銀河フェニックス物語 【ハイスクール編】 第二話 花咲く理論武装 まとめ読み版
「う~むっ。わかんねぇ」
レイターは二隻の宇宙船を書いた紙を手にうなった。
悩みだしてから、きょうで三日目。
どうして左の船の旋回性が上がんねぇんだろ。
どっかで計算を間違えてる、としか思えねぇが、一体どこだ?
物理の教師にも聞いたが、全然わかってなくて役に立たなかった。
レイターはため息をついた。
アーサーに聞けば一秒で誤りを見つけ出すだろう、ってわかってる。
だが、できればあいつには聞きたくねぇ。
もう一度紙を見つめる。
ダメだ煮詰まってる。気分転換が必要だ。
レイターは紙を机の上に置くと、窓を開けた。
外は少し風が強い。花の香りが部屋の中へ吹き込んできた。
ここ、月の御屋敷ってところは、連邦軍の要塞には見えねぇ。窓の下に花園が広がっている。
アーサーの妹のフローラが、庭師のアンダーソンと花の手入れをしていた。苗を植えている様子が、二階のこの部屋からよく見える。
かわいい子だ。長い黒髪が風に揺れている。
この広いお屋敷で、彼女と顔を合わせることはほとんどない。アーサーの奴が、俺と彼女をあわせないようにしてるんじゃねぇかと勘繰る。
とその時、
窓から入ってきた風が、机の上にあった紙を吹き飛ばした。
「あっ! やべ」
紙が風に乗って、窓から外へ飛んでいく。
* *
「あっ! やべ」
という声が聞こえてフローラは振り向いた。
窓から白い紙が、こちらへ向かって飛んでくるのが見えた。
レイターが二階の窓から飛び降りようとしていた。
「止めて!」
思わずフローラは叫んだ。
「種が……」
レイターを心配したのではなかった。あの窓の下には、まだ芽の出ていない種が植えてある。
「あん?」
フローラの声が聞こえたのか、レイターは花壇をよけ、不自然な形で着地した。
「痛ててて……」
「お嬢様」
アンダーソンが窓から飛んできた白い紙を拾い、フローラに手渡した。
二隻の船の絵と計算式が書いてある。
初めて会った時、『銀河一の操縦士』になるのが夢だ、とレイターが自己紹介していたことを思い出した。
「いやぁ、悪りぃ悪りぃ」
レイターが大急ぎで走ってきた。ちゃんと花が植えてあるところをよけているのに、フローラは気づいた。
「拾ってくれて、ありがとな」
レイターはにっこり笑って紙を受け取った。
気持ちのいい笑顔だ、とフローラは思った。
紙を見て気づいたことがある、伝えた方がいいだろうか。フローラは迷いながら声をかけた。
「あの」
「あん?」
「初期値が……」
「え?」
「カロック原理の演算アルゴリズムが違ってます」
レイターは驚いた顔でフローラを見た。
そして、紙に目を落とした。
指摘された途端に見えてきた。アルゴリズムの設計が間違っている。いくら計算してもうまくいかないはずだ。
「あんた、宙航理論わかるのか?」
「家に本があるので少しは……」
レイターは興奮していた。
そうか、彼女もアーサーと同じように知能が高いインタレス人の血を受け継いでいるのだ。
「な、なあ、俺に教えてくれねぇか、宙航理論」
先週出た最新の論文に理解できねぇところがある。アーサーに聞こうか迷っていたが、多分、彼女ならわかる。
「あ、あの。きょうはこれを植えてしまいたいんです」
苗を手にフローラは言った。
「俺が手伝ってやるよ」
レイターの申し出を、フローラはやんわりと断った。
「申し訳ありませんが、急ぐ必要はないんです。命があるものですから、丁寧に植えたいんです」
「へーき、へーき。とりあえず植え方を教えてくれよ」
レイターは勝手に苗を手に取った。
フローラの周りに、こうした軽い雰囲気の人はいない。どうやって断っていいのかわからず、やり方を簡単に伝えた。
すると、彼はみるみるうちに植えていった。
速い。
急ぐ必要はないと言ったのに……
植え直さなくちゃいけないかも知れない。
フローラはため息をつきながら、レイターが植えた場所へ向かった。庭師のアンダーソンが後に続く。
苗を見て驚いた。きちんと植わっている。
「ほぉ。あいつ、思ったより仕事が丁寧だ」
アンダーソンがつぶやいた。
軽い見た目とは裏腹に、レイターの作業は雑ではなかった。
「お~い、どうかしたか?」
レイターが遠くから声をかけた。
「何でもありません」
こんなに大きな声を出すのは久しぶりだ。
アンダーソンが少し驚いた顔をした。
レイターが戻ってきた。
「終わったぜ」
器用な人だ。彼が手伝ってくれたおかげで、あっという間に予定していた苗を植え終えてしまった。
アンダーソンがわたしにたずねる。
「お嬢様、きょうはこれで終わりにしますか?」
