半村良『戦士の岬』:真夏の宝隠しと「青春」の終わり
◎「青春とはなんだ」とはなんだ?
思いだしても気恥ずかしくなるのだが、大昔、『青春とはなんだ!』というドラマがあった。先に石原裕次郎主演の映画があったが、とりたててヒットはしなかったようで、評判をとったのは夏木陽介主演のドラマのほうだった。熱血教師の学園もの、という、その後、むやみに繁茂することになったタイプの濫觴だった。
どうにも気恥ずかしくて口にしにくい言葉というのがあるものだが、「青春」なる二文字は、書いたり云ったりするときにプレッシャーを感じる。嘘発見器をかけてしゃべったら、多量の発汗で針が一気に振り切れるに違いない!
気色の悪いものではあるけれど、青春という言葉が死なずに生き延びたのには、相応の理由はあったのだろう。若年であることをやめて長い時間が流れ、反対側の岸まで泳ぎ着き、対岸を振り返ってみると、あのあたりが俺の「青春期」だったのだろうな、と思う地点はやはりある。
青春期があったのなら、その終わりもあったはずで、そうであるなら、その終わりの瞬間を特定すれば、「青春」とはなんなのか、定義もできるのではないか? アメフラシかウミウシのように不定形で気持の悪いものではあるが、やはり、ある種のshapeはもっているように思う。てなことを、半村良『戦士の岬』の数回目の再読で考えた。
◎「フリーランス」の若者たち
『戦士の岬』は1975年から76年にかけて、「別冊小説新潮」に分載された。半村良は1933年生れなので、四十二から三あたりの執筆。みずからの過去を振り返ってみる年回り、のような気がしないでもない。
スタイリストの里見則子は、「南房総の東京湾側、国鉄内房線の勝山と富浦の間」にある村崎という集落で生まれたが、その故郷が周辺の再開発の恩恵を受けることないまま寂れつつあり、親類などから、何か活気を取り戻す方法はないかと云われ、東京の仲間たちに相談する。
それはコピーライター、写真家、絵描き、そして営業マン、といったフリーランスとして広告業界で働いている連中で、真夏のある日、彼らはさっそくその海辺の集落に向かう。
しかし、その村崎地区には観光資源になりそうなものはなく、何か施設をつくって運営していくというのも、地元の人たちには無理だろうと考え、土地を売って、よそに移転するのがベスト、という結論を得る。
土地を手離すなら、当然、できるだけ値を吊り上げたい、それにはどうしたらいいか。コピーライターの鶴岡は、土地にはストーリーが必要だ、という。馬琴の南総里見八犬伝の土地柄から、彼は里見氏がらみの「物語」をつくりあげる。
◎キリシタンと大久保長安の慶長黄金ルート
武田氏の滅亡後、家康のもとで金鉱の開発と精錬、さらには一里塚の整備など、民生面で幕府に貢献した大久保長安は、家康の六男松平忠輝の附家老となり、その忠輝は伊達政宗の娘、五郎八姫をめとった。
五郎八姫の母はキリシタンで、姫自身もキリシタンだったと考えられている。政宗はキリシタンではなかったが、使節として支倉常長と若者たちをヨーロッパに送り(天正少年使節)、常長はローマ法王に謁見することを得た。
たんなる憶測だが、政宗は秀忠の対抗馬に自分の女婿である忠輝を押し立て、二代将軍に据えて、自分は将軍の父親になる、という野望を持った、という説がある。大久保長安は忠輝の附家老として、その正宗の企図を、とりわけ金山奉行として培ったもので、資金面から支援しようとした、のではないだろうか?
