は、この音楽と共に生きる。彼の音楽を愛しているから、生きていける。
自分の意思で生きることよりも、きっと他人を理由に生きようとする方がよっぽど容易いけれど。それでも、この選択を出来なかった私のことも、出来るようになった私のことも、いつか愛せたら、そんなにも幸福なことはないだろう。
音楽の救いを受けたって、日常は、私は、きっと何も変わらない。それでも、今日もこうして生きていく。明日もまた、生きてみる。何も信じられなくても、どんなに苦しくても。
それは紛れもなく、彼が教えてくれた生き方だ。
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