「ええ、そうしましょう」
「では、片づけて参ります」
水やりのホースを束ねながら、アンダーソンがそばを離れた。
「あんたすごいな。この花壇、みんなあんたとアンダーソンで手入れしてんの?」
レイターが花園を見渡しながら言った。
「ええ」
「俺、花とか生き物とか育てたことねぇから、感心するぜ」
「あなたも、とてもお上手です」
「そうかい?」
レイターは褒められてうれしそうな顔をした。
技術的に優れているだけではない。この人の所作からは、命を慈しむ誠意が伝わってくる。花たちがそれを感じているのがわかる。
次の瞬間、
目の前が急に暗くなった。発作だ。
息が苦しい。アンダーソンを呼ばなくては……
「おい! あんた大丈夫か? おいっ!!」
レイターの声が遠くに聞こえる。
ぼんやりと意識が戻ってきた。
温かい息が、唇を通して身体に吹き込まれている。ほのかにペパーミントの香りがする。
ゆっくりと目を開けると、心配そうにわたしを見つめるレイターの顔が眼前にあった。
「気がついたか?」
わたしは状況がよくわからないままうなづいた。気を失っていたのはわずかな時間だ。
「ああ、よかった」
わたしの身体を支えながら、レイターはほっとした顔をした。
唇が熱い。
「あんた、急に呼吸止まって倒れるんだもん。びっくりしたぜ」
彼がわたしにマウスツーマウスで人工呼吸をしてくれた、ということに気が付いた。
恥ずかしさに、顔が火照る。
レイターは軽々とわたしの体を横抱きに抱き上げた。
「あんたが発作を起こすとは聞いてたけど、一つ間違ったら俺、アーサーに殺されるところだった。救命士の資格とっててよかったぜ」
お礼を言わなくてはいけないのに、混乱している。言葉が見つからない。
胸の動悸が速くなった。これは病気のせいじゃない。
「お嬢様!」
アンダーソンが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか? お薬は?」
手首のブレスレットに入ったままだった。
「もう、落ち着きました」
「何だ、あんた、そんなところに薬持ってたのか」
薬を飲まずに発作がおさまったと知って、アンダーソンは不思議そうな顔でわたしを見た。
レイターはわたしの耳元でこっそりささやき、ウインクした。
「知らなかったおかげで、得しちゃったぜ」
レイターの唇の感触が頭の中で再現される。フローラは身体中が熱を帯びていくのを感じた。
* *
「そういうことか」
レイターは頭の中の霧が晴れるようにすっきりした。
最新の宙航理論。
いくら読んでもわからなかったところが、フローラの説明を聞いたら一発で理解できた。
「あんた、すごいな」
レイターに誉められると、フローラは恥ずかしそうにうつむいた。
「そんなことありません。お兄さまならもっと……」
「いや、アーサーの奴より、あんたの説明の方がよくわかる。ほんと天才だよ」
* *
フローラがレイターの部屋に入るのは初めてだった。
フローラは一歩足を踏み入れて驚いた。
こんなに散らかった部屋を見るのは、生まれて初めてだ。プラモデルや本、マンガ、ゲーム機、工具、洋服などが机からはみ出して、床の上にごちゃごちゃに置いてある。どこに座っていいのかわからない。
もちろん世界には、散らかった部屋なぞ無数に存在し、汚部屋という名称で呼ばれていることも知っている。だが、この月の御屋敷の中で、そのような場所を見ることになるとは、信じられなかった。
この家のことは、将軍家女中頭のバブさんが取り仕切っていて、どの部屋も整理整頓がきちんとなされている。
父も兄も無用な物は持たないし、部屋が片づいていないことなど、あり得ない。
「この部屋のお掃除は、どうしているんですか?」
聞かずにはいられない。
「あん? 俺がしてるよ。最初はバブの野郎と毎日戦争してたけど、あいつがこの部屋に介入しないことで、不可侵平和条約を結んだんだ」
「バブさんが降伏したということ?」
驚くわたしに、レイターがにやりと笑った。
「戦勝国なしさ。俺も、俺の物をほかの部屋に侵入させない、って条件を飲まさせられた」
確かに食堂や居間に、レイター個人の物は置かれていない。
座ることのできる場所が、ベッドの上にしかなかった。
そのベッドの上にも、雑多に物が置かれている。
隙間を縫うように、レイターは寝っ転がり、わたしはベッドの端に腰掛けた。
この部屋は、不思議な空間だった。
こんなに散らかっているのに、なぜか落ち着く。
そして、思った以上に機能的だった。最新の論文、ペーパータブレット、筆記具、ポケットコンピューター、どれもレイターが寝たまま取れるところに置いてあって、わたしが説明に必要な物は、すぐに出てきた。
