緑の島の黒ビール #『ギネスの哲学』 を読む
St. Patrick's Day の時期に読んだ、ギネスの歴史に関する本をご紹介します、という話。
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去る3月17日は St. Patrick's Day(セントパトリックスデイ)だった。アイルランドにキリスト教を布教した聖パトリックの命日で、現在のアイルランド共和国では祭日。尤も、この日は同国だけでなくアイルランド系の人々が移民した各国、近年は日本でも祝われるようになっており、シンボルカラーの緑色で街が彩られたり、緑の服や民族衣装を身に纏ったパレードが行進したり、アイルランド料理が振る舞われるイベントが開催される。
ビールファンの中には、既にこのイベントを馴染み深いものとして見る向きもあるだろう。というのも、毎年3月が近づくとアイリッシュパブ(少なくないブリティッシュパブでも)を中心にキャンペーンが打ち出され、店内がグリーンに飾られたり、アイルランド産のお酒の割引やシェパーズパイ等の特別メニューが登場する。聖パトリックの功績が巡りめぐって、筆者を含めたキリスト教徒ではない人々にも恩寵を与えているわけだ。せめて乾杯の際は、同地域の文化と信仰への敬意を欠かさぬようにしたい。
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偉大なるアイルランド・ウィスキーと並んで、アイルランドのビールも知名度が高い。日本のパブでも目にすることの多い伝統あるキルケニー(KILKENNY)やマーフィーズ(MURPHY'S)、所謂クラフトビールを標榜するブルワリーとしてはオハラズ(O'hara's)が挙げられる。とはいえ、同国を代表するビールを一本挙げろと言われた場合、それが250年の歴史を誇る ギネス(Guiness)であることに異論の余地はないだろう。ビールそのものと同じく黒を基調にしたパッケージデザイン、金色のハープのマークは、ローストした大麦を用いるアイリッシュ・スタウトという特徴的スタイルと共に、世界中で愛されている。
ビールファンの諸賢にとって、今さらその美味しさや、広範に受容されているが故の意外な振れ幅(ギネス・シチューや、ギネス漬けのチーズも!)について語るのは、もはや今更だろう。しかしながら、その創業家や故国の歩みをもっと知りたい方には、作家のスティーヴン・マンスフィールド氏(おおしまゆたか・訳)による『ギネスの哲学 ―地域を愛し、世界から愛される企業の250年』という書籍をオススメしたい。
元々ビールファンではなかったという著者による本書は、そもそもの人類とビールとの出会い、キリスト教社会への受容から宗教改革に至るまでの流れの解説から始まる。本書によると、先述の聖パトリックはアイルランド布教の際にメスカンなる腕利きの醸造家を連れていて、異教の族長達を美味いビールで懐柔した...という話も残っているらしい。知識としてケルトやゲルマンの諸部族がビールに古くから親しんでいたことは知っていたが、それが聖人を巡る伝説においても語られているのは意外だった(同時に、古代キリスト教=ローマ文化圏=ビールよりもワイン、という自分の先入観も反省した)。
さて、物語は創業者であるアーサー・ギネスの行跡、そして彼の子孫達によってギネスが世界的なビールメーカーとして成長していく過程に移る。初代アーサーが継母のブルーパブで醸造を始め、続いてダブリン郊外の小さな醸造所、そして現代に至るまでの同社の聖地となるセント・ジェイムズ・ゲイトに移るまでの歩みは、現代のブルワーの成功物語を彷彿させる。既に英国で生まれていたポーターの生産を開始し、ついに英国市場に逆上陸を果たすまでの、試行錯誤の積み重ね。これもまた然りだろう。
とはいえ一層印象的なのは、18世紀人である初代アーサーから近現代に至るまでの同社が果たしてきた、精力的な社会貢献だ。それは従業員の生活水準向上に始まり、ダブリン市民の住環境改善や子供の教育、文化財保護にまで及ぶ。今日「企業の社会的責任」の名で行われている以上のことに、前期産業革命の時代から取り組んできたのは驚きだ。特に集大成的に語られるのは19世紀半ば、ダブリン市の悲惨な衛生状況に対して彼らがとった行動だ。同社は若き医療担当者ラムスデンを中心に、ハード面の衛生環境だけなく一種の "行動変容" も含めたような、積極的な働きかけを行った。
ラムスデンの関心は単に病人の世話をするだけでなかった。従業員とその家族全員だけでなく、隣近所を含めた共同体全体が健康で、子どもたちが丈夫に育つようなものにすることまで含まれていた。ラムスデンの後にはスポーツ・クラブと競技場、プール、読書室、公園、そして公衆衛生、家事、職業の上で役に立つ、ほとんどありとあらゆる技術を奨励する褒賞制度が残された。
