第9話 【1カ国目エジプト⑨】ルクソール-アスワン「アフリカンジャーニー〜世界一周備忘録(小説)〜」
「旅は道連れだ―」
昨日出会ったばかりのジュンさんが何気なく発したその言葉が、やけに胸に響いてくる。
カイロから700m程離れたアスワンで、僕ら3人はアディスアベバ(エチオピア)行の航空券を予約していた。
怖すぎたギザの街
「ガルガルゥゥ!ギャンギャン!」
陽が完全に落ちたギザの真っ暗な細道を歩いていると、若い犬使いが黒い番犬を僕にけしかけてきた。
犬使いが発する「アギアギ」という呼びかけに反応して、おとなしかった犬が3m程離れた付近から僕に駆け寄り威嚇してきたのだ。
噛みつかれるのではないかという恐怖で僕の足は止まる―
ただ身体を硬直させ、一定の距離を保ちながらも攻撃的な姿勢を崩さない目の前の番犬を見下ろすことしか出来ない。
自分の心臓の音が聞こえてくるような気がした。いや、確かに聞こえていた。
若い犬使いに目をやると「ゲラゲラと笑いながら」こちらを見ている。
10秒ほどして横にある敷地から一人の年配の男が現れ、若い犬使いを叱りつけたところで黒い犬の威嚇も終わり心臓の音が僅かだけ緩やかになっていく。
「アイム・ソーリー!アイム・ソーリー!」
その年配の男は若い犬使いを敷地内に無理やり連れ帰るように引張りながら、足早に去っていく僕の背中に言葉を投げかけてくる。
「いやいやいや。怖すぎるやろ。怖すぎる怖すぎる。」
年配の男の詫びる声は聞こえてはいたが、すぐにでもその場を離れたい一心で振り向きもせずに駆け足でその場を離れていった。
これまでも、「なぜそんな事をしてくるのか?」と理解し難い行動を目の辺りにしてきたが、今回の件はそういった疑問に怒りをまぶせるものだった。
数分前まで目の前にいた犬よりも、アジア人である僕を軽視しているような彼らの行動に怒りと恐怖心が込み上げてくる。
そんな感情を抱えながら、気の良いエジプト人トマンさんが運営するトマンホテルの階段を登っていった―
3日間のピラミッド堪能
「もう街には最低限出ないようにしよう―」
昨夜の一件から僕は安全なトマンホテルに引きこもることにした。
日数にして3日間ほどである。
3日間、朝から晩までピラミッドを眺める日々だ。日記を書いたり3つのピラミッドを模写したりコーヒーやティーを飲んでいると瞬く間に時間が過ぎていく。
何より時間と空模様によって風景が変化する3つのピラミッドを独り占めできる空間は、3日間のほとんどの時間を費やして観察しても飽きることがなかったのだ。
気の良いエジプト人オーナートマンさんが朝に用意してくれる朝食のサンドウィッチ以外あまり口にすることはなかったが、それでも十分なほど目の前の光景は僕の中の何かを満たしてくれる。
まるで、僕がギザの街で感じてしまった「恐怖感」を癒やすためにピラミッドが見守ってくれているような気がしていた―
初めての長距離移動
「ルクソール」そして「アスワン」
この2つの街はカイロから南下することで訪れることができる、エジプトで有名な観光地である。
他にもいくつかエジプトには旅人を惹きつける街は存在するが、南下の一途を旅のルートにするのであれば、「ルクソールからアスワン」にかけて700km程進んでいくのが王道のルートであろう。
カイロについてからこのルートを知った僕だったが、例に漏れずこのルートを下っていくことにした―
ルクソール
「英語喋れる?彼女にラブレターを書きたいんだけど、手伝ってくれない?」
ルクソールへは2時間遅れで出発した夜行バスに乗って、10時間ほど掛けて到着した。
数日前にルクソールに到着していたタイシと合流し夕飯を食べたり、観光地を自転車で回ったりしているうちにあっという間に3日間過ぎていった。
