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私を悩ませてきた「沸き上がる殺意」と、母親による性的ハラスメントの関係について
このnote記事では、大人による子どもへの性的なニュアンスを含むハラスメントが、被害者である子どもの精神にどのような問題を与えるのか、私の過去の体験を題材に、掘り下げて考えてみたい。
■少年への性的虐待、約2割は女性加害者によるもの
私(男性)は幼少期、母親から性的ハラスメントを受け続けていた。
こう打ち明けると、はなから疑う人も少なくない。実は被害者である私自身がそうだった。「女性から少年、しかも実の母親からの性的ハラスメントなんて、存在し得ない」という具合である。
そこで、マクロな数字を押さえてみよう。成人女性から少年への虐待は、それなりの数の事案として発生している。Fergusson & Mullenによる研究(1999年)によれば、少年への性的虐待の5分の1、つまり約20パーセントが女性の虐待者によるものだという。また、子どもへの性的虐待全般で見ると、加害者の90パーセントが男性、10パーセントが女性である。
日本における調査結果もある。書籍『性暴力を生き抜いた少年と男性の癒やしのガイド』(明石書店、編者はグループ・ウィズネス)によれば、1998年の調査で、小学生までの女子の6.4人に1人、男の17.4人に1人が性虐待を受けている。まず女側の数字は驚くべき割合だが、男側もそれなりの数にのぼることが見逃せない。
しかし先にも触れたように、このような成人女性、特に母親から男性少年への性的ハラスメントは、「あるわけない」と認知されないか、認知されたとしても「なかったこと」にされることが多い。これは母親および女性は「優しい存在」であり、「母親は暴力的なことはしないはずだ」「女性は性的な行為に関しては慎ましやかであるはずだ」という期待感が社会全体にあるためだと考えられる。
しかし実際には、女性も生身の人間である限り、暴力的な衝動は起きうる。また、私は女性ではないので詳細は分からないが、男性のそれとは表出の仕方が異なるだろうが女性にも性的な欲求はあるはずだ。
幼少期の私は、母親という近しい女性を通じて、そのような女性の暴力性と性欲の不当な表出という「真実」に直面していたようである。ただ、おそらくであるが、幼い頃の私はその真実に向き合うと、人生を生きられないほどの絶望的な辛い現実に直面することになってしまう。そこで精神的な自己防衛をするために一種の自己洗脳を施して、「見ないこと」にしていたのだと思われる。より具体的に言えば「『母親はまともな人物』であり、『母親は何らかの正当な理由で、ぼくに、ぼくが嫌がることをしている』のだ」という決めつけを行った。
翻って、幼少期の子どもは母性による保護が一定以上必要だ。しかしもし、その子どもの母親の母性が欠如することに加えて、母親当人から性的なニュアンスを含んだハラスメントが行われていた場合、子どもが受ける心理的な悪影響は、一般人が考える以上に見逃せないものがありそうだ。
私が覚えている限り、幼少期の私が母親から受けてきた性的ハラスメント行為には、わかりやすい性行為――例えば性器へのタッチや体液の流出、性器への挿入行為などを伴うものはなかったようだ。ただ、そのような外的な明確性がないことや、上記に述べたような社会環境などがあるゆえに、私という当事者は、母親から受けていたハラスメントの本質を認識しづらかった。
この点が極めて重要なポイントだ。私は、私が抱えてきた精神的不調の本質的原因を見抜くことができず、つい最近の40代後半まで、統合失調症的な現象――主に、「自分の頭の中で、自分の意志とは異なる他者の声が聞こえている」ような状態や、大した理由もないのに相手を殺したいと感じる強い殺意――に悩まされてきた。
■本人の同意を得ない執拗なタッチは、性的ハラスメントである
まず、私の母親がどのような行為を行ってきたか、外形的側面から説明しよう。
私の母親は、幼少期の私の身体を執拗になでたり、接吻をしたり、他者の前など公共の場において「かわいい」としつこく褒めそやしたりしてきた。幼少だった私が子どもながらに、「それはやめてほしい」と明確に拒否しても、彼女は聞く耳を持たず、ひたすら続けてきた。たとえて言うなら、「昭和なブラック企業の親父上司が、女性社員の体を執拗になで回したり、接吻を迫ったりする姿」と同じであろう。
併せて、私は小さいころから、少なくとも中学生頃まで、母親から「お前はあたしのペット」と繰り返し言われ続けていた。単なる戯言かもしれないが、私は物心ついたころから「そんなペットという呼ばれ方は嫌だ」と拒否していた。だがそれでも、彼女は止めることなく、壊れたロボットのように、ことあるごとにペットだと言い続けてきた。
こうした一連の状況――特に本人の拒否をまったく受け入れずに続けること――は、子どもながらに大変に侮辱的に感じていた。容易に想像しうることだと思うが、こうした関わりは、たとえそれを受ける側が大人であっても、非常に不快なものである。本人の意図や意志が相手にまるきり拒否されているからだ。
たとえ子どもであっても、一定の人権は尊重されて当然である。それゆえに、一人の人間として自分を正当に守ることという最低限の尊厳が、特に近しい存在である母親にまるきり無視されるのは、大変な苦しみである。
これらの母親の「嫌な行為」は、明確なハラスメントであり、かつ性的なニュアンスが含まれる「性暴力の一種」である、ということを知ったのは、40代も後半になってからのことだった。これを知って私はとにかく驚いた。しばらくの間、まともに生活するのが難しくなるほどにショックを受けた。
