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ブッキー。
あれはもう10年以上前の話になる。
新卒での就職活動をスルーし、ブログのアフィリエイト収入だけで生計を立てることに雲行きが怪しくなってきた私は、いくつかのアルバイトを掛け持ちしながら正規の働き口を探していた。
その中の一つに、当時新橋で繁栄を誇っていた某家電量販店の品出し業務があった。
駅前の一等地にそびえ立った表向きは真新しいビルで、丸ごと生活家電用品や美容家電、ゴルフなどの娯楽用品を販売するテナントが入っていたが、私が実際に働いていた品出しのバックヤードは、最上階なのに電気もつけずに窓全面にアルミホイルが覆われていたためか真っ暗で、錆びついた鉄骨がむき出したじんわりと湿り気のあるフロアだった。
山田さんは何年も勤めているパートさんで、アルバイト入りたての私に作業のやり方を指導してくれていた。
高齢のお父さんの介護をしているという。
胸元のロゴマークがかすれたエプロンが、勤続年数を物語っていた。
山田さんは炊飯器や掃除機、空気清浄機などのハコモノの外装に黄色いバンドがけを行う仕事、山積みになった家電のストックの山からバーコードを読み込み下のフロアに送り出す仕事、社員さんに依頼された家電を集める仕事、お客さんが持ち運びしやすい取っ手の位置や癖のあるお客のことなど、とにかくたくさん教えてくれた。
初めて商品に対するバンドがけをやってみた時、なかなか上手く箱に引っ掛けることができない私に、
「もしかして…さては君はブッキーだな??」
と名付けられた。
生まれ持った才能を瞬時に見抜かれた瞬間、私はしばし赤面していた。
「慣れちゃえばへっちゃらだから、楽しくやっていこう〜♬」
やけに甲高い声で励まされた。
薄暗いフロアには到底似つかぬ明るい性格だった。
ある日。
出勤してロッカーから取り出したユニフォームのエプロンの後ろ結びに手こずっていると、仄暗いフロアのさらに暗い奥の事務所から「うぅ…」と誰かのすすり泣くが聞こえた。
ロッカー同士の隙間から覗くと、生活家電全般の在庫管理を一任されていた塩見部長に対し、山田さんが力なく立っていた。
「父が。。。亡くなりました。」
そう言った瞬間に、あれほど元気で明るい山田さんが堰を切ったようにわんわん泣き出した。
往復2時間の距離を週4日で働いて、恐らく仕事が終わっても介護を手伝っていたのだろう。
遠目からただ黙ってその光景を見ていた私は、その日山田さんに声をかけることすらできずに黙々と品出しを行っていた。
私がその家電アルバイトを辞める日は、雪が降っていた。
「これ、あげる。これからも頑張るんだよー!」
山田さんから渡された手提げ袋を開けると、キットカットが箱で入っていた。
よくよく思い返すと、バレンタインデーにそれらしいチョコを貰ったのは山田さんが初めてだったかもしれない。
相変わらず薄暗いバックヤードフロアに、相変わらず山田さんの甲高い声がこだましていた。
※登場人物はすべて仮名である。名前を覚えている人もいるが、本当に忘れた人も多い。ちなみに塩見部長は俳優の塩見三省にそっくりだったから、なんとなく名付けました。