ある日ホテルの前で、40代のエジプト人の男に英語で声を掛けられた。
「僕は英語を話せるが書くことが出来ない。ラブレターを外国人の彼女に書きたいから、代わりにテキストを打ってくれないか?」
話しを聞いてみると、こんな事を言っている。
「いいよ。」
暇だしまぁいいかと思い、目の前にある露店の果物屋の前に二人で腰を降ろす。
男はスマートフォンを僕に渡してきて、その男の"彼女であろう"女とのメッセージ画面を開いて「何か書いて」と促してきた。
スマートフォンを受け取り、トーク履歴を少しだけスクロールすると簡単な英語で何通も「愛のメッセージ」を送っていることが確認できる。そして、一度たりとも返事がきている様子がない。
男に対する怪しさを感じる。
しかし、ラブレター作文の依頼を引き受けた以上僕も簡単な英語で「キザなセリフ」を打ち込み男にスマートフォンを返す。
「ありがとう。ところでお前は何が欲しい。お礼に困っている事があれば
手助けするよ。」
男は僕が送った「愛のメッセージ」をちらっとも確認せずお礼をしたいと言い出した。
「別に困っていることはないから、大丈夫だよ。ありがとう。」
「いいや。遠慮するな。なんでも言ってくれマイフレンド。」
こちらの表情を読み取らないその勢いに更に不信感が募っていく。
「いいや大丈夫。本当に大丈夫だから。」
あまりにしつこい。距離感がおかしい男に対して、強めに返答を入れる。
「なんで、そんなに怪しむんだ。ただ俺はお前を助けたいだけなんだ。何をしてほしいんだ。言ってみろよ!」
僕の不信感を察知してか、怪しまれるのは心外だという風に男も先程より語気を強めてくる。
何をしてほしんだという言葉が理解しがたい。僕はお前に何もしてほしくない。
男はどうしてもどうにかして僕からお金を取りたいらしい。その糸口は強引であろうとも別に構わないのであろう。
それから断ってもずっと、「What do you want?」を連呼する男の、ずうずうしさに嫌気が差し僕は立ち上がりその場を去ることにした。
「おい!さっき食べた"いちごのお金"払っていけ!」
立ち去る僕の背中に男は大きな声で呼びかけてくる。
「いやいやいや、それお前が無料だからって言って無理やり
渡して食べさせてきたやつやん…」
だからお前らのこと嫌いなんだよ。
と心のなかで毒づきながら、僕は振り返らず歩いていく。
本当によくわからない奴らである―
インド人とエジプト人
「インドとエジプトは人のしつこさや騒々しさがとても似ている。」
同じホテルに滞在していた、40代くらいのカップルとエジプト人の客引きの鬱陶しさの話しをしているとこんな事を言っていてとても興味深かった。
「それでも、インドのことはなんだかんだ皆"最高"と言うけどエジプトを"最高"という人が少ないのはなんでだと思います?」
僕はインドに行った事がなく比較できなかったが、インド経験者とエジプトで出会うと両国は似てると言いつつもインドを褒める人がやたら多い。
疑問に思っていた事を旅の経験が豊富な目の前のカップルにぶつけてみる。
「多分それは、似てはいるけどインドの方がエジプトよりも更に突き抜けているからかな。」
少し悩んだ末に男性の方が答えてくれた。
言うにはインド人の"こちらを気にせずに距離を詰めてくる感じ"がエジプト人のそれ以上らしい。
突き抜けられると、受け手であるこちらも「何かしらの新しい世界」が拓けていくという。
【インドに行くと人生観が変わる―】
月並みな言葉だが、それはエジプトを超越する突き抜けた鬱陶しさがそうさせるのかも知れない。もちろん、日本の常識が通用しないインドという国そのものの突き抜けた"何か"も大きな要因であろう。
仮に僕がインドに行った時に本当にそう思えるのだろうか?
