目の前の人の性別は?
電車で見かける人。
街中ですれ違う人。
会社で関わる同僚や上司。
日々、様々な人と接すると思うが、見た目だけで「この人は男性だな」とか「この人は女性だな」と判断してはいないだろうか。
性別はそのように2つにきっちり分けられるものではなく、グラデーションのようになっていると思う。
「トランスジェンダー」は自分の身体の性と性自認の違和を感じているし、「クエスチョニング」は自分の性別を決めたくない。
代表的な例を挙げたけれど、このように性別は無限にあると思っている。
なので、何も考えずに「〜くん」とか「〜ちゃん」とか呼びたくないし、呼ばれたくない。
僕の会社では「性別は多様なのだから、『〜さん』呼びに変えましょう」という呼びかけが度々なされるのだが、それでも僕の部長は頑なに「〜くん」と呼んでくる。
一応、今のところ僕は性自認が男性なので「〜くん」でも「まぁ仕方ないか」と割り切れるが、性自認が男性でなかったら「やめてほしいな」と思うだろう。
かえって別の上司は誰に対しても「〜さん」と呼ぶ、丁寧な人もいる。
そういう人になら自分の性別をオープンにしなくても「この人は誰に対しても等しく接してくれるだろうな」と思える。
言葉ひとつで「心理的安全性」は作れる。
自分の性別にも自信が持てる。
相手の性別を先入観だけで決めるのはやめたい。(自戒も込めて)
まずは自分の身の回りの人が本当に「男性/女性」なのか、それとも他の性別なのか、考えてみると良いかも。
そして、次は自分の性別について。
周りから「男性/女性」扱いされてきたから、自然と自分の性別を決めつけている場合もあるかもしれない。
僕はそんな考えに至って、最近、自分自身の性別について考え直している。
詳しくは↓のnote。
つまり何が言いたいかというと、「性別を決めるのは自分である」ということ。
そして、「勝手に人の性別を決めつけないこと」だ。
そうすると世界が広く、自由に見えてくるし、考えも広がる。
多様性の実現に一歩近付く。
今一度、「性別」について考えてみよう。
自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。