今では珍しい 24時間営業のマクドナルドにて
夜中のマクドナルドは、都会の片隅に残された最後の港のようだ。
ここに集まるのは、行き場を失った者、あるいは逃げ場を求める者たち。
深夜2時、いつも同じ席に、同じ顔ぶれが静かに座っている。まるでこの場所が、彼らにとっての安息の地であるかのように。
窓際の席には、古びた本を片手にしたおばあちゃんがいる。彼女にとっていまが朝なのか夜なのかが気になる。
彼女の姿は、まるで人生の終わりを静かに見つめているようだ。
隣の席には、スマホを2台操るおじさんがいる。
彼の指は忙しなく動き、まるで見えない鍵盤を奏でるピアニストのようだ。
そして、奥にはふくよかな妙齢の女性、店長さんがいる。
彼女の存在は、この場所の安定感を生み出している。まるで夜の街を見守る管理人のように、ここに集まる者たちを見守っている。
インド人の店員の若者が、笑顔で客を迎える。
彼の笑顔は、どこか遠い故郷を思わせる温かみがあり、同時にその遠さがどこか寂しさを感じさせる。
「いらっしゃいませ」というインド訛りの彼の言葉は、まるでこの場所に迷い込んだ者たちへの優しい挨拶のようだ。
そして、今は夏休み中だからであろうか、普段は見かけない若者たちが、この時間帯にも関わらず、活気を取り戻している。
彼らの無邪気な笑顔を見ていると、ふと自分の若かった頃を思い出す。無限の可能性を信じていたあの頃を。
深夜2時、僕はこの哀愁漂うマクドナルドで、PCを開いて仕事を続ける。
周りには同じように夜中を過ごす者たちがいて、みんなそれぞれの孤独を抱えている。
それでも、ここで過ごす時間はどこか落ち着く。まるで、この場所が僕たちにとっての小さな天国であるかのようだ。
ふと、思った。もしも死んだあとにあの世というものがあるのなら、それはこんなマクドナルドのような光景なのかもしれない。
明るい店内に、静かな音楽が流れ、誰も話さず、誰もが過去を振り返っている。
死後の世界がこんなものだったら、案外悪くない。
そんなことを考えていたら、ひょっとして僕はもう死んでいて、この場所がもうあの世なのではないかという疑念が湧いてきた。
もしそうだとしたら、ここにいる他の人たちも皆、同じように気づかぬままにあの世に足を踏み入れているのかもしれない。
そんなことを考えていると、昨日のことが頭をよぎる。
昨日も深夜まで仕事をしていた。何でも自分で抱え込んでしまう性分が祟って、気づけばまたここにいる。
働けど働けど、楽にならないタスクの山。
それを抱えたまま、この場所にたどり着いた僕は、もしかするとすでに「過労死」しているのかもしれない。
いやそんなわけはないと正気を取り戻す。
人生にはいろいろな距離感があるけれど、この深夜のマクドナルドで感じる距離感は、ちょうどいい。
誰とも深く交わることなく、しかし、確かに存在を共有している。夜の闇に溶け込むようにして、僕は今日も静かにこの時間を味わう。