整頓はされていないけれど、この人の頭の中では整理されているのだ。
*
わたしが見たことのないようなものが、この部屋にはいろいろあった。
宝石のように緑色に光る小さな石が、机の上に無造作に置いてあった。
「きれいな石ですね」
「ああ、アマ星の石。アレックの艦で出かけた時に拾ったんだ」
レイターはお兄さまと一緒に、戦艦アレクサンドリア号に乗船していた。
アマ星は銀河辺境の星。
文献で読んだことがある。アマ星の鉱石は、こんなところにあってはならない。
「これ、天然記念物ですよね?」
「よく知ってるね。闇だと結構高値が付くんだ。金に困ったら売ろうと思って」
「それはいけません。許可を得ていなければ希少金属取引法の五十六条四項違反にあたります」
「へぇ、あんたもアーサーみたいに、法律全部暗記してんだ」
感心した顔をされた。
どう答えればいいのだろう。
「居間に『銀河六法』が置いてあるので……」
わたしは答えにならない答えをしたが、レイターはそれで納得したようだった。
それよりも、この違法行為を見逃していいものだろうか。
レイターとバブさんの間で不可侵平和条約が結ばれているとしても、ここは将軍家の管轄だということを、はっきりお伝えする必要がある。
「この部屋にアマ星の石があることは、問題だと思います。天然記念物保護法で定めている、持ち出しと所持の禁止に触れます」
「ふふふ」
レイターは不敵な笑みを見せた。
「あんたが警察に垂れ込まなきゃ、摘発はできない。事案が発覚しねぇから」
「そうです」
「ついでに言うと、持ち出しについては証拠がないから、俺が認めなければ立件は相当難しい。しかも、もうすぐ時効だ」
「そうですね」
「所持の現行犯については、逃れようがないとしても罰則がない」
「その通りです」
「じゃあ、何の問題もねぇじゃん」
そこに明白な違法行為が存在しているのに、問題がない、という結論は納得できない。
「あなたが、所持しているだけであれば発覚しないとしても、販売すれば問題は表面化します。すなわち、換金できないということです」
わたしにはこう切り返すのが精一杯だった。
レイターは口をとがらせた。
「う~む。あんた、アーサーと同じこと言うんだな」
「……」
お兄さまとレイターが、同じような会話をしていたとは。
お兄さまは、将軍家に迷惑がかからないのであれば、違法行為を容認する、という判断を下されたということだ。
文献から得る知識とは、まるで違うものがここにある。こうした議論ができるお兄さまが羨ましい。
価値観の相違。
善と悪、正と誤、白と黒、その間に無限のグレーの世界が広がっていた。
分数の三分の一のようだ。何処までいっても割り切れない。
循環小数の0.333333……は、3が無限に続く。
けれど、三分の一は存在する。
現実の世界には着地点がある。
他者との違いにより知的好奇心が刺激を受け、活性化する。
何と楽しいのだろう。
レイターはわたしの顔を見て笑った。
「楽しいな」
「え?」
「あんたと話してると」
こんな風に他人から言われたのは初めてだった。
そして、わたしと同じことを、この人が感じていたことが嬉しかった。
また、胸の鼓動が速くなる。
* *
「楽しいな、あんたと話してると」
つい本音が出た。
最初に出会った頃は、無口な娘だと思っていたが、話してみると打てば響く感覚がある。
彼女の頭の中には、百科事典のデータベースが全部入っているんだ。アーサーと同じように。
俺は、女の子と話をするのが大好きだ。
だが、フローラと話をするのは同じ「好き」でも種類が違う。
彼女は俺より頭がいい。
だから、俺にとって勉強になる、ってところが他の女の子と違うのかと思ってた。
でも、違う。そうじゃねぇ。
もっと深い感覚。
ずっと繋がっていたい心地よさと、熱のような衝動。
身体中の細胞が、フローラの方へ磁石で引っ張られていくようだ。
こいつは、もう意思で逆らうことはできねぇ。
* *
アーサーは落ち着かなかった。
フローラが元気だ。
以前はこんなに明るくおしゃべりする子じゃなかった。それ自体は喜ばしいことだが……
「お兄さま聞いてくださる? レイターったら面白いの」
またレイターの話だ。
「お兄さま、宇宙船に関してはレイターは天才なのよ。あの発想にわたしたちでは太刀打ちできません」
フローラは不思議な考察をする。
「お兄さまの頭の中と、レイターのお部屋は同じなの」
あの散らかった部屋と私の頭を、一緒にしないで欲しい。
