それは、綺麗な
綺麗なメンタルヘルスがわたしはすきであることに気がついた。綺麗な、という定義は健全でも健康ともまた別の意味に唐突にすとん、と当てはまってしまった。
例えば、純粋に落ち込んでいる、安定しない、情緒不安定で、泣く、静かに怒る、憎む。
そういう感情のあらわれに心が惹かれる。綺麗だと思った。
誰かに理解を得て欲しいわけではなく、綺麗なものの定義がとても難しいな、と。
色が綺麗だ、とか、そういう感情は目に見えて集まりやすい習性がある気がする。誰かが発信して、同調する。でも、心の中身の話になると、複雑で、入り組んでいて、迷宮のような、正解の見えないパンドラの箱状態になる。
無理に理解してもそれはただの形式的なものでしかなくて、本当に精神を相互理解するのは脳の記憶から何から全てシンクロさせて、なんてオカルトサイエンスみたいな話になるので省略で。
負の感情に綺麗だと思うのは多分、わたしが負の感情に対して親しみを持っていると自分で認識しているから。親しみは、美化を加速させる。嫌悪は、悪化を加速させる。
どんどん深く潜って行く、暗闇の中で一筋の光を探す、助けは来ない、それでも終わりは来ない、ただただ下へ下へと進むだけ。
とても深い青色に包まれて、外界の音は限りなく遮断されて、聴こえるのは心臓の音と、ぶくぶくとこぼれる、空気の音。
暖かくなることはなくて、ひたすらに冷たくて、そのうち冷たくはなくなる。でも、暖かくは絶対にならない。だってここは心の底。
救いを求めてもがくより、静かに沈むほうが美しい。
それは諦めじゃなく、英断だと、わたしは思う。