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#心に残るあのエピソードをあなたへ「神について〜ケニアでシスターに問われたこと」


チェーンナーさんのバトン企画 #心に残るあのエピソードをあなたへ です。

バトン企画とはなんぞや!?と、薄々その存在を感じてきたものの、今まで全く無関係な場所におりました。
そんな私にバトンを手渡してくださったのは、美しい写真や動画/心の籠った文章で言葉を紡がれているカナダ在住のながつきかずさん🍀

この機会にずっと書きたくて、なかなか書けないでいたあるエピソードを書いてみようと決心がつきました。
5000字超えの長編ですが、最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。

🦋

神について
〜ケニアでシスターに問われたこと


6年ぶりにアフリカの地を踏んだ。

国連に務める大阪娘Aちゃんとは、2005年に私が看護師としてリベリアに派遣(国境なき医師団)された時に知り合った。
初対面から、いきなりタメ口で「ウチねぇー」と人懐っこく話すAちゃんとはすぐに仲良くなった。

この2014年秋に再会した時は、彼女も結婚してケニアの国連で働いていた。
(ナイロビにはアフリカ大陸における国連本拠地がある)

私は2008年からドイツに暮らしながら、三児の母になった。異国のかなり限定された世界、それもドイツという、私にとって予想外の社会で母親業をするのは辛かった。

2014年秋は、5年に渡るウツが治って1年が経った頃で、今まで見えなかった景色が再び見えるようになっていた。
それで、どうしてもアフリカでしたい事が2つ見つかった。

未だ見たことがない国立公園で野生動物に会うこと、そして「ミッショナリーズ•オブ•チャリティー(Missionaries of Charity)」で、短期間でもボランティアをすること。

マザーテレサが設立したミッショナリーズ•オブ•チャリティーは、世界中で活動しており、2006年にリベリアで、この修道会が運営する施設で少しだけボランティアをした事があった。

ナイロビのミッショナリーズが運営する施設は、かなり規模が大きく4つのセクションに分かれていた。

孤児の子供達のいるセクション
知的障害を持つ成人女性を保護しているセクション
女性用シェルター

そして、重度心身障害児を受け入れてお世話をするセクションで、当時3,40人くらいの子供たちが生活していた。
その子達は全員孤児でもあり、「障害があることで親に捨てられてた」ことを現地で教えてもらった。

これが自分が親になって、全く異なる世界で生きる子供たちを初めて目にした瞬間だった。
もちろん、これまでにも多くの子供たちをアフリカの国々で見てきた。
看護師として病気の子供も死にゆく子供も、実際に小さな亡骸に接したこともあった。
でもそれらはみな、自分が子供を産む前のことだった。

親というのは本来、子にとって唯一全面的に受け入れてくれる者なのだ。
“その絶対的な存在がいない”という意味を、自分が親になって初めて考えた。

あの子たちは親もなく、そして生涯を重い障害と共に過ごさなければならない。
なんという過酷な運命か...

幾重にも彼等が背負っているもの、喪ったものを考えて涙が溢れそうになったが、初めて来た部外者が彼らを見て泣く資格などないはずだった。

ボランティア1日目に受けた衝撃は予想外に大きく、Aちゃんの家に帰って、しばらく茫然と座り込んでしまった。
そして、自分がそんなにもショックを受けたことに驚いていた。

マリアとカルロと

マリアというアイルランドから来た21歳の女性と32歳のエジプト人のカルロと知り合った。

マリアは1ヶ月前から、カルロも少し前からボランティアに来ており、彼は毎年ここに定期的に通っているのだという。
ミッショナリーの敷地にある施設で寝泊まりしていた。2人ともとても信仰心の厚い熱心なクリスチャンだった。

マリアは明るく笑顔がチャーミングで、子供達がエンドレスで「まりあー!まりあー!」
と呼んでいた。

「夜寝る前に耳の奥から“まりあー”っていう声が聴こえるのよ」

と、笑って教えてくれた。

ボランティアの1日は、ベッドに寝たきりで動けない子供たちの毎朝の沐浴をみんなで手分けして行う事から始まる。
ママンと呼ばれるケニア人のケアテーカーが手際よく、大きなシンクに運び体を洗い、濡れた状態でベッドまで運ぶ。

私たちはベッドにタオルを広げて待ち、洗い上げられた子供の体を拭いて、パウダーをはたきオムツを付け、洗濯された清潔な服に着替えさせる。
手足が固く曲がっている子供が多く、服を着せるだけでも時間がかかり汗だくになった。

そうこうしているうちにお昼近くなるので、子供たちを椅子に座らせ、食事の準備をする。
ここの椅子はプラスチック製の簡易椅子なので、ずり落ちてしまわないように紐で体を椅子に括り付けなければならない。

