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文学部📚

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小学校時代から『あらすじだよね』と言われ続けた私の読書感想文や、答えの無数にある文学的思考の記録です。
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#多田等観

スタンフォードで巡り合う

花巻東高等学校、略して花東。 花東といえば大谷翔平さんですが、あらゆる常識を変えてきましたね。 もう1人、花東出身の菊池雄星さん。背番号の数だけ鼻毛でてるよと奥さんに言われるようなお茶目な方ですが、彼の教養の高さで、野球部の内面の豊かさをよく理解できて、監督の目指した理想像が見えてきます。 部員の目標管理のためにマンダラチャート(マトリクス法)を導入したのは、もう有名な話ですね。 導入するきっかけになったのが、硬式野球部の監督、佐々木洋さんと交友のあった佐藤伝さん。

お山歩きと新鮮なる宮沢賢治さんの詩の世界

お山に行くとき、いつも目にする言葉があります。 マコトノ クサノ タネマケリ宮沢賢治さんが4年勤められた農学校(今の岩手県立花巻農業高等学校)の校歌である『精神歌』の一節で、高校の入口に掲げられている言葉です。 現代語的に変換してみると、 足元の土から始まる壮大な可能性を詠う、美しい歌だなと感じます。 根源的なものを大事にする賢治さんを感じさせる詩はもう一つ、 この詩は続きがあって、傲慢な植物家と毅然とした森林管理士とのスリリングな問答が続きます。 早池峰山が舞台

(待望の)多田等観展〜風従乕雲従龍〜

花巻市博物館で本日から開催となった多田等観展を見てきました。 『仏教のルーツを探求しよう』 紀元前5世紀にインドで誕生した仏教は、中央アジアに広がり、誕生から1000年の時を経て中国から日本へ伝わりました。 インドから伝わった仏教が『生まれたままの姿』で残っていると云われているチベットへ仏教のルーツを探るために、多田等観に調査の命が下ります。 22才で日本を出てから33才で帰国するまでには色んなことが有ったわけですが、ダライ・ラマ13世の信任を得て、多くのチベット経典

仕事始め。からの楽しい考察。

今日はひとり会社で私の仕事始めでした。 神棚にご挨拶。 構内を見て回って、会社締めました。 天気良い! 気の向くままに、ルートを選んで帰ることにしました。 県道37号線を北上して、円万寺にやって来ました。八坂神社、観音堂を参拝。 チベットの宝物とともに疎開していた多田等観さんが昭和22年から26年までこちら庵に入居。独居自炊しながら地元の方や、同じ年に疎開してきた高村光太郎さんと交流を深められた場所。 等観さんと光太郎さんは深い交流があったとされています。光太郎さ

佐藤伝『命がホッとする生き方』☕

花巻市博物館では、年1回のペースで『多田等観展』を開催しています。 1900年代初頭に単身チベットに潜入し、チベット密教の僧侶として最高位の称号を得た秋田出身の方で、世界的なチベット研究者の一人です。 辛亥革命を機に等観がチベットを去る際、ダライ・ラマから贈られた宝物の一部が、戦時中に彼が疎開していた岩手県花巻市の博物館に所蔵されています。 私は2021年にこちらの本に出会いました。 著者である佐藤伝さんは、等観の孫にあたる方なのですね。 本の中で祖父との交流を回顧し