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緑の森の闇の向こうに 第8話【創作大賞2024】
こんな時にふざけないでほしい。
「そんなことできるわけ……」
断ろうとしたところで、言葉が途切れた。この無理難題はわたしたちを試している。どれほどの覚悟があるのかを。
ダルダさんはレイターを信頼している。だから十億でも用意すると平気で答えた。NRと対峙する、ということは生半可な気持ちでできることじゃないのだ。これは仕事ではない。普通に考えればこのまま本社へ帰ることが正しい選択だ。レイターはわたしたちを思いとどまらせようとしている。ボディーガードとしては当然だ。
厄病神が優秀なことはわたしが一番よくわかっている。今日も彼は銃を抜かなかった。クライアントの要望にきっちりと応えている。
おそらくダルダさんの「ギャフンと言わせたい」という意味不明な要求にも彼なら対応できるに違いない。レイターの条件を飲みさえすれば。
わたしは好きでもない人とのキスを受け入れられるのだろうか……
レイターの背後にあるモニターが目に入った。黒い煙を吐き、燃え続けるホテル。あの惨事はわたしたちを狙ったもので、他人事じゃない。
バンっという音に思わず身が縮む。金色の炎が高層ビルの窓を突き破って夜空に輝いた。室内で小爆発が起きたようだ。自然を守りたいからといって、武力で屈させようというテロ行為は許せない。
「不本意であっても必要であれば」
口にした瞬間、後悔に襲われた。レイターが「必要だ」とキスを迫ってきたらどうしよう。
「不本意ぃ? ちぇっ、喜んでくれると思ったのに」
レイターは肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。ダルダ先輩が笑いながらレイターの肩をたたく。
「ガハハハハ。お前がナンパで失敗したの初めて見たぞ」
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「相手がガキすぎた」
ナンパ? 肩の力が抜けていく。
「俺の仕事、受けてくれるな」
「しょうがねぇ」
レイターはテレビのモニターを指差した。
「とりあえず、現地のニュース番組に出て、こっちの主張を話そうぜ。拡張計画を白紙撤回しようとしたのにNRのせいで話がこじれたっつって、犯行声明に対抗するんだ」
パキ星の地元チャンネルは、どこもかしこもこのニュース一色だった。このテレビに出演すれば、NRが間違っていることを訴えられる。
「ただし、死んだと思ったあんたが出てきたら、NRの奴らがまた襲ってくるぜ」
レイターがわたしたちを試すように言った。テレビに出演すれば居場所を教えるようなものだ。
「でも、行きましょう!」
わたしは大きな声を出していた。
きちんとわたしたちの主張はアピールすべきだ。このまま逃げ帰ることはできない。
* *
レイターはティリーの顔を見つめた。
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幼い顔に口紅を引いた十六歳。ガキだからだろうか。よくわかんねぇ子だ。銃にあんなに怯えているのに命を狙われる場所へ『行きましょう!』ときたもんだ。正義感の強いアンタレス人だからか。
俺のキスを絶対断ると思ったのに。
相変わらず俺の想定を次々と裏切ってくる。まずいな。この状況は危険だ。
* *
「ティリーさんには船に残っててもらいてぇんだ」
「船に、残る?」
レイターの言葉の意味が分からず、わたしは聞き返した。
「頼みてぇ仕事があるのさ」
レイターは、自分の部屋から紙の束を持ってきた。
「ほい」
渡された束は分厚くて重たかった。小さな字が汚い手書きで書きなぐってある。よく読めないけど伝票のようだ。
「こいつをお袋さんに手入力して欲しいんだ」
反発心がわき起こった。
どうしてこんな事務作業をわたしに頼むのか。答えは簡単だ、わたしを連れて行きたくない、っていうことだ。関係のない仕事を手伝わさせられるのは納得がいかない。
「これは何なの?」
問いつめると、珍しいことにレイターが困った顔をした。彼の言うことを何でも聞くという約束だったことを思い出した。