コピーライターの鶴岡は、長安が開発した伊豆の金山からの隠し金が海路、南総に運ばれ、幕府の目をかすめた沖合での密貿易の決済に利用された、という想定をつくる。
長安の死後、佐渡や伊豆その他の金山銀山などから得た金銀を横領したなどの罪を問われ、長安の一族は処刑され、その庇護者であった大久保忠隣も連座して改易される。
その慶長の時の里見氏の当主、義康の子・忠義の正室は大久保忠隣の孫であったため、事件に連座させられ、里見氏も改易となり、家は絶える。
そのような歴史的事実と憶測とをないまぜにし、その大久保長安の南総密貿易ルートは、キリシタン禁制の端緒となった岡本大八事件をはじめとする、慶長の終わりの一連の事件のために壊滅し、中継地であった則子の故郷の南総村崎地区のどこかに、行き場を失った大久保長安の貿易資金が秘匿されることになった――。
◎宝物隠し
という想定のもとで、デザイナー、写真家、絵描き、コピーライターたちは、海岸の三角形の小さなでっぱりに「春風岬」という名前を与え、村崎の沖の岩場に十字に見えなくもないものを彫ったり、古寺の井戸にイエズス会を思わせる文字を彫った石を沈めたり、隠れキリシタンを暗示する「痕跡」をつくりあげる。
このあたりが、作家がもっとも楽しんで描いた部分なのではないだろうか。
コピーライターの鶴岡は半村良の分身で、彼がつくりあげた大久保長安の黄金をめぐるストーリーは、まるで半村良のフランチャイズだった伝説シリーズの一冊だ。じっさい、これはのちの『慶長太平記』(最終的に『黄金の血脈』と改題)という長篇のバックボーンとして利用される。
楽しそうに「手がかり」「証拠」をつくる若者たちの撥剌とした動きもまた、作家自身がアイディアを発展させて、リアリティーを裏打ちするさまざまなディテールをつくりあげていくプロセスが投影されたものだろう。
その意味で、これは半村式メタ小説、「半村良小説についての半村良作の小説」なのだと思う。
◎二重の密輸ルート、あるいは瓢箪から駒がふたつ
これだけの仕込みをしたのち、彼らは土地の代表者に会い、この土地を地付きの人間たちの力で活性化するのは無理、できるだけ高く売って、よそに移転するのがよい、と提案する。そして、高く売るには物語が必要だと考え、すでにそのための「仕込み」もしてある、と話すと、典子の叔父はおおいに驚く。
ここから、展開がファンタスティックな方向、アンリアリスティックな道へと入り込み、伝奇作家、SF作家らしい色があらわれる。
じつは、村崎地区の三家は戦争直後の混乱時代、持ち船の漁船を利用して「闇」(価格統制逃れの闇取引)で稼いでいたために、日本の財産を横領して、ひそかに米国へと運んでいた連中とつながりができてしまう。
村崎の漁師たちは、米軍不良分子から燃料の供給を受け、その見返りに、彼らの輸送ルートの一翼を担うことになり、それと知らずに、かの「日銀ダイア事件」、戦争中に日本国民が供出したダイアモンドの「紛失」事件(例の「M資金」にも関係する)に関与したらしく、特殊な荷物の搬送の際に、ボーナスとして全員がダイアモンドを受け取ったことがあった。
日銀の金庫から消えたダイアの一部は、一味の検挙の結果、輸送に失敗し、行き場を失って、村崎地区のどこかに秘匿された可能性が生まれ、若者たちは危険な状況に追い込まれてしまう。グループのリーダー、最年長の久野は、相応のものを得つつ、全員の身の安全を確保しようと、脳味噌を振り絞って対策を考える。
資金の調達やら、調査、立案やらで数か月がたち、ふたたび夏がやってきた。彼らは久野の案にしたがって、一年ぶりに南総の海辺の集落に集まり、彼らがでっち上げた「慶長の秘密の黄金輸送ルート」という伝説を信じ、埋蔵金の発掘をしているようなふりをして、ダイアモンドの行方を探る。
村崎地区の代表者である里見が、意図的にかつてのダイアモンド紛失事件をよく知る弁護士をつついた結果、大手不動産会社が、そこにダイアが眠っていると信じて、村崎地区の買収に乗り出し、いよいよ「悪い奴ら」と若者たちのゲームがはじまる。
ここから先は、未読の方の興趣を殺ぐであろうことを書く。まあ、『戦士の岬』はいまは入手難だとは思うが、図書館にはあるだろうし、電子版もあるかもしれない。
半村良は、たとえば『黄金伝説』のような「犯歴」があるのだが、ほんとうに莫大な財宝を発見してしまう、という抜け抜けとした話を書いたことがあり、読む側は、きっと、また発見しちゃうんだろうね、眼目はその後の処理だな、と先読みしていると、抜け抜けの自乗プロットで読者を殴り倒す!
ちょっとした手掛かりから、彼らは古寺が怪しいと考え、徹底的に調べ、ついに、井戸の底からダイアモンドが詰め込まれた箱を見つけてしまう。いや、これだけではただの「抜け抜け」にすぎない。まだあるのだ。
井戸に入った男は、横穴があるのに気づき、ダイアを地上に送り出したあとで、そちらを調べた結果、こんどは、土地を高く売るためのお話としてでっち上げたにすぎなかったはずの、慶長大判や小判も見つけてしまう!
