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Well-beingとは何を意味するのか
最近、Well-beingという言葉がよく目にします。これはどういう意味なのか、直訳すると「良い状態」(Well:良い + being:状態)ということですけれど、いろんな人がいろいろな立場から述べており、混乱しています。
それは「幸福」を意味するとか、単なる幸福ではなく「総合的な幸福」とか、「持続的な幸福」を意味するという人も少なくありません。「健康」や「福祉」の意味にも使われます。
さて、この注目のキーワードは何を意味しているのでしょうか?
◎誤解されるWell-being
ここ数年、企業も政府も “Well-being” 言葉を盛んに使うようになっていますが、その定義はいまいちはっきりせず、混乱するばかりかと思っています。
いちばんよく出てくるのが「WHOの健康の定義」からの誤解です。ネットで検索すると、このWHOの健康の定義との関連がいちばんに出てくるのも、まさに現在のインターネット社会の「闇」というか、コタツ文化の成れの果てかもしれません。
ちなみにGeminiさんに聞くと以下のようにお答えでした(ChatGPTさんも大きくは変わりません)。近頃はGoogleの検索でも、AIによる生成を行っていますので、ほぼ同様の答えが出てきます。
「ウェルビーイング(Well-being)」とは、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念で、「幸福」と翻訳されることも多い言葉です。
<ウェルビーイングの定義>
世界保健機関(WHO)では、ウェルビーイングを以下のように定義しています。 「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、身体的、精神的、社会的に、すべてが満たされた状態(well-being)にあることをいう。」
つまり、ウェルビーイングは、単に病気や不調がないということではなく、心身ともに満たされ、社会的に良好な状態にあることを指します。
優秀だと言われるAIさんなのですが、「世界保健機関(WHO)では、ウェルビーイングを以下のように定義〜」と書かれています。しかし、ここに記述されているのは設立当時の健康の定義であって、Well-beingの定義ではありません。はっきり言って間違いです。
具体的には、世界保健機関(WHO)憲章の前文で健康の定義がなされていて、そこにWell-beingという言葉が出てきます(1946年)。
原文までは引用しませんが、日本WHO協会では「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(Well-being)にあることをいいます」と訳されています。
この「満たされた状態」がWell-beingを訳した部分です。ざっくりポイントを示すと、健康とは「〜肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、Well-beingであること」だと定義したわけです。
ですから、これは健康の定義であって、Well-beingの定義でも何でもありません。なのに、どうしてすり替わるのでしょう。
しかも、第二次世界大戦直後の、今となっては随分と古臭い健康の定義をひっくり返してWell-beingの定義にしちゃうのが不思議でなりません。
ちなみにWebでよく見るWell-beingの「肉体的・・健康であること」という定義を上記の文章に当てはめるとその奇妙さはより明確になるでしょう。
健康とは「〜肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、“肉体的に精神的に社会的に健康であること” であること」であり、このことをWell-beingという……みたいな、ぐるぐる回って何が何だかよく分からないことになります。
このとっ散らかった定義があちこちの大企業さんのホームページにたくさん書かれています。
しかも、みんなが信じるGoogleさんの検索結果でも、「AIによる概要」が示されるために情報汚染が加速されるのです。ほとんど意味不明というか、昨今のSNSでの流言やマスコミのコタツ記事と同じです。原点の確認もなく、急いで引用しただけなのでしょう。
このウソというか、いい加減なコタツ情報の連鎖は、今ではGeminiやChatGPTさんにも及び、Googleの検索にまで入ってきて、さらに加速しています。ウェルビーイングの意味そのものがまったくWell-being(良い状態)じゃなくっているという、ひどい状態です。
このように今の世界はさらにフェイクがフェイクを呼んで、混乱に混乱を増していくのだと思います(話がちょっと逸れていますけど)。
◎それは「常に私たちに問いかけてくる言葉」である
Well-beingの意味を直訳すると「よい状態」や「満たされた状態」となるでしょう。この言葉は文脈への依存度が極めて高い言葉であって、単語だけを取り出して定義していくことの危うさと奇妙さ出てくるのだと感じます。
例えば、Are you fine ? とか I feel good などに近い言葉か、それよりやや「生き方」や「存在」の方向へとシフトさせた、満足度などを示す言葉であると捉えるとよいのではないでしょうか。日本語でいえば、「ご機嫌いかが?」や「調子はいいかい?」「元気にやっている?」といった言葉に近い印象です。
例えば、「健康で文化的な生活とは?」という質問があったとき、それは人それぞれ、地域やライフスタイル、その他いろんな属性によって異なってくるでしょう。この言葉の意味を定義するというより、この言葉が“問いかけてくること”にこそ意味があります。
健康の定義については、かつて「スピリチュアル」を入れるのかどうかの議論が1990年代にありました。結果は時期尚早とのことで保留になっています。
世界中にはまだまだ飢餓や貧困が溢れており、肉体的な健康さえ十分に得られない人たちが多く取り残されるなか、「〜精神的にも社会的にも完全に満たされた健康」ということ自体がまったく達成できていない。にもかかわらず、「スピリチュアル」まで加えても意味がないといった議論がありました。
おそらくは Well-being も同じでしょう。あなたの「人生は良い状態?」と尋ねられて、どう答えるのか? それが健康で幸福といえば、概ね間違いないけれど、現代の日本で「人生が良い状態」とは何を意味するのかと聞けば、いろんな答えが出てくるでしょう。これが “Well-being” です。
Happy というのは瞬間の幸福のことで、Well-beingはSDGsと絡めて、もっと持続的な幸福のことだという人もいます。そうかもしれません。けれど、僕としてはあまりピンとは来ないのです。