先にも挙げた『性暴力を生き抜いた少年と男性の癒やしのガイド』には、興味深いリストが載っている。ここから「それも性的ハラスメントなのか」と思わせるもの――ただしよく考えると確かにそうであろうとも思うもの――を、いくつか引用する。
「あなたはからだをさわられたり、キスをされて、それがいやだと感じたことがありますか」
(中略)
「言葉で、性的に恥ずかしいと思うようなことを言われたことをありますか」
「人前で裸にさせられるなどして、いやだったことはありますか」
ほかにもこのリストにはいろいろな状況が載っている。そして最後にこう結ばれている。
「もし上の質問のひとつでもあなたに当てはまるものがあれば、あなたが受けたのは性暴力です」
つまり、この書籍では、私が実の母親から受けてきた種類のハラスメントは、明確に「性暴力」であると指摘している。一つ目のタッチや接吻はもちろんだが、二つ目や三つ目に挙げたような行為は、直接的にセックスや裸を扱っていなかったとしても、当てはまる。例えば私は母親から「その年齢らしい男性」としてまともに扱われない行為や、それを周囲の友人などに見せつけられる行為を受け続けていたが、これは「性を尊重されていないこと」に該当する。
時期感についての明確性はやや曖昧だが、小学生、中学生、さらには高校生になっても、このような一連の「母親による嫌な行為」は続いた。
中学生の頃などは、この母親の態度を観察していた友人(同級生)や先輩・後輩らには、酷くからかわれた。私は母親の行為によって直接的に苦しむだけでなく、そこから二重に苦しんでいたことになる。
ある同級性が、私の母親の様相を見て、私の前でこうつぶやいていた。「おれがおまえだったら、とっくにお母ちゃんを殺している」。それを聞いた当時、私はなんとなく同意しつつも、過激なものいいに不服な感情も抱いていたのだが、あれから30年以上も経過した今、ようやく分かったのだ。その同級性は、私の母親が振るっていた行為の本質――先にも触れたようにそこには性暴力のニュアンスがあった――をよく見抜いていた。
子供の心眼は、時として鋭く真実を射貫く。彼は要するに、「おまえの母親がしていることは、命のやりとりに値するほどの明確な暴力であるはずだ」と問題提起していたわけだ。
話を戻すと、学校の教師らの態度は、私にとって大変嫌なもので、また頼りにもならなかった。例えば、小学生時代のことである。ある担任教師から(今から思えばまったく的外れなことだが)「おまえは母親から甘やかされている」とたびたび非難された。
私の父親も、どうやら「そんなに甘やかされているとろくな大人になれない」と、母親を通じて非難していたようだ(これは母親からの伝聞である。当時、母親が笑いながらこれを私に報告していたのだが、今から思えば異様な光景である)。
学校の教師や父親という目上の立場の人々から非難された結果、私はとにかく自分を責めるしかなかった。しかし今から考えれば、教師も父親も私も、母親の表面上はわかりにくい性的ハラスメントに、まんまと騙されていた。
なお、私の父親は、私が48歳の時に「かつて私が母親から受けていた嫌な行為は、心理学上は性的ハラスメントと定義される。専門書では明確に性暴力だと言及されている」との旨を説明したところ、彼は「私(=父親)は、とんでもない性格を備えていた母親から逃げていた」と吐露した。
この時、私は、私が過ごしていた幼少期の家庭環境のひどさを改めて認識した。若かりし頃の母親は、彼女の夫(=私の父親)も含めて、だれも心理的に受け止め役となる人間が周囲にいなかったのだろう。
要するに私の父親は、夫としての役割を果たしていなかった。そのために、母親のどうにもならない鬱屈した感情は、サディスティックな性的エネルギーに変化して、私という息子にぶつけることになったと推察される。なお、このような「負の構造」があったからといって、性的ハラスメントを抵抗できない子どもに行ってもいいわけではないことは付記しておく。
母親はしばしば、性的なハラスメントだけでなく、猛烈なヒステリーを起こした。この時も、私の言い分は一切聞かず、ひたすら壊れたロボットのようにキレ続けた。彼女の行動パターンおよびそこにある非言語的なメッセージは、大人になった今から思えば、「あたしの言うこと・なすことを、おまえの都合などは一切関係なく、とにかく聞け。受け入れろ」だったのだ。
総じて、母親が幼少期の私に行っていた性的ハラスメントおよびヒステリックな行動は、当然、深刻なディスカウント(相手の人間としての価値を低める行為)である。併せて、当時の私は結果として、パートナーである母親に対峙することを放棄していた父親からも、間接的にディスカウントを受けていたことも意味する。
当時の私はこの状況を説明できる言葉がなかったが、大人になった今だからこそ、次のように総括して表現できる。
私は幼少期、母親からそれとはわかりにくい性的ハラスメント(専門家らは「性暴力」と明確に表現している)を受け続けてきた結果、40代後半になるまで深刻な精神疾患に悩まされてきた。これによる被害は多大なものがあった。そこには母親のパートナーである父親も関与し、状況は複雑化していた。
おそらく私と同じような被害に悩んでいる少年(元少年)は、意外に多いのではないかと思われる。
■「子どもをかわいがる行為」と性的ハラスメントの境界線
先に少し触れたが、私が母親から受けていた性的ハラスメントの最大の問題は、外部からは「母親が子どもをかわいがっている、という様子に見えなくもない」という点にある。実際、私は親族からそのようなコメントを受け、「だから放っておけ、諦めろ」というニュアンスの言葉を返された記憶がある。
