一年越しに
本日は不肖しに子ちゃんのお誕生日なのですけれども、わたしは、昨年死んだ愛犬がまた夢に出てきて、泣きながらこれをしたためています。まああいつは夢の中で何度も死にまくっているのですが、わたしは死んだ犬を抱えて鏡に向かって写真を撮りまくっているのですね。そりゃ何度でも夢に出てきてくれたらよいのですが、元気な姿を夢に見ることがない。わたしは夢の中で、すでに死んでいる犬を、死んだ状態の犬を、抱えて写真を撮っているわけです。しかも犬のためでなく、自分のための写真を。盛れないなあと悩みながら。すでに胃腸が壊死し、口から入れた流動食が下から漏れ出す状態の犬を抱いて。(これは生きているのか?) (しかし夢の中のわたしはこの犬がすでに死んでいることに気づいている) 死ぬ直前、低体温を防ぐために慌ててイオンペットで買ってきたbeamsの犬服はXSサイズでした。最大体重は3kgあった元気なチワワでした。死んでから一年以上経って、わたしは一人暮らしを始めて、それでも執念深く線香をあげているのですが、未練がましく夢に出てくるのは、犬の未練ではなくて、わたしの怨念でしょう。そんなにも、己の胸の上で死なせたのが、トラウマでしょうか。誕生日の朝に夢に出て、わたしはお前に何度もありがとうと伝えた気でいましたが、夢の中で犬は実家のわたしの部屋から出ようとし、この部屋の扉を開けろと扉の外に向かっていこうとしました。お前が死んだ部屋から。そこでようやくわたしは、○○ーたん、ありがとう、もういいよ、と、言いました。
未練があるのは、犬ではなく、わたしでしょうね。犬はとっくに脱却したがっていますね。だって死んでほしくなかったんだもの。老衰でした。動物病院に家族総出で毎日連れていって点滴を打ったり、夏前で暖かい犬服が売っていなかったので慌ててミシンを踏んで自作したりしました。そうして家族が全員揃った日曜日の夜明けごろ、わたしの胸の上で逝きました。他の二匹の犬は、お前に遠慮して、別の部屋で寝ました。とっくにお前に未練なんてないでしょう。兄弟犬の中でも一番最後の大往生だし、次の日は弟は半有給を取り、わたしと妹が奇跡的に一時帰宅できるタイミングに予約が取れ、家族全員で火葬にも立ち会えました。犬に未練はなんにもなくて、未練があるのはわたしだけでしょう。
己の誕生日のその日の朝に、泣きながら目覚めるとは思っていませんでしたが。死んでからずっと死んだ犬が死に続けている夢を見るので、新たな年にはせめて元気に生きている状態で夢に出てきてくれることを祈るばかりです。死んだじーちゃんですら夢に出てきたのは一回きりなので、比べて犬への未練の深さよ。お前をもっと夏は涼しく、冬は暖かい部屋で、人の腕の中や膝の上で、刻んだ鶏肉や炊いた豚ひき肉、ブロッコリーの茎の筋を取って湯掻いたの、柿、いちご、みかんの甘いところ、冬から春先にかけて一部の地元スーパーにしか売ってねえ高くて甘いトマト、シルバニアファミリーの懸賞応募で当たった非売品のすべすべ手触りのブランケット(これはわたしと犬が取り合いしていた)、乾燥機から出したてのタオルや洗濯物に埋まること、春や秋の過ごしやすい気温の時期の1kmほどの散歩、新しいクッションを出したら一番に座って落ち着いていたこと、わたしが枕を買うと毎回一番に陣取ってクッションのようにして寝ていたこと、無印の人をダメにするソファにおしっこしまくってダメにしたこと、よく人を噛んだこと。お前を、愛していたんだけどよ、もっと愛してやれたらよかったのにと思うよ。