さらに、国連では2030年を達成期限に、「持続可能な開発目標 SDGs(Sustainable Development Goals)」を掲げてきました。そして、2030 年から国連生誕100周年の2045年までの新たな目標として、人々の主観的なウェルビーイングを重視したSWGs(Sustainable Well-being Goals)を掲げ、「みんなで持続可能なウェルビーイングの状態を目指す」としています。
ここでのWell-beingはどういった訳語になるのでしょうか。持続的な健康とか○○な健康など、どの言葉もうまく馴染みません。だから、“ウェルビーイング” というカタカナになっているのでしょう。
かつては経済成長を中心に推し進めてきた国連が環境問題を筆頭にSDGsとして「持続的な発展」を掲げ、次なる目標を「一人ひとりの生活の質的向上」を目指す方向、SWGsへと転換しています。
これは開発(Developmen)からWell-beingへの転換であり、データで測定できる客観指標としての幸福だけではなく、主観的なウェルビーイングの重視です。人々の幸福や生活の質、自己としての存在意義、社会的包摂、環境の持続可能性など、多面的な要素を含んでいるのはないでしょうか。
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というわけでWell-beingへの注目度は俄然アップしているのですけれど、その意味についての “揺れ” は大きくなるばかりというか、もはやWell-beingとそのまま表現するしかないのかもしれません。
そもそも健康についても、病気の有無そのものでは語れません。「病気でないとか、弱っていないということではなく」というわけでもなく、「疾患の有無に関わらず」と考えられています。健康の意味は、今やWHOの定義よりさらに多様化し、よりダイナミックなものとなっています。幸福も同様です。何かが満たされればそれで幸福なのかどうなのか、ギャロップ社の調査で幸福度はどこまで測定できるのか、議論されるでしょう。
だからこそのWell-beingなのでしょう。それを健康や幸福という言葉に置き換えても、おそらくWell-being というニュアンスは伝わらないように感じます。ある意味でこれは究極のオープンクエッションでもあります。
知人から「どう?うまくいっている?」と聞かれたとき、自分ならどう考えるのか? それが Well-being からの問いかけです。
自分が「良い状態」とは何であるのか、「常に問いかけられている言葉」として、幸福や健康にはない広がりが出てくるのだと思います。 主観的なウェルビーイングを求めていくことが今後のWell-beingのあり方となるでしょう。
フランクル流に言えば、 “Well-beingとは何か” と問うのではなく、それが何を意味するのか “常に私たちは問いかけてくる言葉” なのでしょう。
◎どう定義すればいいのか、定義できるのか?
というわけで、Well-beingを日本語にするのはけつこう難しいと思います。「包括的かつ総合的な幸福や健康の概念」といえば、それっぽいのかもしれませんが、あまり内容はありません。おそらくはウェルビーイングなのでしょう。
私たちに問いかけてくる言葉としてのWell-beingといってもいいのですが、これだけでは困ります。そんなニュアンスも含めつつ、Well-being の文脈で語られる幾つかのキーワードをさらに拾ってみましょう。
例えば、Well-being とは
・広い意味での健康や幸福を表す
・心身ともに安定している状態
・短期的ではなく長期的な満足状態
・イキイキしていること
・自分らしく元気な状態(主観的な幸福感)
・主観だけではなく、周囲との関係性を含むもの
・ダイナミックな関係性の中で成立するもの
といった言葉が浮かびますが、どうでしょうか。
これらをまとめると、「周囲の人たちや社会、環境と調和しながら、自分らしく、イキイキと健康に生活している状態」といってもいいかなと思います。
人は一人では生きられません。ともに存在すること、助け合うことは充実感や幸福感と密接に関係してきます。マズローの3段目から5段目にある所属や承認、自己実現欲求から言えば、「コミュニティーに属して承認されている状態、さらに自分らしく健康に生きている状態」です。
ポリヴェーガル理論の言葉を使えば、腹側迷走神経を通じた共存関係が自己肯定感や幸福感、安心感につながるでしょう。その意味でも、周囲(家族や友人、社会、環境)と調和しながら、自分らしく健康に生きて行くことは、かなり広い範囲で使える Well-being ではないかと考えます。
ただ、これではちょっと長いですね。この言葉をさらに短くしてポイントを抽出して「自他との調和」といってもよいのではないでしょうか。
ここでの自分とは、自分の体であり、心であり、自己存在です。心身ともに満足している状態であり、自己受容や自己肯定感を含みます。難しくいえば「自己存在そのものとの調和」となるでしょう。これは垂直方向の調和です。
他者とは、狭い範囲では家族や友人、同僚たち。広い範囲では社会や地球環境まで含まれるでしょう。どの範囲を調和の対象とするのかは個々人で異なると思いますが、これは水平に広がっていく調和です。
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この「自他との調和」を私なりのWell-being の定義としておきたいと思います。但し、前述したようにWell-being は文脈依存性の高い言葉です。
「調子いいかい?」と聞かれて、それって体調のこと、それとも仕事のこと、あるいは地域全体や会社のこと? 色々ありますね。
幸福や満足にはいろんな形があります。どんなことが幸福であるのか、満足であるのかは人それぞれ、それは健康もまた同じでしょう。
ですから、 Well-being は一つの言葉で定義するものではなく、それが何を意味するのか「常に私たちに問いかけてくる言葉」でもあります。この“常に問いかけられること”にむしろ大きな意味があるといってもよいのではないでしょうか。
そろそろまとめてみましょう。
Well-being とは「自他と調和すること」であり、これは「自分が属している社会や環境と調和しながら、自分らしく、イキイキと健康に生活している状態」を意味する。但し、これは包括的な定義であり、主観的には「Well-being とは、それが何であるのかを常に私たちに問いかけてくる言葉」である(Konishi,2025)。
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