これこそが、ハラスメント被害を受けている私、そして周囲の大人も含めて、母親によるハラスメントの本質が、何十年にもわたり見抜けなかった大きな理由である。
そして、「あり得なくもない光景」の中に、彼女が抱えていたサディスティックな性的欲求が隠されていた。
「母親が私に対して実行してきたハラスメント行為に、性的なニュアンスが込められている」という可能性に気づいたのは、48歳頃のことであった。
何がその明確な証拠なのか、と特定することは難しいが、その気づきに至った時のシチュエーションが、とにかく印象的だったのだ。
私は長年、自分のいわゆる「生きづらさ」に対する問題意識を強く持っており、数々の心理専門家の書籍や論文を読み、また心理カウンセリングやセラピー、コーチングに類するセッションを数多く受け続けていた。また「毒親サバイバー」と言われる人々のコミュニティーで、いろいろな体験談を聞いてきた。なお、毒親とは、実の子供にも遠慮なくハラスメント行為を実行する親のことを指す。
私はあらゆる面から改善を図るべく、瞑想、ヨガ、気功、セルフセラピー、食事療法とそれらを含めた生活習慣全体の改善など、考え得る手段のほぼすべてを実行に移してきた。記者・編集者というメディアの仕事はそれなりに忙しく、業務の枠以外にも勉強が求められる仕事だが、記者・編集者の仕事と同じくらいの労力を、自らの精神的な問題の改善に投じてきた。
そうした一連のプロセスにおいて、重要な転換点が起きたのが、先にも述べた48歳頃のことであった。ある毒親サバイバーの人が「私の母親は、意地悪な中学生そのものだった」と語っていたのを耳にした。これが非常に印象に残った。
そこからインスピレーションを受けた私は間もなく、「母親による"あの態度"や”あの行為"は、まともな母親による、まともな愛情を表す行為ではなかったようである」と気づいた。
併せて私はほぼ同時期に、性的ハラスメントの正確な定義のことを知った。「本人の同意なく肉体的に触られたり、嫌なコメントを投げかけられたりするのは性的なハラスメントである。また肉体的な侵害がなかったとしても心理的攻撃は明確なハラスメントとして認定される」というのである。これには目からうろこが落ちる思いであったことを、よく覚えている。
そうした複数の情報インプットが相まって、ある日、次のような質問が自分の中で浮かんできた。
「もし、私の母親が本当にまともな母親ではなく、まるで意地悪な中学生そのものだったとしたら?」
「もし、母親の“あの行為”が、一般的な母親はまず行わない、異常性の高い行為であったとしたら?」
「心理学の専門家らが指摘するように、世間で言われる明確な性行為、例えば性器へのタッチや性器の挿入や体液の流出がなかったとしても、性的な欲求を弱い立場の相手を使って身勝手に解消する行為が存在するとしたら? そして、それを母親が幼少期の私に対して行っていたとしたら?」
すると、自分でも驚くほどに、ピンと来る気づきがあった。母親から繰り返しされていた「嫌なアクション」が「性的ハラスメントに類するもの」である――つまり、「母親自身の抑えきれぬ何らかの性的な欲求に基づいて、弱い立場である私に、不当にぶつけられたものである」ということに、あらためて気が付いたのだ。もう少し言えば、それまで「なんとなくそうであろう」と仮説的結論として推察していたこの事項が、「おそらく本当であろう」というレベルにまで確度が高まった。
この瞬間に、驚くべきことが起きた。私の脳内でいつも存在していた「頭の中で自分を批判し続けている別の声」――常に、私に対してネガティブなことを言い続けている、まるで別人格のようなもう一つの声が、すっと消えた感触があったのだ。
この時の内的感覚は、数年が経過した今でも、よく覚えている。
以来、私の脳内で「もう一人の自分」が大きく主張することはなくなった。
■長年悩まされていた「頭の中で自分を批判し続ける、もう一人の声」について
先にも触れたが、私には、物心ついた頃から、頭の中に「もう一人の声」があった。
自分の頭の中に誰か他の人物がいて、常に自分に何かを語りかけている。ときに猛烈に自分を批判・非難し馬鹿にする――。このような声の存在感が顕著に大きくなったのは、定かではないがおそらく、中学生頃のことである。
この「頭の中で自分を批判し続ける、もう一人の声」は、極めてやっかいだった。私は半世紀にわたり、「この声」に惑わされながら、また悩まされながら生きてきた。
「頭の中で自分を批判し続ける、もう一人の声」は、10代の頃から、自分のやることなすことに対して、妙な突っ込みを入れてきていた。そのため、この「もう一人の声」を意識内で押さえ込みつつ、勉強・生活をこなすというのが、私の日常の姿であった。また、子どもの頃から私は「人は、頭の中に“もう一人の声”が聞こえているのは当たり前のことなのだ」と思っていた。
おそらくこれは外側から見ると、サボっていると思われることが多かったのだろう。しばしば、「よっちゃん(私の幼少期における呼び名である)は勉強しない」などという母親からの非難の的になった。そこからさらに呼応するように、私の頭の中では、「こんちくしょう」と自分のことを恥じる言葉や、「なんでおれはこうなんだ」と批判する言葉など、ネガティブな言葉が常に飛び交い続けていた。
これと関連することであろうか、私は昔から他人からのからかいや挑発に弱く、すぐにカッときてやり返すことが多かった。しかし私は体が小さくて細く、腕力もないため、ケンカをしてもすぐに負けた。これもまた、からかいの材料になった。