◎財宝×財宝=ゼロ
ダイアモンドも大判小判も確保、というこの展開は、あまりにも抜け抜けとしすぎていて、冗談じゃねえよ、まじめにやれよ、と腹を立てる人もいるかもしれない。しかし、わたしは半村良ファンなので、この棚からぼた餅の財宝ザクザクは、ある程度予想していたし、じっさいにそうなったときは、あはは、と笑った。
話の眼目は、財宝を発見することではなく、それをどう処理するかにある、という読みもあった。
しかし、それ――いちおう、きっちり手順を踏んで安全と利益を確保する――はそれとして、作者の真の眼目は、さらにもうひとつ向こう側にあった。
それは何か? 「宝物」とは何か、「青春」とは何か、そして、「生きる」とは何か、ということだ。
彼らはダイアモンドのほとんどすべてと、大判小判の大部分を悪い奴らに譲り渡すことによって、身の安全を確保すると同時に、奴らが持つ深く広いコネクションを利用して、広告の仕事を得る太いパイプを確保した。そして、原宿に立派な自社ビルを建てる。
しかし、イラストレーターはコミックの週刊誌連載が決まって漫画家として一本立ちする未来が見え、コピーライターの鶴岡は小説を書きはじめ、カメラマンは独立して、もっと大きなスタジオをつくる計画を立て、カメラマン助手は飲食店経営をはじめようとし、則子は久野の夫人に収まり、ミンクのコートに袖を通す――。
ただひとり、彼らの活動をそのすぐれた才覚によって経済的に支えた営業マンの松永は、絶望する。
みんなで力を合わせていっしょに広告会社をつくり、大きく発展させたいと夢見て頑張ってきた、俺にはみんなのようなクリエイティヴな才能はない、仲間を助けることでしか生きられないのに、みんなバラバラになって、それぞれ違う夢を見はじめた、俺はこれからいったいどうすればいいんだ――。
◎ふたたび「青春とはなんだ?」
ジョン・レノンがダコタ・アパートメントで暮らしていたころ、ふいに、ギターを持ってポール・マカートニーが訪ねて来た。ジョンはしぶしぶポールを招き入れ、ちょっとセッションの真似事をしたらしい。そしてポールに、もう若いころとは違うんだ、今度来るときはちゃんと事前に連絡しろ、と云い渡した――らしい。
そもそも、ジョンが小野洋子と一緒になり、ビートルズの人間関係がぎくしゃくしたころも、ジョンは、もう子供じゃないんだ、大人には生活がある、しじゅう仲間とくっついて遊んでいるわけにはいかない、と云っていた。ご説ごもっともなのだが、永遠にバンドごっこをつづけたかったポールは深く傷ついたに違いない。
「青春」とは、「仲間がいること」なのだという考えに、年を取って辿り着いた。
若いころは、お互いに勝手放題に嘴を挟んでかまわない「仲間」がいた。土曜の深夜、いきなりドアを叩いて、「腹減った、馬車道でバーガー食いたい、付き合え」と云っても、怒らない仲間がいた。
しかし、ひとり結婚し、ひとり仕事でよそに越し、ひとり事故で死に、気がつけば、わがまま勝手なことを云い合える「仲間」などいなくなっていた。そうか、みんな大人になったんだな、と溜息をつきながら、独り静かに本をもってベッドに向かう――。
半村良『戦士の岬』は、そういう物語だったのだと、この歳になって思う。うっかり財宝を見つけてしまったばかりに、ほんとうの宝物――仲間を失って、ふいに、退屈な大人として生きることを引き受けさせられる苦さの物語だ。
◎バア・カウンターと酒棚のあわい
青春小説、というジャンルのものはあまり読まなかった。しいて云うなら、石坂洋次郎の諸作はそのへんに分類されるのかもしれないが、たとえば『陽のあたる坂道』『乳母車』『河のほとりで』が典型だが、じつは大人たち、親たちの物語で、若者たちは添え物ないしは狂言回しにすぎない。
山田風太郎『天国荘奇譚』や、高木彬光『わが一高時代の犯罪』は、ミステリーの形をとった青春小説だった。半村良は探偵作家ではない。SF作家であり、人情噺風味の風俗小説の名手であり、さらには国枝史郎、角田喜久雄の衣鉢を継ぐ時代伝奇小説の書き手だった。半村良も自分の分野の形式を借りて、青春小説を書いた――といいたいところだが、そう言い切るにはためらいを感じる。
エッセイ集『げたばき物語』のあちこちで断片的に語られている、半村良の十代終わりから二十代の生活は、「平均的な青年の青春期」にはほど遠く、山田風太郎や高木彬光のように、過去の自分の生活を土台にして若者たちを描く、などというぐあいにはまったくいきそうもない。
半村良=清野少年は、両国高校という滅法界に東大合格率の高い進学校に通いながら、家庭の事情で大学進学をあきらめる。学校はそういう生徒が教室の雰囲気を乱すのを嫌い、清野少年は授業中、校庭でひとりで遊んでいたという。そういう無法がまかり通る時代であり、学校だったのだろう。
高校を卒業とすると「紙問屋の店員」になり、自転車に何連ものをセロファンを載せて配達した。さらに板前修業をしたり、酒場に勤めたりし、やがてバアを経営するようになった。そして、酒場から離れて喫茶店経営に転じ、弟が就職したのをきっかけに、客商売から足を洗って、学歴を偽って広告代理店に入る。その直前にはじめて短篇小説を書き、「SFマガジン」の第一回コンテストに応募する。
計算すると、この広告業界への転身は二十八九のことらしい。たいていの人にとっての青春期の大部分を、半村良はバア・カウンターの向こうで、グラスを磨き、酒瓶と女たちの番をし、酔っ払いの戯言を笑みで受けて過ごした。
青春などなかった、と云っていいだろう。それでも、広告業界に身を投じて、チームで活動するようになり、がむしゃらに働いた時代のことは、小説やエッセイで楽しげに振り返っている。
そのへんの生活を反映した長篇『聖母伝説』も再読したのだが、読んでみると、やはり、この作にもふれなければ、『戦士の岬』を語ることはできないように思えてきた。よって、ここでいったん切り、つぎは『聖母伝説』に描かれた「遅い青春」を見る。