【ビールの本棚】言葉にして伝える技術――ソムリエの表現力
ビールの本棚シリーズ2冊目、田崎真也氏の「言葉にして伝える技術」をご紹介します。著者は言わずと知れた世界トップクラスの日本人ソムリエ。そんな方が自身の技術を日本人向けに日本語で解説してくれた書物が836円で手に入るなんて有り難いことです。
"その言葉は、本当に「おいしい」を表現できていますか?"
これは本書の帯、裏表紙側に書いてある言葉。表紙側には"「肉汁がじゅわっと広がってきますね」 「思ったよりもクセがなくて、食べやすいですね」 「秘伝のタレを使っているから、おいしいですね」 ……こんな表現をあなたは使っていませんか?"と問いかけています。このような慣用的に使われるフレーズ、実はおいしさを表現していないですよね?という問題意識を出発点として、飲食物のおいしさを伝える表現力を豊かにするための方法論を解説するのが本書。
見出しに引用したフレーズはそのまま本書第一章の表題になっています。ここでは食レポや飯スタグラムによく見られる表現およそ20項目を、下記のように分類しバッサバッサと斬り捨てていきます。
1.実際には味わいを伝えていない常套的表現
2.先入観でおいしいと思い込んでいる表現
3.日本的なマイナス思考による表現
冒頭の引用フレーズでいくと「肉汁が〜」が1、「クセがなくて〜」が3、「秘伝のタレ〜」が2に該当します。第一章のためだけにでも本書を手に取る価値があると思います。ポイント明快にして実に痛快。
さて、ビールに限らずお酒周辺領域でよく「飲みやすい」という表現を見かけますが、その度に私は(なら白湯でも飲んでおけばよろしい)と思ってしまうのです。好意的な意味で「飲みやすい」と表現するのであれば、飲みやすさを阻害する要素(例:アルコールの強さ、強烈な苦味)があるにも関わらずそれを補って余りある要素(例:爽やかな香り、柔らかなマウスフィール)を見出したうえで「飲みやすい」と述べるべきだと思うのです。仕事ではないにしてもです。わざわざお金と時間を使ってお酒を愉しむのであればそれぐらい掘り下げたほうが楽しいですし、シーンの深化にも繋がるのではないかと思います。
話を本書に戻します。
感じ取ったことを言葉に置き換える
第一章の指摘を踏まえた上で、第二章と第三章で言葉にして伝える技術やその方法論について具体的に触れていきます。ソムリエは膨大な知識を持ち、料理との相性や客の嗜好などに合わせてワインを提案するわけですが、そこには技術が存在し、それは五感で感じ取ったことを言葉に置き換えて記憶することから始まる、ということです。本書のキモはここです。
良質なアウトプットを得るためには良質なインプットが不可欠ですが、感覚器官がセンサーとして鋭敏であるだけでは十分ではありません。五感で感じ取ったことを言葉に置き換え、整理し、脳内にデーターベースを構築する必要があるのです。そしてこれこそが重要な技術なのです。データーベース化することで、記憶を記録として定着させるとともに検索性が向上し、比較することができ、表現する言葉として使えるようになるというわけです。本書では「ワインを左脳で味わう」と語られています。
また、第二章から第三章にまたがって嗅覚の重要性を説いています。五感とは本来、身の危険から自身を守るためのセンサーです。しかし、文明の発達とともに人類が嗅覚で危険を察知する機会は減り、結果として人間の嗅覚は他の動物と比べて大きく退化しているとこのこと。ならばトレーニングにより本来の嗅覚を取り戻し、五感をフル活用しよう、というのです。ビールの官能評価も嗅覚が7割と言われます。鼻が詰まると匂いどころか味もよくわからなくなる、という体験はどなたにもあるのではないでしょうか。嗅覚はそれほど重要な機能なのですね。
本書に通底するもの
本書を読んだとき、目で読むのと等速で文章が頭に入ってくる感覚があって驚きました。一説によると「自身が書いた文章を読み返すのに比べ、同じ文章を読者が初めて読む場合、数倍の時間がかかる」そうです。初見の文章というのは読むのにそれなりの負荷がかかるものですが、その感覚が本書にはあまり感じられなかったのです。語感、段落の分け方、括弧のくくり方などが優秀なのでしょう。まさしく「言葉にして伝える技術」が通底していると感じます。
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