もちろん、そんな私であっても、子どもながらに前向きで健全な興味や希望を持ち合わせていた。そんな「やってみたい」「手に入れてみたい」と心が動く対象があったとしても、途中で困難に直面するとすぐに諦める傾向があった。それは、「頭の中で自分を批判し続ける、もう一人の声」に負けたことが大きかったのではないか。
推察していただけるとは思うが、このような精神状態で、まともに生活できるはずがない。今から思うと、特に10代~20代の私の日常生活における生産性は、著しく低かった。また、これも今から振り返ると恐ろしいことだが、「頭の中で自分を批判し続ける、もう一人の声」と闘っている時間の方が実質的に活動している時間よりも長かったのではないかと思われる日も、多くある。こんな状態で、日々の勉強や仕事を十分にこなせるはずがない。
20代の終わりにようやく、「それが異常なことである」という事実に気が付いた。これが起点になった。私はそこから必死になって自己探求を続けてきた。私は人生のリソースの大部分を、この「頭の中で自分を批判し続ける、もう一人の声」を統御し、排除することに割いてきた。それは約20年にわたり続いた。
「自分の頭の中で、自分の意志とは異なる批判的な声が聞こえてくる」という状態は、今から考えれば、統合失調症の代表的な症状である。統合失調症は様々な症状として現れるが、私の場合は「幻覚」や「妄想」、あるいは「思考の障害」などが該当していたと思われる。
このように直接的にも、間接的にも、長年苦しんできた「頭の中で自分を批判し続ける、もう一人の声」が、「母親の“あれ”は性的ハラスメントだったのだ」と気が付いた瞬間に、すっと消えたのだ。これには本当に驚いた。それまで約20年をかけて、膨大な資金と労力を費やしてたくさんのカウンセリングやセラピーなどに取り組んできたにも関わらず、なかなか消えなかったこの声が、この気づき一発で消えた。
物的な証拠もないし、母親本人や父親からの直接的な証言もない。だが、この革命的とも言える内的経験から考えると、母親がサディスティックな性的エネルギーを解消する対象として幼い私を利用していたのは、ほぼ間違いだろう。
近年、兄に私が母親から受けていた行為の実態を説明したところ、兄は「私は、中学生くらいの時から『うちの母親は、もしかしたら変態ではないだろうか』と疑っていた。どうやら本当のようだ」と感想を述べた。子どもの表現はなかなか的確である。おそらく彼は、母親から弟である私に向けられている性的なハラスメント行為のニュアンスをどこかで汲んでいたのではないか。
「家庭内における性的ハラスメント」というと、「父親から女児に対しての性行為」という構図が思い浮かびやすいはずだ。しかし、そのネガティブインパクトの度合いは、母親から男性の子どもへのハラスメントというケースであっても、揺るがないと思われる。
なお、セラピーやコーチングの流派によっては、「過去の記憶をいちいち掘り返すことには意味がない」として、「なりたい自分」のイメージングにフォーカスすることを重視する向きもある。幼少期の記憶については、どうしても曖昧さがつきまとうためだ。
しかし私個人としては、先に述べたような確かな内的感覚の変化を踏まえると、インパクトの強いネガティブ体験には、真正面から向き合うしかないと考える。そして、そこから得られる治癒的体験のメリットは極めて大きい。
■親から「魂の殺人」を受けた子どもは、無差別的な殺意を増幅させるのではないか?
以上の私の数十年にわたる苦闘(あまり大げさな表現はしたくないのだが、本当に苦しんできたので、こう書かせてほしい)から、言えることがある。親からのハラスメント、特に性的なニュアンスを含んだハラスメントは、被害者である子どもに「魂の殺人」とも言えるようなネガティブインパクトを与える。私自身の体験から、確実にそう言える。
ここで、少し物騒な吐露をする。私は、おそらく10代くらいから40代後半に至るまでの長い間、「説明のしがたい殺意」を心の中に抱いていた。
収まった今だからこそ言えることだが、かつての私においては、人間関係の摩擦などをきっかけに怒りを感じた人物に対して、心の中でエンジンの回転数が一気に吹き上がるかのように、猛烈な殺意へと発展していた。
もちろん私はそれを客観視できていたし、外側に示すことはなかった。なぜなら文脈としてそこまで殺意を持つほどのことではない事象であっても、殺意に発展していたためだ。だが少なくともこの殺意の精神的エネルギーは猛烈な勢いがあることは間違いない。以前の私は、この殺意を統御するのに、かなりの精神的努力を要していた。
この殺意をどうにか消したくて、私は若い頃からたくさんのことに取り組んできた。先に、私は「頭の中にいる、自分以外のもう一人の声」を消したくて、瞑想・ヨガ・気功などに懸命に取り組んできたと述べたが、こちらもその対象だった。自己啓発、そして世間では偏見の対象とされるスピリチュアルヒーリングや神道・密教のお祓いなども含めて、大量の時間とお金をかけ、必死になってたくさんのことに取り組んできた。本来であればレジャー、勉強、配偶者を得て家庭を持つこと、住まいなどにかけられるはずのお金の多くを、その代わりに、「もう一人の声」を消すこと、そして自分の殺意の解除に向けて投じてきた。
察していただけると思うが、それほどに必死になって取り組んできた理由は、殺意は自らの社会的存在価値を完全に崩壊させかねない、極めて強い衝動だからだ。
かなりの努力、そして年数を重ねることと相まって、少しずつ殺意の強度は弱まっていった。特に瞑想は実感としてメリットがある取り組みだと感じている。
