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男性としての生きづらさ

女性としての生きづらさは、よくテーマに挙げられる問題であり、課題の多いものだと思いますが、男性としての生きづらさは軽視されているのではないか?と思うことがあります。

今回のnoteでは、「男性」として生きる僕や友人が感じた生きづらさを交えて、“男性であること“について考えていきたいと思います。

男性へのセクハラは軽視されている?

女性に対するセクハラは、かなり問題になり、世の中に浸透したことで、女性に対する言動に注意が向くようになってきたと思います。(いまだに問題になる発言は絶えることなく、話題になってしまっていますが)

それに比べて「男性が受けるセクハラ」については、ほとんど問題になっていないように思います。

セクハラは男性が女性に対してするもの、という認識があるからかもしれませんが、性別に関係なく、男性も上司や同僚から性的な発言をされたら不快な気分になるという人もいるはずです。

実際に、僕の友人は性的な悩みを同僚に軽視され、不快な思いをしたようです。

僕自身も、「男性なら下ネタのような性的な話題を振っても良いだろう」
といった空気を何度か感じたことがあるので、不快でした。

性的な話題、発言で不快になるのは何も女性だけではないはずです。

男性から男性への、もしくは女性から男性へのセクハラにももっと目を向けるべきだと思います。

男性が受ける性被害

どうしても、男性=加害者のようなイメージが刷り込まれてしまっていると思います。

なので、男性が受ける性被害についても、周囲の人に悩みとして話したところでまともに取り合ってくれることは少ないでしょう。

その結果、性被害に遭っても泣き寝入りするといった男性は多いかと思います。

NHKの調査でも、レイプとも言えるような被害に遭っている男性がいることがわかります。

ですが、信じてもらえないので、誰にも話さず我慢するという状況に陥っているのです。

女性の性被害も悲劇的なことですが、男性の性被害も同様に悲劇的なものです。

僕自身は幸運にもそのような被害に遭ったことはありませんが、もしかしたら自分の知り合いの中に、性被害を話せずにいる人がいるかもしれないと考えると、ゾッとします。

まずは、男性であっても“性の被害者”になりうることを、もっと世間に認知されていくと良いなと思います。

その上で、被害者が安心して悩みを打ち明けたり、場合によっては事件として扱われるような認識に変化していくことが望ましいです。

女性の性被害とともに、男性の性被害も減らしていけると良いですね。

男らしさについて

ここまで、主に「性的な被害」などを中心に話題にしてきましたが、もっと広く「男らしさ」についても少し触れておきたいと思います。

「男らしさ」といえば、男は我慢強くあらなければならない、弱音を吐いてはならない、経済的に稼ぎ頭にならなくてはならない、様々な責任を負わなくてはならない、など色々あると思います。

これらをまとめると、男性は「責任を背負った主体的で忍耐強い人間」ということになるかと思います。

何をするにも、男性が先頭に立つことは今でも多いですし、会社や政治でも責任のある立場には男性が就くことが多いです。

また、先ほどの性被害の話でも触れましたが、男性=主体性=加害者というイメージはどうしても根強いと思います。

その逆で、女性は受け身的なイメージが強いでしょうか。

こういった性別にまつわるイメージ、ジェンダーがもっとフラットになっていくと、いちいち自分の性別に振り回されず、被害も悩みも少なくっていくと思うのですが、なかなか難しいのが現状です。

なので、微力ながら、僕はこうした発信を続けて、noteを読んでくれた人の意識を変えていきたいと思っています。

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自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。