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モダーン・クラシカル・ギターの世界:Deep PurpleおよびI Only Have Eyes for Youのカヴァー

Oregon Guitar Quartet - Coversのように、クラシカル・ギターの世界は目下、盛んに現代化を試みている。その後、同様のアルバムに何度か遭遇した。ここではそのうち二種にふれる。

◎VC - Songs for Guitar (Jochen Roth)

まず、ヨハン・ロートによる、武満徹およびジョージ・ロクバーグのギター・トランスクリプション集のSongs for Guitarだが、これはトラック・リスティングを見ていただいたほうが話が早い。武満徹のギター・トランスクリプションはよく知られているが、あえて全曲並べる。

武満徹編曲
Londonderry Air (In the Style of Irish folksong)
Over the Rainbow (In the Style of Harold Arlen)
Summertime (In the Style of George Gershwin)
A Song of Early Spring (In the Style of Akira Nakada) つまり、中田章「早春賦」
Amours Perdues (In the Style of Joseph Kosma)
What a Friend (In the Style of Charles C. Converse)
Secret Love (In the Style of Sammy Fain)
Here, There and Everywhere (In the Style of John Lennon & Paul McCartney)
Michelle (In the Style of John Lennon & Paul McCartney)
Hey Jude (In the Style of John Lennon & Paul McCartney)
Yesterday (In the Style of John Lennon & Paul McCartney)
The International (In the Style of Pierre Degeyter)
The Last Waltz

ジョージ・ロクバーグ編曲
My Heart Stood Still (In the Style of Richard Rodgers)
I Only Have Eyes For You (In the Style of Harry Warren)
Two Sleepy People (In the Style of Hoagy Carmichael)
Liza (In the Style of George Gershwin)
How to Explain (In the Style of Poem by Paul Rochberg)
Deep Purple (In the Style of Peter de Rose)
Notre Dame Blues (In the Style of George Rochberg)


VC - Songs for Guitar (Jochen Roth)


パーレンの中にin the style of 云々とあるのは、原曲の作者名。ポップだったら、作者はあくまでもこの人たちであって、武満徹やジョージ・ロクバーグは「編曲者」としてクレジットされるはずなのだが(ロクバーグ作の曲はむろん別だが)、クラシックの世界ではこういう書き方をするらしい。

武満徹のトランスクリプションは多くのヴァージョンがあるので、ここでは検討しない。いずれ、べつの形、たとえば「クラシカル・レノン=マカートニー」、ないしは、武満徹自身に焦点をあてて書くことにする。

◎I Only Have Eyes for You

ロクバーグ編曲のうちに、気になるのは、ロックンロール・エラに大ヒットしたスタンダード曲である、I Only Have Eyes For YouとDeep Purpleの2曲だ。

まず前者から。I Only Have Eyes for Youはハリー・ウォーレン作曲、アル・ドゥービン作詞で、1934年の映画 Dame(邦題は『泥酔夢』だとか。ひっでえ語呂合わせ!)の挿入曲として書かれた。

うちには大戦前のヴァージョンはゼロ、戦後のものしかないが、それでもフランク・シナトラ、ドリス・デイ、レッド・ノーヴォ、コールマン・ホーキンズ、ロイ・エルドリッジ、アート・ヴァン・ダム、スリム・ゲイラード、スタン・ゲッツなどをはじめ、無数のヴァージョンがあって、早い段階でスタンダード化していたことがわかる。

が、この曲に関する限り、勝負ははるか昔に決している。1959年のフラミンゴーズ・ヴァージョンに、未来のカヴァーまで含めて、すべて蹴散らされてしまったのだ。あとのヴァージョンは忘れていい。それほどにフラミンゴーズ盤はすごかったし、いま聴いてもすごい。


The Flamingos - Serenade


まず、アレンジがいい。リヴァーブをきかせたギター(二本か?)の使い方が上手い。録音も、深いエコーが極めて効果的で、コーラス・パートのI Only Have Eyes for Youの、これ以上やったら聴き取れなくなるという、限界いっぱいまで深くエコーをかけたバックグラウンド・ヴォーカルズが、四次元から降ってくるようで、鳥肌が立つ。一聴、ぜったいに忘れられない強い印象を残すのだ。

じっさい、わたしがアメリカン・ポップ・ミュージックを熱心に聴きはじめる以前の大ヒットなのだが、中学の時にFENで聴いて、すげえ、と一発で記憶した。

しいていうなら、後年のアート・ガーファンクルのカヴァーが、フラミンゴーズ盤に近いテイストを持っているが、つまるところ二番煎じにすぎず、フラミンゴーズ盤の記憶の助けを借りてヒットした、といった程度のものだ。