だが、こうした一連の取り組みを経ても「自分としては最後の決め手に欠ける」というのが正直なところで、悩んでいた。私は自分のなかで沸き上がってくる殺意に絶望していた。「おれはもう、元々そういう人間なのではないか」と。安心できる男女のパートナーシップを結ぶこともできなかった。自分の内的問題に七転八倒している間に、私は未婚・独身のまま50代に突入してしまった。
一方で、最近、ふと気が付いた。私は48歳ごろに母親によるハラスメントは性的ハラスメントであることに気が付いて、そこから「もう一人の声」が消えたことはすでに述べた通りである。
振り返ると、この頃から、私は殺意を自覚することがめっぽう減っていた。
つまり、「私が抱えてきたこの殺意は、母親の性的ハラスメントにより、私の意識内に埋め込まれたものだったのではないか」――というのが私の仮説である。そしてこの仮説は、現時点においては、ほぼ、間違いないと考えている。
これが、私が性的ハラスメントは「魂の殺人」であると主張するゆえんだ。
私の意識内に激しい殺意が醸成されるに至った構図は、次のようなものであったと考えられる。まず起点は、母親からしつこく繰り返される性的ハラスメントである。「魂の殺人」行為により、私の中に殺意が芽生え、ハラッサーである母親に殺意を向けることになった。
それはある意味、正当な感情である。性的ハラスメントは、極めて侮辱的な行為だからだ。しかし、そこで母親はことあるごとに、「おまえは怒りっぽい」「おまえは乱暴だ」と私を非難した。つまり、母親は自らの侮辱的行為の結果として正当に怒りを吐露している私に対して、「原因はおまえだ」と感情的に反論した(実は反論になっていないのだが)。
しかし、幼い子どもには、そのような論証は難しい。結局、子どもだった私は母親による「封じ込め」を受け、仕方なく殺意を飲み込むしかなかったと思われる。併せて、「親はやさしいものだ」「親は敬うものだ」「親には従うべき」といった、社会的観念に影響された面もあるだろう。
これら複数の要素が絡み合った結果、私は行き場のない殺意、どこにも行き場のない殺意を意識内に蓄積させ、日々、抱え続けることになった。それは母親のハラスメントに対する「正しき反抗心」の表出であったにもかかわらずである。
■母親は、ハラスメントを仕掛けても追求されにくい"有利な立場"である
書籍『性的虐待を受けた少年たち ボーイズ・クリニックの治療記録』(新評論)には、印象深い文章が書かれている。少し引用しよう。なお、原書はスウェーデンにおける性的虐待救済活動を記載した本である。
ボーイズ・クリニックを訪れる少年の10パーセントは、女性から虐待を受けている。その虐待者は、実の母親、祖母、代母、母親の友人などである。女性による性的虐待は男性によるそれよりも理解がむずかしいが、それには理由がある。私たちは、男性が虐待や裏切り、そして衝動的行動をとることにはなじみがあるが、女性が同様の行動をとりうるという事実は、私たちのもっとも深い心性と観念をくつがしてしまうからだ。母親あるいは女性は子どもにとって最大の保護者であり、究極の慈愛に満ちた存在である。母性は社会に最後に残された砦というべきものであり、私たちはそれが崩壊するのに耐えられないのだ。
ここに書かれている表現を借りれば、幼少期に私が経験してきた家庭環境は「母性という砦が完全に崩壊した」状態だった。それゆえに、私は悲しみと絶望のあまりに、母親と父親の実態や家庭の崩壊度合いに直視することを避けてきたのだろう。
今から思えば、私の母親は巧妙だった。私の母親は一般的な人物よりも(やっかいなことに)知能が高く、それゆえに私に性的ハラスメントを仕掛け、かつ原因が特定されないように様々なバインドを仕掛けていたのではないか、というのが私の仮説である。
カウンセラーのスーザン・フォワード氏が著した『毒になる親』(講談社)というベストセラー書籍がある。この書籍には、実の子どもにハラスメントをする親――「毒親」に社会的属性などは関係なく、いわゆる低所得者層だけでなく弁護士、医師、教師、神父など、社会的地位のある高所得者層にも同じように毒親の存在は見られる、との趣旨が書かれている。つまり、「人道的見地に沿った自己統御ができるかどうか」と、一般的な社会スキルや知能指数には、まったく相関関係はない。
転じて、私の個人的感触を語ると、毒親は、無意識下で沸き上がってくるサディスティックな欲求に対して、ほぼ自動的にハラスメントを実行しているのだと思われる。ハラスメントを通じて低次の欲求が充足されてしまうがゆえに、自ら客観性を持った疑問などを投げかけることはない。また、人道的見地に沿った自己統御を行うこともない。
ましてや知能が高い人物であれば、その知能の高さを、自らのハラスメントをうまく実行し、そこに正当性を与えることに使っているのではないだろうか。家庭内にいる子どもなどは、格好のターゲットである。
■殺人犯の幼少期と、私が体験した、母親から受けた"あのこと”の類似性
『毒になる親』がベストセラーになっていることが象徴しているように、毒親は各所に存在する。
私が、このたびこのnote記事を書こうと思った理由は、ここにある。被害者家族に配慮してぼやかした表現をするが、私が20代の若者だった頃、「未成年の少年が、まったく縁のない女性とその子どもを殺害し、しかもその女性の死体と性的行為を実行した」というショッキングな事件があった。
私は最近になって、この少年にまつわる詳細なエピソードを知って、とにかく驚いた。この少年は、父親から暴力を受けていた上に、母親(後に自殺)からも「妙なハラスメント」を受けていたというのだ。
「妙な」というのは、母親によるハラスメントには性的なニュアンスが含まれていたためだ。少年の母親は、少年へ暴力行為を繰り返す夫(つまり少年の父親)に嫌気がさしたのか、しばしば少年の寝床に入り込み、「あなたの子どもがほしい」「生まれ変わったら結婚しよう」などと、母親としてはふさわしくない行動・言動をとっていたようなのである。