「って聞いちゃだめなのね」
レイターは一呼吸置いてからから答えた。
「ほんとは教えたくねぇんだけど。ま、いいや。誰にも言うなよ。これはNRの備品購入伝票だ」
「NRの伝票?」
どうしてレイターがそんなものを持っているのだろう。
「アルバ関数で暗号化されてる。ここに書かれてるのはパキ語の数字だ、これを対象表で見ながら数字を打ち込むと……」
即座にアルバ関数の解が現れた。単価と個数、それに紐づくデータだ。「ほれ、これで去年の三月にあいつらが宇宙服を十着買ったってことがわかるだろ。パキ語で、しかもわざと汚ねぇ字で書いてあるから、手入力したいんだ。で、知りてぇのはNRが最近購入した武器。あいつらが何を持ってるかがわかると警護が楽になる」
これは大切な仕事だ。
「わかったわ」
と答えたけれど、わたしだけ置いていかれることについて、レイターに一言言わないと気が済まない。
「これをやるにあたって条件があるわ」
「あん? 何でい?」
レイターがさぐるようにわたしを見た。わたしは腰に手をあてた。
「絶対ちゃんと帰ってきて。じゃないと怒るわよ」
レイターはふっと笑うとわたしの頭に手を置き、子供をあやすように髪をなぜた。嫌悪感はなかった。
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「その条件、確かに飲んだ」
レイターを見つめる。
明るいブルーの瞳は透んでいてビー玉のようだ。こんなに綺麗な目をしていたとは今まで気づかなかった。
頭に置かれた手が気持ちいい。
ナンパされた女の子がこの人についていくのが、ちょっとだけわかる気がした。
すっとレイターの手が離れた。
「ダルさん、とりあえず、現場のホテルへ戻ろう。テレビ局が生中継してっからそこで出るのが手っとり早い」
* *
レイモンダリアホテルへと向かう道は空いていた。エアカーの助手席に座ったダルダがレイターに聞いた。
「おまえ、さっきNR相手に銃を抜かなかっただろう」
「あん? 電子鞭、使ったからな」
「随分と殺傷力の弱い武器だな」
「接近戦だったからな」
「最近聞いた話だが、銃を持たずに撃たれたボディーガードがいたらしいぞ」
ダルダは、意味ありげに笑った。
「へぇそいつは相当なドジだな。俺は当然持ってる」
次の瞬間、ダルダはわき腹に固いものを感じた。レイターは左手でダルダに銃を突きつけ、右手でエアカーを操縦していた。
「ガハハハ、ティリーさんがいなけりゃいくらでも使えるってわけだ」
「うるせぇ」
「なあ、ティリーさんはお前の『愛しの君』に似てるよなあ」
レイターは思わず、ダルダの顔を見て反論した。
「似てねぇよ!」
「おいおい、図星だからってよそ見運転するなよ」
「静かにしねぇと、そのでかっ腹を涼しくするぜ」
「少し痩せたいと思ってたところだ。ガハハハ」
「ったく、あんたはいっつもそうだ」
* *
ティリーはつぶやきながら作業を進めていた。
「去年六月、お弁当十五個、一万五千リル。今年五月、ビニール袋百二十枚、六百リル。今年一月、六十メートルのロープ一本、千二百リル。去年八月、フライパン一個、二千九百八十リル……」
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パキ語の数字は対照表がなくてもわかるようになった。入力の速度が上がる。それにしても手入力する量は膨大だった。しかも、ほとんどが生活雑貨だ。この中に、武器の伝票が本当に入っているのだろうか?
入っていたとして間に合うのだろうか?
レイターは警護のためにこの情報を入手したのだろうけれど、そもそもこれは本当にNRの伝票なんだろうか?
単純作業が続くと、つい余計なことばかり考えてしまう。アルバ関数はハイスクールで勉強した。わたしたちアンタレス人は数字に強い。十桁の四則演算の暗算ぐらいは小学校へ上がる前にできるようになる。
とは言え、もちろんわたしの手計算より、マザーの方が早い。
その時、あることにひらめいた。
第9話へ続く
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