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小説未読の者が司馬さんに会いに行った。:司馬遼太郎記念館(大阪)

大阪という都市は罪深い。

食に然り、芸術に然り、私を幾重にも引き寄せてしまう。

かつての天下人が城を構えた商業と水の都市を巡る旅は、長年の好奇心に迫る旅となった。

司馬遼太郎は私にとって大変とっつきにくい作家であった。

私は司馬遼太郎の小説は1冊も読んだことがない。
もともと歴史小説や時代小説に苦手意識があり、さらに「坂の上の雲」や「竜馬がゆく」など濃厚な歴史シリーズものを何冊も書いている作家として、その昔から存在は知っていたものの読まず嫌いで生きてきた。
要は(今もそうだが)読める自信がなかったのである。

しかし、2年前にある1冊の本をきっかけに関心が高まり、ふと氏の足跡を辿ってみたくなった。

時代の風音 (朝日文芸文庫) 
宮崎 駿 , 堀田 善衛 , 司馬 遼太郎 著

三者三様に気ままに時代の変化や歴史の転換点を語っているこの本は、司馬遼太郎と堀田善衛の古今東西の知識量をまざまざと見せつけられ、それに平然と太刀打ちしている若かりし頃の宮崎駿も凄いが、それがなんだが小さく見える。時代を捉える目を養える格好の良書である。

学生時代にかつて紀行本「街道をゆく」シリーズを図書館で眺めていたことを思い出したのが最初。その後上記の書籍と同じ作家であることを遅まきながら知り、その知識量の根源を知りたくなった。
そして、東大阪にある司馬遼太郎記念館へ赴くことにした。

司馬遼太郎記念館
〒577-0803 大阪府東大阪市下小阪3丁目11番18号

新大阪から乗り継ぎ近鉄奈良線「八戸ノ里駅」へ降り立つと、まだ駅前は人もまばら。ロータリーで客待ちタクシーが1台、後部ドアを半開きにしていた。

記念館は住宅地の真ん中にあるとあったので、数歩先まで探してみる。
ふと足元のタイルを見ると、指し示された矢印と共に記念館への案内が見えた。

街をあげて来客を出迎えてくれようと言う意気込みが見えた。

週末朝の八戸ノ里は静かな町であった。
ここにホームページで見たコンクリートの近代的な建物があるのだろうかと疑念を持つほどだ。

どこにでもあるような普通の駅前の風景。

余りに朝早く着いてしまったので、駅前のモール内にある某チェーン店でお気に入りのモーニングを食べながら開館を待つ。

やっぱり山食パンにはあんこだよね、うん。

2時間程静かに読書をしながらその時を待ち、いざ出陣。
閑静な住宅地をひたすらに歩くとそれは見えた。

2001年開業。作家の偉業を計り知る事ができる壮大な建物だ。
開門5分前だったが誰もいなかった。

屋根瓦の自宅とその隣に大きなコンクリートの記念館がそびえたっていた。
受付の係員に自宅の築年数を聴くと、30年程経っていると言う。
晩年に改装したのか意外に浅い。

本名の福田姓が目立つ表札。

中に入ると鬱蒼とした植物が朝日を遮断している。
木漏れ日に照らされた小路を抜けると、石碑が見えてきた。

ふりむけば 又咲いている 花三千仏三千 司馬遼太郎

石碑を引き返し、奥の小路へといざなう。
暫し掻き分けると、その書斎はあった。

既にこの世にいないはずの作家がまだ昨日までそこに住んでいるかのようだった。

この窓が開けた書斎でほぼすべての小説や論評、紀行文などの原稿の執筆をしていた。こんな書斎をいつか持ってみたいものだ。
また、当時の書籍や筆記具はそのまま残されていて、執筆中だった原稿用紙もそのままの状態で見えた。

安藤忠雄が手掛けた記念館入り口までの回廊は、
過去そして未来へ通じる道のようなワクワク感を覚える。

記念館の内部はすべて撮影禁止だが、圧巻であった。
2万冊を超える書籍を収めた大書架。
司馬遼太郎が語る映像が流されるホール。
企画展資料を存分にかたどったコーナー。

どれも大変見ごたえがある場所だった。

直接見たものだけがその凄さを実感出来るので、ぜひ体感してほしい。

大書架の中に置かれたデスクに、来館者用に雑記帳が置かれており、自由に思いを書いていいとのことなので、おこがましいながら記帳できたのも思い出に残った。
その分厚いノートの中身は、国内外から広く来館された記録が残されており、ノートを捲る手が止まらなくなってしまった。

今回訪れた中で司馬遼太郎について新たな発見だったのは、徹底した現場主義の人だということだ。
取材のための現地滞在の膨大な日誌はさることながら、元新聞記者であったこともあり、その地区のお寺の住職や現地住民の証言が記された資料も観覧することができた。

新作発表の折には東京神保町の書店から歴史関連の書籍がごっそり無くなったというエピソードも、書籍を読めば実感できるのだろう。

過去に読んだ「以下、無用のことながら」や「風塵抄」などの随筆でもよく取り上げられるのは、名もなき市井の人物にも個性があり、克明に書こうという意思が見える。

評論や随筆だけでなく小説も読んでみたい。
もう少し、司馬の考えに迫る秋もいいのではないかと感じた。

締めの一杯。酒が進む。

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