20220206 安堵と絶望を求めて
図書館で借りた『妖精が舞い降りる夜』を読む。小川洋子さんの初期のエッセイ集なのだけれど、その中に、私の思っていることがそのまま書いてある話を見つけた。この本には、私の言いたいことのすべてが書いてある(と傲慢に思う)。
それが書かれたのは、私が二歳になる直前あたりの中国新聞だった。まだ小説というものも知らず、もちろん言葉すらあやふやであったこの頃に、のちに好きになる作家がすでにこういう言葉を残してくれていたんだということに震えて泣いた。
読書の感動は、こういうところに潜んでいるように思う。読書は孤独な趣味だし、そもそも人間はみんな孤独な存在で、読書によってそれを再確認しているようなものだけれど、「ひとりではない」という気持ちにしてくれるのも、読書だったりする。
たとえば。
江國香織の『すいかの匂い』という短編集の中で、蝉の鳴き声が「シネシネシネシネ」という風に書かれている。
私はずーっと、蝉(種類までわからない)の鳴き声がこう聞こえていたのだけれど、誰にも共感されたことがなかった。自分にははっきりとこういう風にしか聞こえないのに、誰もそう聞こえないという。
でも江國香織が書いている!!!
江國さんにはこう聞こえている!!!
大切なのは、本の中の言葉と頷きあうことだと私は思う。同じ本を読んだ者同士で共感しあうことではない。
個人的な共感であることが、読書の面白いところで、怖いところだと思う。自分はひとりじゃないと気づくことの、安堵と絶望。それを求めて、私は何冊でも、そして同じ本を何回でも読むのだと思う。