自分で食事ができる子供は少なく、多くの子は全介助だ。食後は床がかなり汚れるので、数人のママンたちが床に水をかけ洗い流していく。

食器洗いや洗濯(ドラム缶での煮沸消毒も含む)は、ほぼ手仕事なので、やる仕事はいくらでもあった。

ある日、ママンがため息をつきながらお皿を洗っていた。聞けば朝ごはんもちゃんと食べずに昼まで働いているというので、私が仕事を代わったのだがとても喜ばれた。

週一回、日曜日にボランティアに来る裕福なケニア人は、食事の介助くらいしかしない、洗い物や掃除のような汚れ仕事はしないのだそうだ。
こういう施設に来てボランティアをするクリスチャンの人は数的には多いそうだが、たいていは昼に来て、食事の介助をしてそれで終わり。
そういう関わり方なのだと教えてくれた。

ママン達と昼食
トーストにピーナッツバターを塗っただけのものをひたすら何枚も食べる


このセクションの責任者はスロバキア出身のシスターで、彼女は看護師でもあった。
病気の子供に点滴治療を行ったり、ここにいる子供たちの医療面の責任も担っていた。私が看護師だというと手伝って欲しいと、一緒に仕事をする機会が何回かあった。
彼女はケニアは3年目で、その前はスーダンに9年いたと教えてくれた。
移動は自分の希望ではなくミッショナリーが決めるそうだ。

ある時、私は無宗教だと話したらとても驚かれた。ここに来るボランティアのほとんどがクリスチャンか、何らかの信仰を持っている人ばかりだから「無宗教」というのはとても珍しい存在だったようだ。

別の仕事をしている時に改めて質問を受けた。
そして、この質問こそが何年も反芻し自分のテーマになろうとは、この時は思ってもみなかった。

貴方は、無宗教だと言ったけど・・・
ひとつ聞かせてくれる?

それでは貴方は、本当に人生で大変な時にどうやって自分を保つことができるでしょうか?

こんな質問を人生で受けたことがなかった。
そしてその質問は、シスターにとってとても知りたいことの様に感じた。シスターは真剣に尋ねていて、私の答えを待っていることが分かった。

とっさにどう答えて良いのか、質問の意味さえも本当には受け取れていない様なもどかしさがあった。

「特定の神はいないけれど、大いなる存在というかそういうのはある気がする・・・」

あぁよかった。
では貴方も何か信じるものがあるのですね。

「私はとても大きくって大切な質問を受けている」という自覚はあった。

シスターの質問に全く答えられないこと、そういう事を今まで生きてきて、考えたことがないと気がついた。


この時のシスターの眼差しが忘れられなかった。

スロバキア出身のシスター



初日に子供たちの姿を見て泣きそうになったが、短い期間でも一緒に過ごしてみて、少しずつ彼らを見る目が変わりつつあるのを自覚していた。

自分で歩くことも、話すことも、排泄することもできず、全てをママンやシスターに委ねている子供達。
彼らに触れると温かく、時には発熱し苦しそうにしている。
笑顔を見せてくれる子もいたり、何も反応がなくても、こちらが話かけることを大きな黒い瞳でジッと聴いているように見えた。

彼等のお世話をしながら、生きることとは何だろう?という問いが浮かんでは消えた。
親にも見捨てられて、動かない体はベッドか椅子に囚われている。
ママンやシスターが清潔を保ち、話しかけながら食べ物を口に運ぶ。彼等はとても大切にされていた。

私があの “問い” をもらい気が付いたのは、

「自分は神を拠り所にしなければならないような苦しいことを、人生で体験していない」

ということだった。

あの話の最後にシスターは、

「ここのママンの人生も様々なのよ。彼女らと話しをしたら、ひとりひとりが大変なドラマを背負い生きていることが解るわよ」

と、教えてくれた。
あるママンは片足が“内反足”といわれる足首が内に曲がった状態で、足を引きずりながら歩いていた。

いつも陽気な大声で笑う別のママンは、私の最後の日に、

「私の家にもここにいるみたいな状態の娘がいるのよ...その子のために私は働かなくっちゃいけないの。家に娘を置いてね」

と、そっと教えてくれた。

ケニアの日々から数年後、家庭が修羅場になって夫との別離を経験した。

“私は人生で結局、神が必要になるような苦しい時を経験したことが無いのだ、だから私は神がなくても生きていけるんだ”

でも今、間違いなく人生で最も過酷な体験をしている。それでは、私は神を必要としているのだろうか・・・?


自分を、自分の運命を丸ごと受け入れてくれる神という存在。
仕事の合間のミサで熱心に祈るママンの姿を見たときに、全霊で祈ること、そういう対象が人生にある意味を漠然と感じていた。
やりきれないこと、決してフェアになり得ない過酷な現実を生きている者にとって、大いなる存在がどうしても必要なことは理解できた。

日本で2年間を共に暮らしたマーサもクリスチャンだった。

それでは、自分は?

今まで生きてきて一番辛く苦しいこの時に、私には神が必要なのだろうか?



