【 淡路島内で二拠点生活】vol.1 南あわじ市 灘吉野
2023年の年末、淡路島南あわじ市の灘地区にある家や土地を親族から譲り受けました。
5年前から空き家になっていた家と、集落に点在する荒れ果てた土地を、どうにか人生を豊かにする場所にするために、家のセルフリノベーションの記録やニホンミツバチの養蜂、諭鶴羽山トレッキングに関して、備忘録として綴っていきます。
・自己紹介
私は、現在、淡路島の洲本市というところで一匹の茶トラ猫と暮らす48歳。
職業は、フォトグラファーで、主に、建築写真や料理写真、商品写真と、雑誌の撮影などをして、なんとか人並みの生活を送っています。
地元の高校を卒業後、10数年前に淡路島にUターンしてくるまで神戸、ロンドン、東京、ミラノ、岐阜、神戸で暮らしてきました。
ロンドンのカレッジで写真を学んでから、なんとか写真を生業としてやってきましたが、写真家のように、内面から自然と湧いてくる撮りたいテーマや芸術作品を発表することもないので、フォトグラファー、カメラマンとして活動しています。
・家と土地を引き継ぐことになった経緯
作品撮りをしない私ですが、ある満月の夜、海を照らす月明かりが、言葉にならないくらい美しいことに気付かされ、唯一、自分が写真を残す使命のように感じた場所が、南あわじ市の灘吉野という集落です。
ここは、祖父や父が生まれた場所があり、私の本籍地も灘吉野(生まれも育ちの洲本市ですが)で、子供の頃には法事があれば親戚一同が集まった思いで深い場所。
数年前から、両親が趣味で飼っていたニホンミツバチの巣箱を数箱、灘吉野の親族所有の土地でも飼育をするようになりました。
灘地区は、昔ほどではないですが今でも、みかんやビワの栽培が盛んな地域で、南向きの山の斜面は日当たりも良く、ニホンミツバチにとっては最高の場所のように思います。
順調に巣箱を増やして、頻繁に灘に通うようになっていた2023年の夏こと。
5年前に高齢で亡くなった親族の家族から、空き家になっている家や土地を譲り受けて欲しいと相談がありました。
今後、帰ってくる予定もないし、都会で暮らしている親族にとっては、定期的に田舎の家や土地を管理していくにのは、大変なのが現実問題としてあります。
自然がそのまま残った山にある集落なので、放っておくとイノシシや鹿に荒らされることもあり、近隣に迷惑をかけるわけにはいけないから引き受ける、というのは表向きの理由で、本当は、仕事以外で、どうしても、あの満月が海を照らす景色を写真に収めたいとずっと思い続けてきたから引き受けることを決心した。
たかが写真のために、今後、色々とお金もかかる家や土地を手にする必要があるのかと言われれば、答えはイエス。
できる限り自分で家をリノベーションにしながら、穏やかに人生を豊かにし、いつか自分史上ベストの写真を撮るために、淡路島内で二拠点生活を始めたいと思います。
vol.2に続く。