今日出会った男も"ある意味突き抜けていたが"すごく嫌いだな。
エジプト人に対する感情をフィルターにそんなことを思いながら、その日は眠りについたのだった―
最高な街アスワン
「アスワンはエジプトのこれまでのイメージを一新してくれた街だった―」
ルクソールに着いてから4日後、僕は更に250キロほど南下してアスワンという街に来ていた。
アスワンは「アブ・シンベル神殿」という、有名なラムセス2世の神殿がある。ほとんどの旅人がこの神殿を目的にアスワンを訪れる。
ルクソールから電車で向かう際に、頼んでもいないのに勝手に僕の荷物を運び席まで案内してくれた10代の若者に「チップを要求され」ムカついたりもしたが、4時間程掛けて無事たどり着いた。
先にアスワンに到着していたタイシと、もう一人同じホテルに滞在していたジュンさんと同じ部屋へとチェックインする。
貧乏旅をしていると、一泊の料金を基準にホテルを選ぶため同じルートを進んでいるバックパッカーと示し合わすことなく同じホテルになることが多いのだ。
僕は観光もせずこの街に4日ほど滞在することになる―
観光する気が全く起きない
「もうぶっちゃけアブ・シンベル神殿行かなくていいかな」
アスワンに到着して二日目の朝には、アブ・シンベル神殿への観光を僕は諦めていた。
これまで、観光地で繰り広げられてきた客引きへの疲労もあったがアスワンという街で行きつけのローカルレストランを見つけたことも、僕を怠惰にさせた大きな要因かもしれない。
アスワンに到着した夜、タイシとジュンさんが先に行きつけとしていたローカル店へ夕食を食べに行った。
ジュンさんとは初対面だったが、旅人同士すんなりと馴染んでいく感覚があった。
3人で気の良い店員のおっちゃんに「チキンとライスのセット」を注文し手とフォークを使って貪りつく。
そして、ご飯を食べ終わるとおっちゃんが待ってましたと言わんばかりに「シーシャ」を持ってきてくれる。そして3人で回し吸いをする。
会計をしてもとても安い。その店からはこちらをぼったくろうという感覚が微塵も感じられない。
エジプトに来てここまで安心できる店は初めてだっただろう―
旅は道連れだ
「どういうルートを辿っていくか―」
これは旅人同士とても気になるポイントだ。
目の前にいる旅人がどういったルートを辿ってきて、これからどういうルートを辿るのか。
それは、これからの旅の情報源になることはもちろん「旅人同士のコミュニケーション」として重要な役割を果たす。
ネットが発達しSNSでの情報収集が主流な現代でも、「人から話しを聞く」ということはとても大切で生きた情報なのだ。
アスワンで集結した僕ら3人は、微妙な違いはあれど南アフリカを目指してこの大陸を南下していくルートが同じだった。
3人で夕食を食べた翌日、僕らはホテルのリビングで今後のルートについて話し合っていた。
奇しくも僕ら3人の次の目的地はエチオピアで同じである。
3人でカイロ-エチオピア行きの飛行機を探していると「安い便」が一つしかなく3人で同じ便を取ることにした。
「旅は道連れだ―」
同じ便を予約した時にジュンさんが言う。
ふと発せられたこの一言が、やけに印象深く僕の胸に残っている。
一人旅のなかで全く同じ便を取るということに、日本人らしい遠慮が僕の中に芽生えていたがこの言葉で自分の気持に少し変化が見られたような気がした。
「自由な旅」というテーマに対して「道連れ」という対極にある言葉が、そうさせたのかもしれない。
自由だからこそ、「行きずりになるはずの人との出会い」に身を任せる。それも旅の醍醐味の一つなのだろう―
二人でシーシャ三昧の3日間
エチオピア行の便を予約した次の日にジュンさんは1週間後のフライト日に合流する約束をして、一足先にカイロへと戻っていった。
残されたタイシと僕は既に「観光への興味を無くし」いつもの店に行き飯を食べシーシャを吸う日々を過ごしている。
そして、「ピラミッドを目の前にした物語の続き」に時間を忘れるほど熱中し語り合っていた。
長い日はティーとシーシャだけで4時間以上になっていただろう―
外国の地で「安心して楽しめる行きつけの店」があるということが、これほど楽しく嬉しいものだということを僕はこの旅で初めて感じていた。
これまでのエジプト旅を振り返るとその思いはひとしおである。
この時、僕のなかで「街に馴染むこと」という一つの旅のスタイルが確立されたような気がする。
これは、もしかしたら観光地で出会うどの風景よりも素晴らしいものなのかもしれない。
アスワン最終日に行きつけの店のおっちゃんに「ラストだと伝える」、残念そうに「マイフレンド一緒に写真を撮ろう」と言ってきた。
おっちゃんが発する「マイフレンド」という言葉は、これまで多くのエジプト人に掛けられてきた「ただひたすらにムカつくそれ」とは全く違う"安堵感"に包まれている。
笑顔で肩を組み3人で写真を撮った瞬間に「アスワンという最高の街」が僕の胸に刻まれたような気がした。
「観光地には一つも行っていないけど、印象深い街」
少しの名残惜しさを感じながら、ピラミッドの前での会話の続きを時間も忘れて熱中したこの店を僕らは後にした―
◆次回
【再び舞い降りた喧騒の街カイロに何を思うのか。エジプト最終章―】
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