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教授と中国へ行った話④ (最終話)

ーーーー 今までのあらすじ ーーーーー

私が美大2年生の頃の話。

中国にあるらしい、謎のスポーツメーカー「リーニン」が主催するファッションコンテストに応募した。
なんとかデザイン画選考を通過し、3体分の服を制作し、中国へ向かう ✈

いよいよショー形式でのコンテストが始まる。
フィッティングの現場でみた恐るべき光景とは…。

ーーーーー


フィッティングの現場に着くと、そこには大量のおばちゃんが居た。

わかりやすい、Theおばちゃん!って感じのおばちゃんたち。

全員エプロンのような白衣を着ていた。

3人ひと組みになった、おばちゃんが私に話しかけてきた。


「◎△$♪×¥●&%#!」

「○×△☆♯♭●□▲★※!!」

「▲☆=¥!>♂×&◎♯£!!!」


3人が次々に大きな声で、怒ったように話しかけてくる。


このおばちゃん達は、
たぶんフィッティングと、服が壊れちゃったときに直す役目として呼ばれた人たちで、縫製を生業にしている方々なのかな?と思う。

こんな雰囲気の方々が白衣を着て待っていた


周りを見渡すと、他の学生たちも、3人ひと組のおばちゃん達に強い口調で話しかけられていた。

各学生1人つきに、3人のおばちゃん。
それに加えて、モデルさんも3人ずつその空間にいた。


ショーのバックヤードはカオス状態だった。


私に話かけてくる3人のおばちゃんたちは、
身振り手振りと強い口調で察するに
たぶん足袋になっている靴の履かせ方と、
安全ピンの部分をどう直せば良いのか、
を聞いてきているんだと感じた。

そんなに怒らなくても良いのに…。

もちろん私は中国語を全くしゃべれないので、
なんとか英語で伝えようと試みる。

が、全く通じないし、むこうも相変わらず中国語で怒ったように話しかけてくる。

「○×△☆♯♭●□☆=¥!>♂×&◎♯£!!!」



「…だから!ここを!こうやって!こうして!!
 こうやって着せて欲しいんだってば!!!」



ついに、私も怒った。日本語で。
おばちゃんに負けないぐらい強く言った。


そうしたら、なんか通じた。
日本語+身振り手振りの方が全然通じるのね。

出川イングリッシュも侮れないわ。


無事にフィッティングできそうだったので、ステージの観客席側へ移動した。


自分の作った服がプロのモデルさんに着せられ、ショー形式で発表されるという貴重な経験を得る。

ちょっと感動…!

実際に作って発表した服

装苑賞みたいだな…。

じーん、と感動していたら、
通訳の方が慌ててこちらに何かを伝えに来た。


「審査員の先生達が、ショーだけじゃ全然わからないって言ってるヨ。
学生みんな、それぞれプレゼンテーションしてください、だそうですヨ。」


学生たち、突然のことにうろたえる。

あわわわわわ。


審査員のいる部屋へ移動した。

学生達は一列に並んで、順番に審査員の前でプレゼンテーションすることになった。


私は前から10番目ぐらいだった。

前の学生の様子を伺いながら、どうプレゼンするか必死で考える。


チラッと審査員席に、うちの教授2名の姿を見つける。

なるほど。リーニンは世界から集めた学生の参加者のついでに、教授も招待して審査員もゲットしていたのか。

(うちの親が心配→ムサビの助手が交渉→リーニン「ついでに教授も呼んで審査員にしちゃおうっと!」って言う流れだったらすごい)


知ってる教授2名がいるっていう、安心感と励まされ感で奮起した。


審査員席には、欧米の方々が座っているのも見えたので、身振り手振りと、なけなしの英語でなんとかプレゼンする。


剣道モチーフの服を自ら身につけて、

この真ん中の人が着てた服を身につけて


竹刀で!こうやってATTACK!するんだ!!よ!

ということをジェスチャー付きでプレゼンしたら、審査員にウケたのをよく覚えている。


最後に結果発表がステージ上で行われた。

受賞式は、中国語と英語だったから何を言ってるか全然わからなかった。

途中で、一歩前へ出て?とステージ脇にいた人に言われた。

どうやら私は何かの賞を受賞したようだった。

グランプリではなく、3番目ぐらいの賞だったと思う。


砲丸投げの玉ぐらいの大きさの、ミラーボールみたいにツヤツヤした、プラスチックのトロフィーを持って帰ることになった。

ありがとう、リーニン。ありがとう中国!



日本に帰ってから、忘れたころに口座に賞金23万円が振り込まれていた。


イチから全て読んだ人は、お分かりいただけるだろうが、

今振り返ってみても、すごいリッチなコンテストだったと思う。


  • 学生と教授の遠征費

  • プロのモデル

  • 会場費

  • 審査員へのギャランティ

  • 賞金


思いつくだけでも、これだけの費用がかかっている上に、
実はコンテストのあと、1日観光バスで観光もさせてもらっていた。(万里の長城も行った)

中国バブルってすごい。


観光バスから、建設中の北京国家体育場
(通称、鳥の巣)をみた記憶



今何でこの話をわざわざ書きたくなったんだろう。

たぶん、ずっと書きたかったんだけど、その後教授たちと課題を通じて色々あったし、なんか好き勝手書いたら怒られそうで気になってかけなかったんだな。

卒業してから14年も経ったし、そろそろ時効かなって。

もし、ブラッシュアップライフできるなら、
またリーニンのコンテスト応募して、また中国行きたい。

そして、その後待ち受ける課題と就活をなんとか改めてやり直したいな。


面白いドラマでした

成功体験も、失敗も。
たくさんある大学時代でした。

当時は、ずっとぐちゃぐちゃな気持ちで、
これが青春だとは全く思ってなかったけど、
振り返ってみるとこれは紛れもなく青春だね。

また、大学時代の面白いエピソードを思い出したら書こうと思います。

最後まで読んでくれてありがとう!!

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