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「過剰の空」に巻き上げられそうな『漫才過剰考察』感想文
髙比良くるまさん、『漫才過剰考察』書籍化おめでとうございます。
発売からだいたい1週間。数回に分けて読み進め、ようやく読了。
くるまさんの言う"過剰"な考察が、私にはとってもちょうどよくて、この人の言葉が好きだなあと改めて思わされました。
だから、こちらも一般的に見れば過剰な、でもオタクとしてはありふれた、そんな感想の昇華の仕方をしてみたいと思います。
ガチガチのネタバレを含みますので、嫌な方は回れ右推奨。
ネタバレどんと来い!オタクのクソデカ感情どんと来い!というモノ好きさんは、もう少しだけお付き合いいただけましたら幸いです。
これまで&インタビュー
中面1ページ目の書籍タイトルが書かれたページを過ぎ、いよいよ本編!と意気込みながらページを繰ると、その先には「これまで」の文字があった。それを見て、真っ先に思ったことは、「”はじめに”とかじゃないんだ…」ということだった。
人生のエンドロールだと言われてもおかしくないくらいのみずみずしい人生の振り返り。世間にもてはやされる若手の天才の言葉にしては、あまりにネガティブであまりに等身大だった。
「幸せとは感じなかった。でも不幸も語れなかった。」
その言葉が、”何かになりたい”ともがく人には真っすぐ刺さる。多くの人が抱いたことのあるであろう気持ちを代弁するかのようなその言葉は、私のページを繰るスピードに拍車をかけた。
本を書き始めた時点じゃなくて、物心ついた時の話から全部を対象とし、「はじめに」ではなく「ここまで」という見出しを立てる。そんなのもう自叙伝だ。
だからこそ、コロナ禍の話の「使命を果たせなくなり、怠惰な人生に戻るのも恐ろしく、希死念慮が止まらなかった。」という言葉が、ひどく苦しく感じられた。
よかったなあ、「NHK新人お笑い大賞」があってくれて。そこまでくるまさんが生き延びてくれて。そう思った。
インタビューに関しては、2023の結果を知っているからこそニヤニヤしながら見てしまう。
本編にも出てくる過去大会のネタの話がたくさん散りばめられていて、本編を一周したあとで読み返すとさらに感慨深い。改めて過去大会の映像を見返したくもなった。
M-1グランプリ
「楽しみですじゃないんだよ!」
いきなり前項のインタビューにツッコミを入れる形でスタートできる王者、さすが。
この項では、2023大会の分析が「司法解剖」というタイトルで行われているのが面白い。
くるまさんが解剖しないと気が済まないというその大会が、出番順やらなんやらの影響で「漫才大全」みたいな、教科書的な大会になっていたというのはたしかにそう。でも、だからこそ私みたいな、お茶の間のお笑い好きがそのメソッドに気づいてオタク化するみたいな現象もけっこうあったんじゃないかなと思うので、一視聴者、一新参オタクとしては、わかりやすくて楽しい大会だったなと2023大会を振り返りながら読んだ。
くるまさんがいろんな例えを出して大会をまるっと分析してくれていたが、なかでも最終決戦の「教科書を没収し絵で笑える漫画を配りなおす令和ロマン」、「令和ロマンが配った漫画の青年誌版を配るヤーレンズ」、「見たことないPDFを配り出すさや香」の表現が好きだった。ヤーレンズと令和ロマンの票差がたった1票であったこと、M-1終了後に見せ算が有識者によってひも解かれ、ガチの学問になりかかっていたことなどを考えると、ものすごく適切な表現。まさに言い得て妙だなと思う。
そのほかには、2015大会からが丁寧にひも解かれているのが楽しかった。
2023以前はまだお茶の間レベルでしかお笑いを見ていなかったから、全く知らない大会もいくつかある。それをくるまさんの言葉と客観的な事実によって丁寧に分析してくれることで、「私ってこういうタイプのお笑いが好きなんだな」とか、「この時代はだからハマらなかったんだな」とか、自分のオタクスタンスの分析にもつなげることができた。
もちろん、2024の大会予想みたいな項目もあったが、私はそこを読んで本当にそうなったら昨年以上にのめって見る大会になりそうだなと思った。
何が楽しみってとにかくラストイヤー勢がアツい。
お笑いを好きになってようやくその威力を知ったトム・ブラウン、そして実力派のロングコートダディなんかもいるそうで。
この爆発力が決勝の戦力としてあるならば、2023の漫才大全のような決勝とは一線を画した、また別の面白さがある大会になりそう。ファイナリストはまだまだ発表されないが、そういう番狂わせというか、結果を読めなくしてしまいそうなメンツのいる大会が今年は見たいなあと思った。
寄席
東の漫才、西の漫才に加えて、北の漫才、南の漫才について分析されているのが面白かった。
くるまさん曰く、時代の流れは「北お笑い」であるらしい。「北お笑い」とは、「ボケ主導でコンビが互いに向き合う」形のお笑い。仲がいい同級生のじゃれ合いを見ているような感じのテイストがあり、ネットやYouTube、テレビなどから各地のいろんな笑いを摂取する「画面」のインプットが濃いお客さんが多いのが特徴(新潟出身のコンボイさんが「新潟は雪が降るし、東西両方のローカル番組が映るからすごくテレビを観る」みたいなお話をされていたことから北お笑いの要素のひとつとして「画面」というものを挙げている)。
なるほど、地域による違いってあるよなあ、たしかに。
お笑いは東西で分けられがちだが、東西でくくれないものもあって、そういうものは北と南の分析でけっこうカバーできるもんなんだなと思った。
