生きる目的に思い悩む必要はない
私は、現代日本で自然死や事故死以外で死ぬことは難しい社会だと、たびたび話をします。
その理由は、本来生き物とは、今日を生きることだけでも必死なのが当たり前だからです。
寝食をするとき、屋根壁があるだけで容易に1晩を安全に過ごせる。
これだけで本当に凄いことです。
日本はそれだけではなく、寝食が出来ない場合はそれをできるように国が助けてくれるのです。
それにより日本では、生きることに余裕ができるがために、「自分とはなんなのか?」「自分はなんのために生きているのか?」という生きることに目的を持ちたがります。
わたしは、この考えを持つことが人間らしいということの一つだと考えています。
しかし、元来、目的を持って生きている生き物なんていません。
生き残ることこそが、生きる目的です。
だからこそ、日本社会で生きる場合は、目的ではなく目標を持つべきだと考えています。
目的は事実的結果と経過であり、
目標は抽象的な理想です。
目的は達成してしまえば終わりですが、目標なんてものはなんだっていいんです。
人生をどうだこうだ考える人はだいたい、目的ばかりを見て苦しんでいます。
その理由は結果と経過ばかりをみて、意味のない減点をしているからです。
目標であれば、加点するかしないんです。
目標を作ることさえできれば、目的が目標を目指すための経過でしかなくなり、1つの目的が上手く行かなくても、別の手段を目的として選択することで解決するため思い悩む必要がなくなります。
そもそも目標は達成されることなんてありません。
目標はそれが存在しているということだけが異議であり、別に到達する必要がありません。
だけど蔑ろにはできない。そんなフワついたもの。
目標とは理想の自分を作るだけ
こんな自分だったら格好いい。
こんな自分だったら美しい。
こんな自分だったらいいな…
ほんとうに、その程度のことを毎朝数秒考えるだけでいい。
それだけで人生楽しもうと思えるようになります。
ただ、そんなことを考えて人生を楽しむためには、行動が必要になります。
達成はしなくてもいいけど、行動はしなくてはいけない。
これは当たり前のこと。なぜなら、映画やゲームの世界ではなく実行ができるのが生きるということだからです。
何もしない人だらけだから、苦しむ人が多い時代なんです。
何もしなくても生きていけるから、何もしない時代なんです。
だから、行動してみましょう。
まずは、自分の理想というものを頭のなかに思い浮かべようとした時、常にそれをすぐさま思い描けるように生きてみてください。
憧れと理想を勘違いしないようにしてくださいね。
それで人生が楽しくなりそうにないと感じるなら、身体的・精神的にどこか健康ではないことを疑ってください。