「お兄さまは、きちんと頭の中の物を引き出すことができるけれど、レイターはそれが苦手なの。だから、自分の目の見えるところに、全てを置いておこうとしている。可視化した結果、散らかっている様に見えるだけなの」
「見えるだけじゃない。現実に散らかっているよ」
「でも、レイターは工具とか、必ず同じ場所に戻しているのよ。あの散らかったように見える場所が、彼の定位置なの」
フローラに言われるまで意識していなかったが、確かにそうだ。
アレクサンドリア号に乗っていた時、あいつの宇宙航空概論テキストは、いつもベッドの同じ場所にあった。
フローラが熱弁を振るう。
「Aという事象とBという事象があって、掛け合わせることで新たなCという事象を発見することができるとするわ。レイターの部屋はAもBも目に見えるように置いてあるのよ。棚の中に入っていたら、AとBの化学反応を思いつかないでしょ。散らかっているのは、それを見つけだすためのシステムなの。だから、レイターは天才なのよ」
積読によるプライミング効果か。あいつの発想の源が、あの散らかった部屋にあったとは気が付かなかった。
フローラはよく見ている。
*
バブさんによれば、レイターは学校が休みの日にはフローラの花の手入れを手伝っているらしい。
それ自体は問題ないが、バブさんは明らかに不快感を示していた。
「お嬢さまに、あの馬鹿が伝染しそうで困るんです。お言葉遣いもこのところ乱れていらっしゃって」
「言葉遣い?」
「あの馬鹿のことを『レイターのバカ』と呼んだりしているんです」
私は思わず笑ってしまった。
「馬鹿をバカと呼ぶのは仕方がないでしょう」
「笑い事じゃございません。お嬢さまが、他人をバカなぞと呼んだことは、生まれてこのかた一度も無いんでございますよ! それだけじゃありません。あの馬鹿の部屋にある、お下劣な漫画とかもお嬢さまは読まれたようですし……」
まあ、そのくらいの経験はフローラにも必要かもしれない。
ただ、人間関係においてほとんど免疫の無いフローラにとって、レイターは影響が大きすぎるのではないか、という不安は私も感じていた。
バブさんもおそらく同じことを心配している。
私がアレクサンドリア号に乗って月を離れた四年前。
わたしが十二歳、フローラが十歳だった。
彼女と別れる時、もう私はフローラに生きて会うことはないかも知れない、と覚悟をした。それほど妹の命ははかなげだった。
それが今、レイターのことを嬉しそうに話す時、フローラから生命力があふれているのを感じる。
人見知りが激しく、これまで友人もいなかったフローラにとって、レイターが楽しい話し相手であることは間違いないが、おそらく、それ以上の存在になりつつある。
私は知っている。
レイターは女性なら誰にでも優しい。(ただしバブさんは除く)
それだけではない。
夜遊びをして朝帰りするあいつに、ハイスクールからきた「不純異性交遊の禁止」という通達を見せたら、あいつは「避妊すりゃいいんだろ」とけろっとした顔で言ってのけた。
あいつがフローラに手を出したら許さない。
フローラは、学術的な知識や読み解く思考力は優れているが、人間関係においては純粋培養で育っているのだ。
大丈夫だろうか。
かと言って「レイターだけはやめておきなさい」と言うのも、まるで娘を心配する父親のようだ。
レイターは、あいつはどう思っているんだ。
私はレイターを問いただした。
「お前、最近フローラと仲がいいそうじゃないか。どういうつもりなんだ?」
「あん? どういうつもり? って、今からフローラの部屋で宙航論文読むんだよ。あんたよりわかりやすく教えてくれるぜ。フローラはかわいいし、あんたに顔が似なくて、ほんと良かった」
わざとはぐらかす態度に苛立つ。
「そういうことを聞いているんじゃない」
レイターはにやりと笑った。
「恋の始まりに理由は無ぇ」
私の背中にスッと寒いものが走った。こいつは全部わかっている。
私がどうしてこんな質問をしているか、何を心配しているか。フローラがレイターに惹かれていることも。
そう、レイターは、フローラとは対極の人生を送ってきた。
嫉妬と欲望と裏切りの人間関係の中で育ち、おそろしく人の機微を読むのが得意だ。
「あんたが兄貴じゃなかったら、嫁さんにしたいくらい、いい娘だよな」
冗談とも本心ともつかない、不安をかき立てる答えを残して、あいつはフローラの部屋へ向かった。
その背中を見ながら、フローラが誤った選択をしないよう、祈ることしか私にはできなかった。 (おしまい)
※第三話「秘密の音楽室」は飛ばして、第五話「掃き溜めに姫君」へ続きます その前に、「第三話と第四話について」をどうぞ