自分の生き方を決めて、それを生きることについて
どうやら最新の科学は、形而上学や秘教の世界にかなり近づいてきているようです。
ここ20年をかけて少しずつ支持されつつある最新理論として、「電気的宇宙論」というものがあります。これによれば、「この宇宙は電気エネルギーで満たされており、星と星、そしてわたしたちもすべて、電気的な相互作用によって成り立っている。つまり、すべてが電気を通じてつながっているのだ」と言います。
電気的宇宙論に基づけば、私が子供の頃に教わった「宇宙空間は真空だ」という説は間違いだったということになります。確かに、真空であれば、ロケットのバーニアは効かないはずですので、素人目に見ても宇宙空間には何かがあると考えるのが順当でしょう。
だとすれば、「遠いところにいる人の動きを心のどこかで察知する」といったテレパシックな潜在能力も、決して偶然やおとぎ話などではないと考えられます。なぜならわたしたちの脳は電気で動いており、また世界は電気エネルギーで満たされているためです。
また、物理現象としては「共鳴」というものがあります。同じ周波数を発する鐘を2つ並べて1つを鳴らすと、離れているもう1つも共鳴して震え、音を出すというものです。これは音が到達しうる範囲であれば音響の仕組みとして説明もできますが、電気的宇宙論でも説明できるのではないかと私は思っています。
古代の密教組織では、修行僧が集まって共に瞑想や修行を行う「サンガ」という活動をしていたそうです。同じ動機や目的を持った複数人で、同じ行動を同時に行うことにより、共鳴効果を引き出して、ひとつの修行的な目標を達成しようとしていたわけです。
こういった最新の科学理論を総合すると、わたしたちは一人ひとりが常につながっており、孤独な人など誰ひとりいないのだ、ということが見えてきます。
こうして概括すると、精神世界と科学は地続きのように思えます。宇宙はエネルギーで満たされており、そして人それぞれにエネルギーが注がれています。
■「私はこう生きるのだ」という意志が起点
とはいえ、人には自由意志があります。そして原因と結果の法則があり、だれもそこから逃れることはできないそうです。となると、よくない原因を積み重ねてきた個人は、その結果として魑魅魍魎な餓鬼の世界を味わうことになるのかもしれません。
天国か地獄か、その分け目はどこにあるのか。それは世界に対する理解が浅薄な私が気軽に語ることはできません。ただ、今の私として、経験上間違いなく言えることは、「自分の希望と決定がスタート地点である」ということです。
なぜそう言えるのかというと、私自身、「こういう生き方にする」と心で決めるようになってから、少しずつ人生が望む姿へと変わりつつあるためです。
数年前のある時期まで、私は「過去に失敗した自分をいちいち思い出しては悔やむ」あるいは「どうにもならずにはまり込んでしまった苦境に陥っている自分をいちいち思い出しては悔やむ」という状態にありました。時期に応じて程度の強弱はあれ、若い頃から基本的にずっとです。長く、その状態から抜けられずに、苦しんでいました。
結局のところ、私の一連の失敗や苦境、そして、それをいちいち思い返しては悔やんで悩む、という心の状態は、すべて自分が作り出していました。
しかも、作り出している根本原因を探っていくと、私が小さい頃に受け続けてきた母親と父親によるダブルのハラスメントがありました。生まれた環境が、自分が抱えてきた精神的苦境の根っこにあったわけです。
そしてさらに言えば、これはかなり精神世界の極みとも言える話題かもしれませんが、私の本質たる存在(魂とかスピリットと言われるもの)は、どうやら、「酷い父母の元にわざわざ生まれて、そこからいろいろな経験をする」と決めて、この人生を選んだようなのです。(こうやって記述している今でも、「どうやらそれが真実らしい」というかすかな気づきでしかありませんが)
そして私は、このような人生設計の全体像がおぼろげながら見えてきた頃から、「自分はこう生きる」という選択と行動がしやすくなってきた気がするのです。まだ「気がする」というレベルでしかありませんが、少なくとも、いま私が感じている「私は確かな何かを掴みつつある」という感触は、本物であると思っています。
これは私の経験上間違いなく言えることですが、形而上的に人生を捉えた場合に「自分の人生は、他者など自分以外の要素によって、固く、固く、決まってしまうものなのだ」という認識――被害者意識というべきものでしょうか――が強いと、そのぶんだけ、自分の人生のコントロール感が奪われるようなのです。
30代・40代の私はひたすら、自分が生まれた環境やそこから導かれるように創出されていた「負の人生」を呪っていました。呪って呪って呪って……さんざん呪ったあげくに、「どんなに呪っても、『家庭環境は自分自身の霊的本質が選んだ人生の初期設定である』という事実は、動かしようがない」というフレーズが自分の意識の内側で明確な輪郭を帯びてきたのが、50代にもさしかかった、つい最近のことでした。
そこからの私は、先に述べた「自分の人生のコントロール感」が少し、高まってきたような気がするのです。
「どうすれば、そのようになれるのか」。おそらく若い頃の私が今の私に出会ったならば、そう問い詰めると思うのです。
翻って今の私はまだその道程を整理し切れているわけではありません。ですが少なくとも、瞑想や「DNAアクティベーション」などの、私が経験してきたツールが大いに役立ったことは間違いないでしょう。
この秋、いろいろなヒーリングイベントや瞑想会を通じて、皆様と直接お目にかかれる機会を設定していく予定です。可能な範囲で、いろいろなシェアをしていけたらと思っています。
■「真実の剣」note記事をご覧いただきました方へ
「真実の剣」のnote記事をご覧いただき、ありがとうございました。併せて、ぜひ、下記のヒーリングや瞑想ワークショップの情報もご覧ください。
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■あなたが備えているすべての可能性をオンにする「DNAアクティベーション」
DNAアクティベーションは、伝統ある形而上学の学校が古来引き継いできた、最重要のヒーリングメソッドの1つです。
DNAアクティベーションは、伝統ある形而上学の学校が古来引き継いできた、最重要のヒーリングメソッドの1つです。
かつては王族や神官など、限られた人にのみDNAアクティベーションの存在が明かされてきました。つまり、ごく一部の人物しか、このDNAアクティベーションの恩恵を受け取ることはできませんでした。
しかし、今は形而上学の学校・モダンミステリースクールが一般公開に踏み切ることにより、正式なトレーニングを受けて認められたヒーラーなら、施術ができるようになりました。これにより、市井で活躍するより多くの人々が、このDNAアクティベーションの恩恵を受けられるようになっています。
これを受けた人は、まさに形而上学が語る最大の教え、「I am God.」の一片――人ひとりがそれぞれ持っている、素晴らしき可能性に光がともります。これにより、心の平和と心の豊かさをもって、オリジナリティーに溢れた人生を切り開いていくことができるようになるでしょう。
私がDNAアクティベーションを最初に受けたのは2005年9月のことでした。そしてDNAアクティベーションの施術法を最初に学んだのは、2009年でした。初めて学んでから10年以上もの月日が経過していますが、このヒーリングの威力については、発見の連続です。
受けた人が備える可能性を最大限に開く、古来の叡智・DNAアクティベーション。このヒーリングの恩恵を、ぜひ、多くの人に受けていただきたいと思います。
DNAアクティベーションの解説ページはこちら
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