まず、そもそも少年の父親が大変なる問題であり、少年を適切に保護するべき必要性があったことは間違いない。そしてもう一つ、問題は母親にもあった。母親が少年に実行していたコミュニケーションは、本来大人が少年に対して実行するべきだった保護策と、かなり乖離していた。
私の推察が混じるが、おそらく少年はすでに父親からの暴力で疲弊しきっていた。そして、少年の母親はそこに押し被せるようにして、本来期待される母性ではなく、男性の役割を過度に求めた。少年が受けた精神的混乱と精神的プレッシャーは、相当なものがあったはずだ。
さて、私はそのエピソードを聞いて、とにかくショックを受けた。「私の母親が少年期の私に実行していた“あのこと”に、なんとなく似ている気がする」と思ったのだ。
"あのこと”について私の記憶を述べる。私が小学校4年生か5年生くらいの時だったと思う。親同士が夜、性行為(らしきこと――当時の私にはいまいちよくわからなかった。だが、今思い出すとおそらくそうだろう。大人になってからお世話になった心理カウンセラーもおそらくそうであろうと言っていた)をしていたようだった。
その前には、私を起因とした口論をしていたようだった。母親のぎゃあぎゃあとわめいている声が、2階(私の家は郊外の住宅地にある一戸建てだった)にあった私の小部屋まで聞こえてきていた。
私を起因とした口論の詳細は不明だが、その1つはお金がらみのことのようであった。私が鉄道模型に興味を持つことについて、母親は気に入らなかったようだ。特に、父親が私に鉄道模型のカタログなどを持たせることなども不満だったようであり、そこも大きな不満だったようだ。鉄道模型はそれなりに高価であるので、母親は子どもである私がそうした「ぜいたくな趣味」に興味を持つことを禁止したかったのではないか。
母親は父親と性行為らしきことをしたその後、なぜか母親は、少年だった私の部屋の私のベッドに入ってきて、何事かを言いながら、添い寝してきた。私は恐ろしくて、ベッドの片隅で、母親のほうは向かず、壁のほうを向いて固くなった。私はずっと緊張したまま、いつしか眠ってしまったようだった。
朝、もうベッドに母親はいなかった。朝は父も母も普通の様子だったが、私はなんとも言えない不信感を両親に抱いたことを、今でも鮮明に覚えている。ふと目に入ったゴミ箱には、私が大事に読んでいた鉄道模型のカタログであったであろう、ひしゃがれた紙の断片が入っていた。私はその後も鉄道模型のカタログを探したのだが、見つからなかった。というより、恐ろしくて探さなかった、というほうが正確かもしれない。
これは、少年だった私にとって、強烈な印象が残る出来事だった。成人しても私のこの記憶はかなり鮮明で、母親による性的ハラスメントのことを自覚する前にも、たびたび「あれは一体何だったのだろうか」と思い出していた。
実は、50代にもなった今でも、母親が何を思って私の寝床に入ってきたのか、明確なところはよく分からない(そもそも、夫と性行為を行った後に息子の寝床に入ってくるという行為ができる母親の神経が図太すぎる)。ただ少なくとも、母親は実の子どもで少年であった私を「ツール」として多々利用していたことは間違いない。また、あらためて述べるが、私の母親が子ども時代の私をサディスティックな欲求を振り向ける対象として扱っていたことはほぼ確実であろう。
繰り返すが、殺人を犯した元少年が実の母親から受けていた行為のエピソードを聞いた時、以上のような私の過去の出来事との共通性を感じた。そのため、私は、この元少年のことが他人事だとは思えない。
■性的ハラスメントは、少年・少女に独特な精神的問題を引き起こす
これは各種の専門書籍にも書かれていることだが、成人から少年・少女への性的虐待(明確な性行為を伴わない性的なハラスメントを含む)というものは、被害を受けた少年・少女の精神に、単なる虐待やハラスメントのケースとはまた異なる、独特な問題を引き起こすようである。それは私の体験上も確かに言えることである。
先に触れた、残忍な事件を起こした元少年(事件当時は少年)の心は、父親からのハラスメントと、母親――先にも触れたように子どもにとっては「母性という社会の最後の砦」であってほしい母親――からの、母性が欠如したハラスメントというダブルのハラスメントで、完全に崩壊していたのではないだろうか。どこにもやり場がない殺意を持っていた、かつての私と同じように、である。
もちろん、この少年の行為とその罪は容認されるものではない。しかし、少年の背景に存在していた「負の構造」を読み解き、周囲がその負の構造を変えていくところから取り組まなければ、根本解決には向かわない。事件の表面だけをなでて「狂った若者による犯行」だと決めつけて終わらせるのは、失われた貴重な命にとっても本意ではないはずだ。
翻って、私はいろいろな人々の助けを受けて、幼少期の私に性的ハラスメントを実行してきた母親と、その裏に控えていた父親のディスカウントに直面することができた。私は母親と父親の実態を直視することにより、沸き上がる無差別的な殺意を向けるべき本当の相手――母親と父親――を特定し、かつ「頭の中に住まうもう一人の声」と決別することができたのだ。
私は根本原因を特定できていなかったら、どこかで誰かを殺してしまっていたかもしれない。本来、正しく殺意を向けるべきであった母親と父親の代わりに、である。