Art Garfunkel - Breakaway, 1975


クラシカル・ギターの記事で毎度云っているのだが、スパニシュ・ギターというのは音に伸びがなく、たちまち減衰してしまう。このヨハン・ロート盤 I Only Have Eyes for Youもその典型で、フラミンゴーズ盤のセンジュアルな味わいには到底およばない。

まあ、承知のうえでやったことだろうし、そもそも、こういうトランスクリプションのターゲットは、ポップ、ジャズ・リスナーではなく、クラシカル・ミュージック・リスナーなのだろうが。

◎Deep Purple

ピーター・ディローズ作曲のDeep Purpleも、I Only Have Eyes for Youと似たようなもので、発表は大戦前の1933年(よけいなことだが、日本ではこの年、中山晋平作の「東京音頭」が爆発的にヒットし、東京市民は踊り狂ったとか)、翌年のポール・ホワイトマン楽団盤がヒットしたという。

この曲はそのポール・ホワイトマン楽団ヴァージョンをはじめ、ビング・クロスビー、アート・テイタムなどのすごく古いヴァージョンから、大戦後のアート・ペパー、デューク・エリントン、ジョニー・スミス、ドン・エリオット、バディー・ディフランコ、ビリー・ヴォーン、ジャッキー・グリーソン、パーシー・フェイス、ビング・クロスビー、ディーン・マーティン、ビーチボーイズ(ブート)、さらには大滝詠一とシリア・ポールのデュエットをはじめとする、無量大数のヴァージョンがわが家にはある。いや、コレクション自慢をしているわけではなく、それほどの大スタンダードだと云いたいだけ。


Nino Tempo & April Stevens - Deep Purple


もっとも有名なヴァージョンは、1963年のビルボード・チャート・トッパー、ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズの姉弟デュオのヴァージョンである。

これまた、わたしが本格的にラジオを聴きはじめるより以前のヒットだが、後年に至ってもFENでは頻繁にかかったし、おそろしく変な動きをするメロディーなので、一度聴いたらぜったいに忘れない。

ニーノ&エイプリルのものも、大ヒットしただけあって、二人のヴォーカルのピッチの悪さまで含めて、おおいに魅力的なヴァージョンではあるが、わたしが好んで聴き、しまいにはコピーして、ギターで弾いたのは、1965年のシャドウズのヴァージョンである。


The Sound Of The Shadows, 1965
間違いなくシャドウズのベスト・アルバム。昔、しつこく聴き、数曲コピーし、ギターをプレイアロングした。バーンズ時代なのでギター・サウンドもいい。かのBossa Rooを収録。


もともと、半音ずつ下がっていく箇所がある変なメロディーなのだが、シャドウズは、その半音下降を強調するように、さらに下へと延長するアレンジしている。それが可笑しくて、なんだこりゃ、どこまで下がる気だよ、とギターでコピーしてしまったのだ。ギターを弾く方はやってみるといい。大笑い必定である。

ジョージ・ロクバーグ編曲のスパニシュ・ギター・ヴァージョンのDeep Purpleはどうかというと、同じギターとはいえ、減衰が早くて音の伸びがないナイロン弦ギターは、やっぱり表現の幅が狭い、苦しいねえ、と感じる。


シリア・ポール - 夢で逢えたら Vox
The Very Thought Of You、Whisperingなどのスタンダードに混じって、Deep Purpleも大瀧詠一とのデュエットで唄っている。


◎ポップ対クラシック

スパニシュ・ギター・シリーズで以前にも書いたが、基本的には、こういうポップ・ソングのクラシック化はいいことだと思っている。変わらなければならないターニング・ポイントにあるのだ。

ただし、それは「なんだって試してみないことには、成功もなければ失敗もない」という原則論であって、出来上がったものを面白く感じるかどうかは、べつの話だ。

My Heart Stood Still、I Only Have Eyes For You、Two Sleepy People、Deep Purpleという、これまでクラシック方面では見たことのないポップ・スタンダードをプレイしてくれたのは、おおいにけっこうなことだと思うが、どの曲もポップ・ヴァージョンほど魅力的な仕上がりではない。


The Mamas & The Papas - The Mamas & The Papas, 1966
My Heart Stood Stillには本文ではふれられなかったが、これまたちょっとした数のヴァージョンがあり、このママズ&ザ・パパズ盤のようにポップ・フィールドのカヴァーもある。ママパパだから、当然ドラムはハル・ブレイン。アルバム・トラックだから、派手に叩きまくっている!


