種子島。
船は、粛々と進んだ。
夜も、着々と準備された。
船の上に居たけれど、後悔は無かった。
夜がすっかり夜らしくなった頃、私はまだ甲板に居た。
写真が教えてくれたところによれば、私は19時数分前まで甲板でシャッターボタンを押しまくっていたようだ。あるいは、客室と甲板を行ったり来たりしていたのかもしれない。18時56分の奄美大島行きのフェリーの写真を最後に、しばらく時間が空いている。
恐らく、この後、一旦客室に引っ込んだのだろう。
確か、同じ部屋の人と話をしたような記憶もある。
次の写真は、21時38分。
確か、この辺りで船はおしゃべりをやめたのだ。
今、突如として思い出したところによれば、船はずっと独り言を言いながら走っていた。あるいはそれは、歌だったのかもしれない。
ここが、種子島・・・。
初めての種子島は、夜だった。
朝まで、ここで休むのだ。
上陸は、していない。
例によって、写真をたくさん撮った。
カメラをグルグル動かしたら面白いのが撮れたので、ひとしきりこれで遊んだりした。こういうのは失敗だと思ってさっさと削除しそうな自分なのに、この時は、なぜか、続きをしてみたくなった。そして、してもいいと思えた。童心にかえれたようで、ちょっぴり嬉しかった。
旅に出る前の自分なら「そんなことして、何になるの?」とセルフ突っ込みを入れていたに違いない。そして、その突っ込みにひるんで、結局何もしないで終わってしまっていただろう。
そう、もしかしたら、結果として何にもなっていないのは、この声に騙されて何もしてこなかったからかもしれないと思えてきた。そもそも、この旅だって「そんなことして、何になるの?」を無視して、始めたのだ。あの声は、常に私と共にあった。
騙されていた、というか、従ってしまっていたのだ。
“そんなこと”をして何になるかは、やってみないとわからない。それに、他の誰かにとって“そんなこと”でも、私にとてっては大事なことだってあるのだ。しかも、やってみた結果、何にもならなくてもいいのだ。私は私自身をもっと大切にしよう。それでいいのだ。というかむしろ、そうしたほうがいいのだ。
その時気になることを、自分のできる範囲で思いっきりして、結果は気にしない・・・。
(これを書いていたら、なんだか泣けてきた。涙が、止まらない。とってもあたたかくて寛大な、あのプラットホームにまずは投稿してみよう。)
一体、どれくらいの間、私は自分自身に対しこういうことを禁じ続けてきたのだろう? それは永遠のようにも思えた。呪いのかけ方が念入り過ぎたから、未来永劫、解けないようにも思えた。けれども、過去はどうでもいいことだった。これから、ちょっとずつやってみればいいのではないか?
私の心は、まだ完全には死んでいない気がした。希望の光が、見えた。光の軌跡が、奇跡を起こしかけていた。そう、この旅で、私は自分自身とほんの少しでも仲良くなりたかったのだ。1%くらいは、なれそうな気がしてきた。
22時ちょっと前、客室に戻った。
おやすみなさい。