これを書きながら、あらためて思い出した件がある。もう20年以上も前、ある若い無差別殺人犯が、法廷で「誰でも殺せればそれでよかった」などと証言したという。当時、私はこれを雑誌記事か何かで知ったのだが、その時、私の内側で猛烈なる共感の思いが立ち上がってきて、戸惑った覚えがある。――「なぜ、おれは無差別殺人犯に激しく共感してしまうのだろうか?」と。
その時の私は、今ほどには自分の過去に対する理解が及んでいなかったので、この共感の思いに蓋をしてしまっていた。しかし、私はこの時生まれて初めて、「本当の共感とはどういうものか」を知ったと思っている。それくらいインパクトのある感覚だった。
もしかしたら、この無差別殺人犯も、私や、先の元少年と同じように、親から性的ハラスメントを受けていたのではないだろうかと思う。
■「妻と息子をディスカウントする父親(夫)」の影響
先に述べた殺人犯となった少年の家庭を見ると、外形的には母親が性的ハラスメントをしていたとしても、やはり夫である父親の存在は重要であることが分かる。システム理論の観点から考えても、妻の行動に、夫が影響していることは間違いないだろう。
私は過去に、著名でかつ評価も高い家族カウンセラー複数人のカウンセリングを受けた経験がある。かれらはおしなべて「妻の問題は夫の問題である」との趣旨を述べている。つまり、理論だけでなく臨床の観点を踏まえても、事故・事件が起きている家庭において夫婦どちらか一方だけに問題がある、ということはあり得ない。
私の母親が私に行ってきた性的ハラスメント行為は、父親が備えていたディスカウント傾向が助長していたと考えられる。
私が観察すると、父親は儒教的な価値観、つまり男性優位型社会に由来する思考パターンが強く、女性・子ども・学歴を備えていない人・能力が相対的に低い人などを、無条件に見下す傾向があった。実際、私は幼少期から、父親から儒教的価値観に基づく不当な嫌みを、複数回投げかけられてきた。また私は、父親が母親にも、そして私の兄にも、同種のネガティブなコミュニケーションを実行しているのを継続的に見てきた。
特に印象に残っているのは、私の父親がしばしば示した、学歴の優位性に基づく自らの存在価値の立証行為である。私の父親はいわゆる「とても良い大学」の出身なのだが、父親は私が子供の頃から、「学歴が下」の人物を露骨に下に見る傾向が強かった。彼が下に見るその対象は、学歴ブランドが彼には及ばない母親であり、また兄であり、私であった。そして下に見る対象は、自分の家族だけに限らない様子も見て取れた。
このような傾向は、学歴が高い人にある程度共通的に見られるのかもしれない。しかしいわゆるトップ大学出身の人々にノブレス・オブリージュがあるのだとしたら、私の父親にはそうとは言えない、固有の性質がありそうだ。というのは、私は、学校受験などを意識することもない幼少期から、父親の学歴自慢の態度に表現しがたい違和感を得ていたためだ。そして、彼の「下に見る」態度からは、なんとも言えない侮辱感があったのを、よく覚えている。
そうした私の父親から観察される特殊な違和感や侮辱感から総合的に捉えると、私の父親は、学歴がどうかという以前に、相当な「何か」――自分は他者よりも根本的に優れた存在であると固く信じたい「何か」――を、意識下に固持していた(している)のではないだろうか。
学歴差別の問題については、「高い学歴を取得できたのは本人の努力の結果である」として肯定する向きは強い。だが、「子どもが幼少期の頃から、親の主導で教育資金を投じられる家庭が有利」との傾向が、この数十年で明らかになっており、それを学術的観点から明らかにした研究もある。それを踏まえると、学歴で人の存在価値を決めることは、生まれで人を差別する人種差別や性差別と構図は同じであると考えられる。
翻って、私が幼少期から父親に見ていた「強い違和感」は、そこに起因するのではないかと思われる。つまり、私の父親は、人種差別や性差別を実行する人物が得ているであろうサディスティックな快感と同じ質の快感を、自らの学歴優位性を主張することで得ていたのではないだろうか。このような人物は、学歴でなければお金、お金でなければまた別の所有物・能力を振りかざして、自分という存在の優位性を他者に誇示しようとする。
だとすれば、私の父親の態度は、人権に対する極めて重大な挑戦的行為と解釈できる。
私は15年ほど前、世界的にも著名な、ある心理カウンセラーのカウンセリングを受ける機会を得たことがある。父や母の状況を聞かれ、ポツポツと説明した。当時30代半ばだった私は、ここまで整理が付いていなかったので言葉足らずだったが、そのカウンセラーがひと言放った内容が、今になって自分に響いてくる。「あなたのお父さんはどういう人か。こういう人と一緒にいると、自分が自分らしく生きるために必要な価値観が、崩されてくるはずだ」――。
私の父方の祖父(つまり私の父親の父親)は、教育の専門家であった。1960年代に米国の大学に視察に行ける立場であったほどで、一般的に捉えれば誇らしい話であろう。だが彼の息子、つまり私の父親の態度を見ると、息子にはかなりいただけない教育方針を敷いていたのではないかと推察する。
昔の記憶をたどると、私の母親は義理の父、すなわち教育専門家である父方の祖父に会うのを異様に嫌がっていた。幼少期の私に性的ハラスメントを行っていた人物を弁護する義理は一切ないが、おそらく義理の父親が備えている「何か」を感知し、それを忌避していたのではないか。
なお、経営コンサルタントとして著名な大前研一氏がメディア「プレジデント」およびビジネスブレークスルー大学大学院の公式ブログで、故・中曽根康弘首相の政策アドバイザーとして活動していた頃のエピソードを出しつつ「学校偏差値システムは、若者を政府に逆らわせないようにするための制度として設計された」旨を明かしている(大前研一氏ブログ記事はこちら)。これを知ってしまうと、父親の態度も、また祖父の生き方も、むなしく感じられる。
