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柴犬の気持ちがわかる生活
よく右脳型、左脳型という言い方をしたり、論理的思考タイプと直感的思考タイプみたいに言われることもあります。
これ、いずれもどっちが優れているとかそういうことじゃ決してないんです。
ただ、自分の土俵でコミュニケーションを取ろうとすると、ほんと噛み合わないんですよね。
それ、顕著だなと思ったのが、ペットの捉え方。
まず、直感型・イメージ先行タイプの人は、「ペット」と呼ばれるだけでカチンときています。
「うちのテンくんのことペットなんて言わんとって。家族やのに」
あ、テンくんとは、うちの家族の柴犬のことです。
そりゃそうですよね。娘のことを「俺のペットや」と言われたら、誰だって怒りますよね。
家族がご飯を食べていると、テンくんは家族のそばにやってきて、前足でつついきます。
「俺もなんか食わせろ」って。
「ああ、テンくん、食べれるもんないわ。あかん、がまんしなさい、けどつらいな、なんで僕だけないん?って思ってるんやな。家族やのに仲間はずれにされたって思いよんやな。そうかそうか、ほなこれあげよか。ん?いらんの?やっぱりみんなと同じもの食べたいん?そうか、食べたいんやな。ごめんよ、つらいな、ん?悲しいん?どっか連れてってほしいん?最近、キャンプ連れて行ってくれんもんな。行きたいん?どこ行きたいん?富士山見に行きたいんか。じゃあ、父ちゃんにお願いしてみ」
めっちゃ会話してるんですよ。
柴犬と・・・
完全に妄想ですよね。
でも妄想だと思ってないんです。本当にテンくんはそう思考していると思い込んでいるんですよ。某イメージ型タイプの我が家の住人は。
今朝も食パンを食べているとテンくんが分けてほしそうに近寄ってきたんです。
で、食パンの耳の部分(僕は、耳の部分も嫌いじゃないんですが、それ以上に中の柔らかいフワフワが好きなんです)をちぎって、あげていたんです。
すると、イメージ先行型人間に横やりを入れられたんです。
「端の部分ばっかり食べさせられてる」
「テンくんがかわいそう」
・・・・
あれ?
なんで?
これ、かわいそうですか?
僕の考え方はこうなんです。
自分が嫌いなこととか不快なことではなくて、相手が不快だと感じてはじめて、それは失礼な行為で合ったり、相手がかわいそうな思いをした…という状況が成立する…
そう思ってました。
テンくんは、パンの耳だろうが、白い真ん中のフワフワだろうが、食えたらいいんじゃないの?現に美味そうに食ってるし。
僕の選択基準が問題ではなくて、食えることへの欲求を満たすこと、瞬間の快楽(ドーパミン的満足感)を得たいだけの哺乳類。
そこを満たしてやることが、今できる人間の優しさと理解しています。
でも、妻は違うんです。(ついに「妻」って言うてるし)
こっちが嫌いなもの、不快なことは、相手も不快なはずだ!という思い込み、イメージが先行して、相手がかわいそうだと結論付けるんです。
逆もまた然り。
犬の思考力も人間の思考力も区別していません。人間の好みは犬の好み。犬の思考に一体化してるんです。
でもさ、
人間でもみんな好き嫌いって、違うじゃん。
こっちが嫌いでも相手は好き、またはこっちが好きでも相手は嫌いってことよくあるでしょ。
彼女へのプレゼントに彼氏は時代劇が好きだからといって、木刀をプレゼントしたらドン引きされますよね。
テンくんの場合、パンの耳をもらうより中の白のフワフワがほしいのに!お前は自分の好きの優先順位が低い方を俺にくれやがって、なんて冷たい奴だ、俺のこと見下してるやろ!
と思っているかどうか検証のしようがないですよね。
そう思っているのは、妻なんですよ。
僕でもいない、テンくんでもない、第3者の妻!なんです。
イメージ先行型ですから。
でもね。
そこで、テンくんの思考レベルや大脳皮質、大脳辺縁系の機能からコミュニケーション論にいたる客観的分析を示して反論しようものなら、絶対に噛み合わないんですから、バトル勃発となるわけです。
そこで、僕は大人になってこう返します。
「いやいや、僕は実は耳の方が大好きなんよ。だから僕の大好きなものをテンくんに食べてもらいたかったんよ」
これで、妻は大満足。
「よかろう」みたいな顔をしています。
なにせ、テンくんを最優先に立ててもらえるのが、妻のメンタルにとって「人生で最も大切にしていること」なんですから。
ああ、テンくんが羨ましい。