ケニアで問われてから8年。
その後、苦しい時期が始まって6年が経った。
シスターからの問いは、どんな時も頭の片隅にあった。

その間、死にたいと思ったこともあるし、正直に書くことが許されるなら、夫だったひとを殺してやろう...と思ったこともあった。

その日々は、おそらく間違いなく私にとって最も苦しいものだった。
般若心境を写経したり、仏教関連の本や哲学書を読んだりもした。

そのなかで繰り返し、あの子供たちのことを思い出していた。
あそこで日々の糧を得るために働いているママン達、シスターになるべく修行中の若い修道女。
そしてシスター。
彼女からの問いかけは、いつも私と共にあった。

貴方は本当に辛いとき、何を拠り所に、どうやって自分を保つのですか?

今でも私は、何か明確な神を信じてはいない。

神と呼ばれるものが本当に在るのか、それも解らない

死後どのようになるかも解らない
自分はまだ死んだことがないから

死んだらその時、解ると思っている

きっと人は生まれる前の場所に還るのだと思うし、そこは決して悪い場所ではない、ということも本能的に分かる

神かどうかは分からないけど、何か大いなるものを感じることもあるし、自分は宇宙の一部だとも思う

生きている者が解ることは、たぶん僅かで、そしてそれ以上を知る必要もない気がする


現実の世界に知りたいことがたくさんあるから。


私がケニアで出会った子たちは、その存在は、私に多くを教えてくれ、今でも与え続けてくれている気がしている。

苦境にあったとき、彼らの存在を知ることで自分がどれほど救われたか、それを言葉にする術を私は持っておらず、はっきりと意識化することも難しい。


「大愚は大賢に勝る」

この仏教の言葉を知り、あぁこれはあの子達のことだ...と解った。

それは自分がどん底まで行って初めて見えたものの一つなのだと思う。

今の私の夢はまたあのミッショナリーを訪ねたい、というものだ。
きっともうあのシスターはあそこには居ないだろう。
世界の何処か必要とされる場所で彼女は生きているのだろう。

陽気に笑っていたママン達は、子供達はどうしているだろうか。

8年という時を潜り抜けた今、彼等にまた逢いたいと私は強く願っている。

🦋

ママン達と
最後の日にやっとお会いできた日本人のシスター
臨月でルワンダから親戚に連れられ捨てられた女性
その後すぐに出産し、ここに助けられた
最後のお別れの日に初めて明るい笑顔を見せてくれた
人生で大きな問いを与えてくれた
スロバキアのシスター
ケニアのシスターと共に

オマケ

ケニア滞在時に、さだまさしさんがナイロビの日本人学校でミニコンサートを開催されることになった。
1988年に作詞作曲された「風に立つライオン」の映画化で撮影班を労うためにケニアに来られていた。何と、さださんにとっての初アフリカ!

“さだまさし”の大ファンだったので、4時間かけてファンレターを書いて渡す事ができた。
凄い熱量で深夜までファンレターを書く私と、コンサートに集まる人だかりを見て、

「ウチ、“さだまさし”を見くびってたわぁー!凄い人やってんなぁー😳」とは、大阪娘のAちゃんの感想。

Aちゃんの友人(ナイロビの赤十字勤務)は、映画班の集まりに同席した際“大沢たかお”の笑顔にノックアウトされメロメロになっていた。

300人以上の邦人が集まり、
ミニコンサートの予定が11曲も歌われ大盛り上がりに
「風に立つライオン」のモデルになられた
柴田医師もコンサートに来られた
さださんのお父様と柴田医師が友人だった







バトンをお渡ししたいのは、

🦋やなぎだ けいこ さん

子供達の目線での自然体でワクワクし、また目から鱗的な気付きをくださる記事を書かれています。




🦋おぬき のりこ さん

ジャズシンガーと文筆家の二足の草鞋を履いて、世界を駆け巡る記事を書かれ、ドキドキハラハラさせてくださる異色のnoterさん。

突然でびっくりかと思いますが、私もそうでした!
お二人のエピソードをお待ちしております☺️



チェーンナーさん、ワクワクする企画をありがとうございました✨
お陰様で、ずっと書きたかったことを記事に纏める事が出来ました🍀

ながつきかずさん、バトンを有難うございました!


★企画について~バトンのつなぎ方~★


※期間は 9月30日(金)まで です

1.記事を書いてほしいとnoterさんから指名=バトンが届きます。

2.バトンが回ってきたら「心に残るあのエピソードをあなたへ」の記事を書いてください。

3.noteを書いたら、次にバトンを渡すnoterさんを指名してください。指名したことがわかるように、指名するnoterさんの一番最新のnoteをシェアしてください。

※指名するnoterさんは、最大2名まで。
あまり多いとご負担になりますので、1名か2名でご指名ください。

4.チェンナーさんの下記の記事を埋め込んでください。マガジンに追加してくださいます。

バトンリレーに参加しないときは・・・

1.バトンをもらったけど、noteを書きたくない、という方は、バトンをチェーンナーさんにお返しください。

方法①「チェーンナーさんに返します」というnoteを書いて、上記の記事を埋め込んでください。チェーンナーさんが「心に残るあのエピソードをあなたへ」を書いてくださいます。

方法②上記のチェーンナーさんの記事のコメントで「バトンを返します」とお書きください。


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