あと、シンプルに寄席の話では、地域性や客層によってこういう身の振り方をしている、みたいな話が聞けて嬉しかった。自分が実際に行ったライブでのツカミやネタの進み方、そういうものを照らし合わせながら読むとすごく解像度が上がるし、M-1 2023でのトップバッターとしての身の振り方の裏付けみたいな気がして、すっげ~!ってなった。
そして、特筆すべきは「世界」の項。
芸人の世界進出、漫才の世界進出の話だが、「字幕」の普及によって漫才を漫才として受け入れてもらえる可能性が出てきたという話が目から鱗だった。
日本にいるとどうしても吹き替えと字幕っていうのはセットであるものだと思ってしまうが、アメリカではこれまで吹き替えが一般的で、Netflixの普及でようやく「外国の作品を字幕で観る」という文化が根付き始めたという。この風潮がさらに拡大していけば、漫才の日本語らしい言葉遊びも、そのまま漫才として届けることができるのではないか。今までありそうでなかった切り口の「お笑いの世界進出」。世界を変える30歳未満に選ばれる視点ってこういうことか!とすごくワクワクした。
海を渡る漫才、見たいね。どの漫才が一番最初に外国に根付くんだろう。楽しみ。
くるまさんが残したこの項最後の一文が、頭から離れない。
「吉本には、こういう人がいますように。」
私もそれを願うばかりだ。
本文注釈
本当は順番的に対談記事より後に来るはずのものだが、本文注釈で〆っていうのもなんか味気ないので、便宜上順番を入れ替えさせてもらう。
そもそも、一般的には、こういうセクション分けされたところに本文注釈なんて入ってこないのが普通だろう。
1章、2章みたいなものに肩を並べられるほど分量も内容もないものがほとんどだからだ。
しかし、『漫才過剰考察』における本文注釈はひと味違う。
なぜなら、この本の注釈、めっっっっっちゃくちゃに自我が強い。
下手したら本編よりも情報量が多かったりする。
※7までしかないというのに、ページ数はなんと16ページにまで及ぶ。学校のテストや受験の試験問題だったら絶対に有り得ない分量だ。
なかでも、※4の「漫才か漫才じゃないか論争」について述べた注釈は、全4.5Pと前代未聞の長さを記録している。
もうとにかくずっと喋っているし、気づいたら終電がなくなっている。まだ『漫才過剰考察』を読んでいない人は、ここだけでもいいから読んでほしい。
あと、これは完全に私利私欲による理由だが、私は令和ロマンのほかに、ヤーレンズとかが屋とダウ90000が好きだ。この※4の注釈で3分の2が登場するのが嬉しいので、とにかく読んでほしい。
「お芝居とコントを一緒にすると怒る人もいるから気をつけてね!よく、甲殻類を持ってる人とかね!」
そんなの、カニバブル代表一択に決まってる。いつぞやのABCお笑いグランプリの記憶。注釈タイトルから、M-1のマヂカルラブリーの論争についてだけ触れているのかと思いきや、しっかりここにも切り込んでいるのが、抜かりなさすぎて笑ってしまう。脱帽だ、すごい。
粗品×髙比良くるま 対談記事
載るって聞いてからずっと読むのを楽しみにしていた記事。
経歴や考え方の面で似ているところはありそうだなと思っていたが、なかなか2人でお笑いの話をしているところを見てこなかったため、すごく新鮮な気持ちで読んだ。
そもそもお笑い第7世代にハマらなかったし、なかでもキツく見えることが時々あった粗品さんには、正直なところ、ずっと少しだけ苦手意識を持っていて。
「すごいのはわかるけどあんまり好きじゃないなあ」と思っていた。
でも、くるまさんとの対談で「自分はこう思う」という形で対等に、くるまさんとほぼ同量の考え方を出力している文章を読んで、キツさや苦手意識みたいなものはだいぶなくなったなと思った。
それこそ、くるまさんが粗品さんに感じる「恐怖の正体」の部分が私が苦手意識を持っていた理由そのままで。
「あくまで粗品がメイン」。その自信が、ネガティブな自分とあまりに対極な位置にあるように感じてしまって、理解することを放棄していた。きっと、そんな感覚だったのかもしれない。
なんていうか、くるまさんの分析ってやっぱり愛があるんだなと思う。
速さや正確さが先行するロボットみたいな分析じゃなくて、あくまで人力の高速対処。
だからこそもっと聞きたいと思うし、こういう風に、人が曲がって捉えてしまっていた何かを矯正してくれる力もあったりする。
こういう対談記事を通して、くるまさんの考えや分析を通して、もっといろんな人のことが知れるコンテンツがあればいいな、そんな気持ちになった。
おわりに
『漫才過剰考察』を読んでここまで感想をしたためてきたわけですが、普通のオタクが好きなものについて感想を述べると、見ての通り、主観ゴリゴリになって、言い回しも単調になってしまうわけで。くるまさんみたいにバリエーションに富んでいて、筋の通った文章を書くのって、本当に難しいんだなと思います。
だからこそ、自分にできないことをやってのける人の文章ってすごくみずみずしくて、キラキラして見えるんですよね。
そういう文章で、今一番大好きなお笑いというコンテンツを、M-1という番組を、深く考える機会が得られて本当に良かったです。
2024年のM-1決勝は12月22日。いつものごとく日曜日で、やっぱり敗者復活と決勝の間に風呂には入れそうもなくて。
まだファイナリストは発表されていないけど、きっと令和ロマンはいてくれるだろうと信じています。
2024決勝はどんな大会になるのか、令和ロマンはどんな戦い方をするのか、そして、くるまさんがどんな言葉でその大会を振り返るのか、今からとても楽しみです。
くるまさん、ご執筆お疲れさまでした。これからもくるまさんの分析の、くるまさんが紡ぐ言葉のファンでいさせてください。
以上、感想エントリでした。ありがとうございました!