
言葉を使うスキル――「ランゲージアーツ」について
私は編集者およびライターとして仕事をしています。決して批判ではないのですが、他のライターや編集者の方と一緒に仕事をしていると、最近「ずれ」のようなものを感じることが増えてきました。
その「ずれ」を感じることが増えた理由は、以前にくらべて、年齢や性別、得意分野、重ねてきた職務内容など、より幅広い層の方々と接するようになったからであろうと思っています。
ですがそんな中でも、「ずれ」に共通する点があるように感じています。それは「言語を使うスキル」についてです。私もまだまだスキルを高める余地が多々ありますが、それでも、この言語を使うスキルについて、同じ職務に就いている人々の間でも差異があり、その差異についての理解がないゆえに、こちらの要望が相手にうまく伝わりきれなかったり、あるいは先方の要望について私がよく受け止めきれなかったり、といったことが起きているのではないか、というのが私の仮説です。
■ランゲージアーツ(Language Arts)について
つくば言語技術教育研究所の三森ゆりか氏(言語教育の専門家で「日本語の言語技術」を教えている)は「ランゲージアーツ」を日本に本格的に持ち込んだキーパーソンとして知られています。以前、三森氏の書籍『外国語を身につけるための日本語レッスン』(白水社)を読んで、なるほどとうなった記憶がありました。
ネット上にも参考になる情報が掲載されています。平成16年とずいぶん古い内容ですが、令和の今でも気づかされることが多い内容だと思います。文化庁の資料である次のURLがそれです。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kyoiku/taikai/16_tokyo/bunkakai_4.html。
こちらのURLの内容によれば、欧州など諸外国の初等教育では、言語技術、具体的には論文を作成する力、相手の意見を理解した上でその妥当性を検証したり、自分の意見との食い違いを認識し合意を形成する能力などを高めることが目標となっており、実際そのような教育内容が組まれているそうです。
「論文作成や相手の意見の妥当性を検証する能力」とはどのようなものでしょうか。上記のURLにも説明が書かれていますが、自分自身の経験も踏まえて私なりに整理してみました。それが次の4つの能力です。
1)「文章の読解および要約の作成能力」
2)「自分の意見を明確にして文章として表現する能力」
3)「相手が述べた意見を聞きながら、自分が理解できなかった点を文章として組み上げ相手に質問することで、相手の意見を理解し、その要点を口頭で述べる能力」
4)「相手の意見と自分の意見の相違を明確にしながら、一定の結論を見いだす能力」
これは私の過去の取材ライターおよび編集者としての仕事も含めて整理したものですが、実は駆け出しの新人の頃、いずれの能力も仕事で要求されるレベルになかなか追いつけず、かなり苦労した記憶があります。転じて、これが十分なレベルに到達していないビジネスパーソンは(意外にも)多そうな気がしています。
■ランゲージアーツを学ばない日本人
これは三森氏も書籍や先の文化庁のURL資料にて述べていますが、日本の小学校や中学校、あるいは大学でも、このようなランゲージアーツに類する内容はほとんど学びません。当然、私も学びませんでした。
現状の日本人は多くの場合、高校なり大学なりを卒業して仕事の現場に就いてようやく、こうした言語の使い方について学ぶケースがほとんどです。
一部の大学では論文作成および研究活動の基礎力を高めるために、こうしたランゲージアーツを意図的に教えているようです。ただ私がざっくりネット検索して調べて見た限り、まだかなりの少数派であるように見えます(教えられる教員が少ないのだろうか?)。
先の三森氏の談話で、特に気になった個所がありました。商社の仕事(当時の三森氏の担当は議事の記録および翻訳だったようです)で日本人が海外の企業と交渉に入ると、日本側がことごとく負ける。議事録を追って読んでいくとその理由が見えてくるのだと述べています。
近年、日本の国力低下が指摘されていますが、特にデジタル分野における海外企業との相対的なパワーの差異は、ここから来ているのではないかとも思いました。つまり言語という思考ツールを扱う基礎能力の差が生んでいるのではないかと思うのです。
転じて、この三森氏の指摘は平成16年ですが、令和の今でも、それほど事情は変わっていないのではないでしょうか。
私はたまたま言葉を使う最前線の仕事(文章執筆・編集)に就いたため、たまたまランゲージアーツのトレーニングを集中的に、しかも長期間にわたり受けてきたと言えるでしょう。
仕事以外の場で他の業界の人と話をしていると、「あなた(筆者のこと)の説明はわかりやすい。また、その意見からは洞察力や構成力の高さがうかがえる」とお褒めの言葉をいただくことがあります。こうしたお褒めの言葉をいただくのはうれしいことではあります。
ただ、おそらく私の能力が特別高いわけではないでしょう。本来、多くの日本人ビジネスパーソンが持ちうるはずの、物事の洞察力・意見の構成力・説明力が、ランゲージアーツの教育機会が欠けているために発揮できていない、ということではないかと思うのです。転じて私はただランゲージアーツを仕事にしたために鍛えられただけで、その結果として物事の洞察力・意見の構成力・説明力が高くなっただけ、と言えるような気がしています。