ポップ・フィールドのヴァージョンは、綺麗なメロディーを綺麗に見せること本旨としているのに対して、クラシック化では、よけいな枝葉、装飾が多すぎて、メロディーが見えなくなっている。

これこそが、ポップとクラシックの根本的な相違、と普遍化していいのではないかと思う。若いスパニシュ・ギターの弾き手たちは、茨の道を歩むことになりそうで、お気の毒ではあるが。


Dom Frontiere Sextet - Jazz in Hollywood, 1955
メロディー・ラインをくっきりと描き出す、という点では、このダム・フロンティエールのMy Heart Stood Stillがすぐれている。いい盤なのに埋もれてしまって、気の毒。


◎ギター&ベース・デュオ

VC - Sul Sur: A South American Anthology (Valerio Celentano & Marco Cuciniello)

ヴァレリオ・チェレンターノ&マルコ・クチニエロというイタリアのデュオによるSul Sur: A South American Anthologyは、Songs for Guitarとは異なった方向性のスパニシュ・ギターのモダナイズの試みである。


VC - Sul Sur (Valerio Celentano & Marco Cuciniello)


こちらは、20世紀のポップ・ソングのカヴァーではなく、スパニシュ・ギターにストリング・ベースを組み合わせるという、クラシカル・ギター界ではあまり見かけないサウンドの試みである。

いや、それをいうなら、ギターとベースだけのデュオというのは、ポップやジャズでも稀だ。とっさに思いだすのはジム・ホールとロン・カーターのデュオのみである。

Sul Surというのは自動翻訳ではon the southと訳されたし、副題は「南米音楽集」だから、選曲の意図は明白。よって、収録曲の作者の国籍を以下に記す。

エルネスト・ナザレ(ブラジル)
アグスティン・バリオス(パラグアイ)
アタウアルパ・ユパンキ(アルゼンティン)
パウリーノ・ノゲイラ(ブラジル)
ホルヘ・モレル(アルゼンティン)


アグスティン・バリオス
パラグアイの民族衣装なのだろう。こういう姿からあの音が出てくるのか、と妙に納得した。


ヴァレリオ・チェレンターノとマルコ・クチニエロという二人の経歴は不明なのだが、ギターは音を聴くかぎりではノーマルなクラシカル・スタイル。

ベースは微妙で、ジャズの経験もあるのかもしれない。ときおり、シンコペーションを使う。しかし、昔とは違う、古典のプレイヤーだって、グルーヴぐらいは理解しているだろうから、シンコペーションは経歴とは関係ないかもしれない。

ナザレのBatuqueとOdeon、ノゲイラのBachianinha No. 1、モレルのDanza Brasileiraなどの速めの曲では、ベースがいることが効果をあげ、クラシカル・ギター盤では感じたことのないグルーヴが生まれている(ギターのタイムが微妙に〝前〟であるため、しばしば突っ込むのが気になるが)。


Ron Carter & Jim Hall - Telepathy


◎グルーヴの導入

スパニシュ・ギターでは、しばしばギターの胴をパーカッションのように叩く。リズミックな味を加えたいとか、アクセントが欲しいといった動機なのだろうが、あれを聴くたびにゾッとする。

自分でアコースティック・ギターを弾いている時、坐ろうとしたり、持ち替えようとしたりする際に膝にぶつけては、ウワッ、気色悪いな、何やってんだ馬鹿野郎、不快な音を立てるな、と腹を立てるくらいだ、ギターを叩くのだけはやめてほしい。

スパニシュ・ギターは、ダンス音楽にも使うくせに、グルーヴがない。だから、パーカッシヴなものを欲しがるのは理解できる。それなら、グルーヴをつくるのに適した楽器を加えればいい。このギターとベースのデュオはそういう意図なのだろう。それはおおむね成功していると思う。

ただし、こうなるとジャズに接近しすぎ、クラシカル・ギターとしてのアイデンティティーは危機に瀕してしまう、という困った状況に立ち至る。


Jim Hall & Ron Carter - Alone Together, 1972


じっさい、この選曲をジム・ホールとロン・カーターのデュオがやったら、ホール=カーター組が圧勝すると思う。ロン・カーターのグルーヴに敵することのできるベース・プレイヤーなんてまずいないだろう。いや、そんな超大物を持ってくるまでもなく、4ビートの世界には、グルーヴのいいベース・プレイヤーはたくさんいるのだ。

ここでもまた、いつもと同じお題目を唱えなければならない。試みることは大事だ、試みないことには何も生まれないのだから。こういうトライアル・アンド・エラーを重ねていけば、いつか突破口が見つかるだろう、たぶん。

これまでのスパニシュ/クラシカル・ギター記事
・「国境の南のギターラ:マヌエル・マリア・ポンセ、アンドレ・セゴヴィア、ロドルフォ・ペレス 」
・Oregon Guitar Quartet - Covers:ビート・ミュージックのクラシックへの逆流
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