このように、私が精神的DVハラスメントを受け続けてきた経験をベースに組み立てた仮説としては、精神的DVハラスメントを行う人物は、他者へのハラスメント行為そのものから、何らかの精神的快楽を得ている様子である。この構造は、性的ハラスメント行為を続けた私の母親はもちろん、私の父親にもよく当てはまる。
そして、そこには中毒的な何かがある。つまり、ハラッサーと言われる人々は、誰かから強制的に介入されてそれを中止されない限り、自らの行為に疑いをかけることなく、ハラスメント行為をひたすら繰り返し行う、ということである。
先にも挙げた書籍『性的虐待を受けた少年たち ボーイズ・クリニックの治療記録』では、子供にハラスメントを繰り返す母親の証言として、「自分の中に二人の人がいるみたいで、ときどき自分をコントロールすることができなくなって、悪いことをしているとわかっているのにやめられない」という内容が出てくる。
おそらく、私の父親も母親も、こうした二重人格的な性質を持っていたのではないか。
話を、父親のディスカウント行為と母親の性的ハラスメント行為との関係性に戻す。これは私の推理だが、おそらく、父親による中毒的なディスカウント行為は、母親の精神的負担を高めていた。この負担が回り回って、母親による私への性的ハラスメント行為を助長していた可能性がある。
もしこの見方が妥当だとすれば、父親は母親と協働して、私が長年持ち続けた無差別的な殺意の原因を作った人物である。また、父親のハラスメント行為の本質を鑑みると、彼は母親とセットで専門家による精神的ケアの対象であると考えられる。
このnote記事を書き進めていくうちに、私の心の中に、大きな変化があった。それは「幸せに生きよう」という決意の気持ちが沸いてきたことである。自然に、心の底から、この言葉が浮かび上がってきたのだ。併せて、私は、これまでの人生で経験したことのなかった、心の平和を取り戻しつつある。
その理由は、このように再度言語化するプロセスを通じて、重要なことがあらためて客観視できたからではないかと思う。それは、かつて私の心を占拠していた行き場のない殺意は、やはり母親および父親への「正当な殺意」であっただろうということだ。
結果、私の中には「もう殺意を感じなくてもいいのだ」という安心感も生まれてきた。というのは、あくまで私の個人的な調査に基づく見解ではあるが、母親も父親も、スウェーデンなどの基準であれば矯正施設などにおける専門的な治療やケアの対象になっていておかしくないと考えられるためだ。
今から思えば、幼少期の私は、母親と父親のハラスメントを原因として、「私自身が悪い」とむやみに私自身を責め、そして母親と父親のハラスメントやディスカウントがなくなることを望み、必死になってかれらに認められるよう、頑張ってきたようであった。
つまり、私は心のどこかで、「とにかく頑張ってかれらに認められるようにしていれば、次第にかれらのハラスメントやディスカウントが消えて、本来の親らしい慈愛や誠実な態度を向けてくれるはずだ」と淡い期待を保持していたのだと思われる。
しかし、そのような努力は無駄であろう。なぜなら、親によるハラスメント――母親による性的ハラスメントと、父親によるディスカウントは、かれら自身の根深い心の問題に起因しており、子どもが努力して何とかなるという問題ではないためだ。
総じて、かれらのハラスメント体質・ディスカウント体質は、成人である本人および夫婦間で解決するべき問題であり、また、母親による息子への性的ハラスメントという人権侵害問題から考えると、かれら自身の自覚に基づく主体的な取り組みと、精神分野の専門家を交えた長期的な治療がなければ、かれらの改善は期待できない。
私の中にあった説明しがたい殺意がごく近年まで消えなかった理由は、「『ぼく』がどこまで頑張っても、母親も父親も『ぼく』へのつらい行為をやめてくれない」という積み重ねられた悔しさもあったのかもしれない。しかしそれは、上記のような両親が抱えている精神的問題の深刻さを考えると、改善は難しいことだろう。「ぼく」という子ども時代の私はもちろん、大人になった今の私でもお手上げである。
繰り返す。先に挙げた母子殺人事件の犯人の家庭と、私の幼少期の家庭環境の相似性を考慮すると、「殺意にあふれた息子」は、息子に性的ハラスメント行為をする母親と、その母親(妻)をディスカウントし続ける夫によって作られる。実際、この私が、その典型であった。
この記事が、必要な人に届き、その人の心が救われることを祈る。
下記の参考文献もぜひお目通しいただきたい。
1)「あるがままの自分を取り戻す」、家族カウンセラー・中尾英司氏ブログ、https://nakaosodansitu.blog.fc2.com/
2)『性的虐待を受けた少年たち ボーイズ・クリニックの治療記録』(新評論)、アンデシュ・ニューマン、ベリエ・スヴェンソン(著)、太田美幸(訳)
3)『毒になる親』(講談社)、スーザン・フォワード(著)
4)『性暴力を生き抜いた少年と男性の癒しのガイド (性虐待を生きる力に変えて)』(明石書店)、グループ・ウィズネス(編)
5)『新・気づいて乗りこえる 精神的DV(夫のモラルハラスメント)に悩む女性のためのガイドブック』(メディアイランド)、長谷川七重、グループしおん(著)
6)「統合失調症について」、メディカルノート(https://medicalnote.jp/)
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