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文学部📚

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小学校時代から『あらすじだよね』と言われ続けた私の読書感想文や、答えの無数にある文学的思考の記録です。
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#宮沢賢治

お山歩きと新鮮なる宮沢賢治さんの詩の世界

お山に行くとき、いつも目にする言葉があります。 マコトノ クサノ タネマケリ宮沢賢治さんが4年勤められた農学校(今の岩手県立花巻農業高等学校)の校歌である『精神歌』の一節で、高校の入口に掲げられている言葉です。 現代語的に変換してみると、 足元の土から始まる壮大な可能性を詠う、美しい歌だなと感じます。 根源的なものを大事にする賢治さんを感じさせる詩はもう一つ、 この詩は続きがあって、傲慢な植物家と毅然とした森林管理士とのスリリングな問答が続きます。 早池峰山が舞台

【読み解け】濃い雲が二きれ(宮沢賢治)

シャーマン山は、賢治さんが良く表現する名前で、いわゆる早池峰山のことですね。 濃い雲が二きれ 誰か特定の2人を示して、 何を吐(ぬか)して行ったって? と、何やらご立腹の様子。 するともうひとりが答えます、 雷沢帰妹(らいたくきまい)の三だとさ! 雷沢帰妹は易学の言葉で、その三爻を示していると考えます。理想はわかるが、向いていない、不相応。そんな意味。 『こっちの言うことも聞かないで、あいつら上手くいくはずもない。』でも止めようにも止められない、もどかしい思いが伝わり

仕事始め。からの楽しい考察。

今日はひとり会社で私の仕事始めでした。 神棚にご挨拶。 構内を見て回って、会社締めました。 天気良い! 気の向くままに、ルートを選んで帰ることにしました。 県道37号線を北上して、円万寺にやって来ました。八坂神社、観音堂を参拝。 チベットの宝物とともに疎開していた多田等観さんが昭和22年から26年までこちら庵に入居。独居自炊しながら地元の方や、同じ年に疎開してきた高村光太郎さんと交流を深められた場所。 等観さんと光太郎さんは深い交流があったとされています。光太郎さ

2022-12-18 小説『銀河鉄道の父』門井慶喜

私の住んでいる岩手県花巻市の有名人といえば、宮沢賢治さんです。 市内だけではなく、岩手県全体が、宮沢賢治さんが遺してくれた世界観を享受しています。 私は他所からやってきた市民ですが、宮沢賢治さんへの印象としては、まぁよく理解はしてません。 岩手に来た頃から、どこか訪れればたいてい『宮沢賢治ゆかりの‥』といった案内や詩碑、モニュメント(種山の風の又三郎の像とか)があるわけです。 影響を受けやすい私は、そんな出会いを重ねるにしたがって岩手の景色や風土には、他にはない特別な