日本の近代においても、多くの資本家がその本業とは別に、自腹を切って社会課題解決に取り組んできた。例えば大河ドラマが放送されている渋沢栄一は日本赤十字の設立に貢献し、関東大震災後の復興支援にも取り組んだ。読者諸賢の地元にも出身の「資本家で、篤志家」な人物の偉業は伝わっているのではないだろうか(余談だが、我が故郷倉敷に行く機会があれば、是非とも郷土の偉人・大原孫三郎が開設した大原美術館を訪ね、近くの飲食店「蔵びあ亭」で地元クラフトビールを楽しんでほしい)。
一方で、その背景には公的な社会保障の欠落、戦争や災害といった大きな社会不安があったことを見逃してはならないだろう。我が国もさることながら、各国が通った近代社会の "産みの苦しみ" のみならず、ただただ悲惨で不条理なジャガイモ飢饉(人口減少25%!)、隣国による支配と内戦の歴史を経験したアイルランドでは尚更だ。その中で尚も誇りを失わず、少しでも今そこにある現実の改善に取り組んだ先人の偉業は、一層輝いて見える。コロナ禍で参っている現在の我々には、少々眩しすぎですらある。
持てる者と持たざる者の分断は、現代において一層可視化され、可視化されて尚も拡大しつづけている。過去の人々を仰ぎ見るだけではなく現代に視線を転じるならば、分断を乗り越えるために、ギネスの人々は一種のロールモデルになるのではないか、とも感じた。というのも、ギネス家は近代のアイルランドでは支配者側に位置したプロテスタントで、彼らの仕事への情熱、本業と社会貢献を地続きとする感覚は、まさにプロテスタント的な信仰心の発露とも紹介されている。一方、労働者・貧困層は多くがカトリック信者で、事実ギネス家は宗教的な理由から過激派による攻撃に晒されたこともあったようだ。それでも社会問題から目をそらさず、貧しい人々の立場に立つことも厭わなかった彼らの姿勢を、持てる者の余裕と断ずるのは簡単だ。しかしながらそれらの事業は、何度も訪れた本業の難局と並行して取り組まれたのも事実で、数世紀にわたる歩みは並大抵のことではない。
現代の我々には、18世紀以来の富豪であった彼らと比べて、社会全体との繋がりを直接実感するのは難しいかもしれない。しかしながら、本書で語られるギネス家の粘り強い姿勢を見たとき、我々は「わかりあえなさ」を言い訳にする前に、今そこにある現実をどう変えるのか?近視眼的な衝動を捨てて、もっと考えるべきステップがあると感じた。
さらに言うと、少なくとも昨年初め、クラフトビール界はコロナ危機においてALL TOGETHER と呼ばれた世界的コラボビール・プロジェクトで反応した。これは同じレシピを広く世界中のブルーイングで共有し、そのビールから上がった収益を寄付に回すというチャリティー的な要素を持ったプロジェクトだった。また、昨年後半には黒人差別への抗議を込めた BLACK IS BEAUTIFUL というコラボビールで、またしても国境や立場を超えた連帯を示した。また、日本国内を含めて数々のブルワリーが、地域の再生や持続可能な社会の実現といった課題に取り組んでいる。その意味では、ビール界の先達にあたるギネスの精神は、現在のクラフトシーンにおいても受け継がれ、生きているといえるだろう。とても素晴らしいことだと感じるし、クラフトムーブメントの恩恵に預かる一人として、自分には何ができるだろうか。消費者の立場に過ぎずとも、美味しいビールをただ愚痴や現実逃避の手段にしているばかりでは、初代アーサーが悲しむだろう。
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正直に言って本書を読む前は、St. Patrick's Day における「ギネス推し」はプロモーション部門への莫大な資金投入の成果では?くらいに思っていた(最近はそういう話が多すぎる)。しかし本書によって、ギネスがアイルランド、そして世界で長年愛されているのは、同社の確固たる、唯一無二の精神があったからだと気づかされた。NHKさん、外国人大河が解禁されたら是非「ギネス三代」をお願いします!
(いつぞやの3月17日に入手した、著名なジョン・ギルロイのイラスト入り、ギネス・コースター。このイラスト、コップを上向きに飲み込んだ駝鳥への心配メッセージが殺到したらしい。ちなみにギネスが広告PRを解禁したのは1927年、それまでは広告ナシで世界に進出していた!)
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あんまり関係ない話
Twitterを見ていると、どうやらBREWSKI旋風が来ている...? トリプルベリーパイ、とても気になる。
以上
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