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“過去はかえていける”と願いながら...

自分の心の奥にけっこうな塊の怒りがあることを、私はずっと見ないようにしてきた。
不毛な怒りは自分を斬りつけてくるから、なるべくそっとしておきたいというのがあった。

怒りの種は色々あるが、たぶんコレだなぁと思うものを日の目に晒そうと思う。

私の心の奥に長らく棲みつき消えていかない想いのこと。

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元夫の不倫相手は、勤め先の同僚で東欧の国から20年くらい前に彼女の夫と共にドイツに移住してきた。
彼女には3人の子どもがいて、歳の離れた末っ子の男の子は我が家の長女の2歳上だった。

もう10年以上前だが彼女が我が家に遊びに来たことがあったし、数回ベビーシッターを買って出てくれたこともあった。
一度だけだけど、向こうの家にランチに家族で招待されたこともある。
その時に彼女のご主人とも食卓を囲んだ。
彼と彼女が最初の不倫関係を結ぶ、約2年前くらいの話。

その頃から、子供たちのお下がりをたくさん貰うようになった。男の子が2人いる彼女は、驚くほど沢山の子供服を持っていた。
高齢で産んだ末っ子のために、ついつい新しく買ってしまうだろう。

それらの衣類は、どれも綺麗な状態で必ず全ての服にアイロンがかかり、きちんと畳まれた状態で段ボールに入っていた。
大量の服をそういう状態で受け取って、びっくりしたのを覚えている。
夫が勤務先の病院でそれらを受け取った際に、
「お礼などは一切要らない」と念を押されたそうだ。
だから里帰りした時には、お返しとして何か日本らしいお土産を探して贈るようにしていた。

ほとんど息子達の服を買う必要がなくなるほど、その受け渡し(彼女→夫→私)は数年続いていく。

6年近く前の2016年の9月に、私が彼等の2年に渡る関係を知った時も直前に何かしら貰っていた。

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全く予想外の事実を知って、相手が彼女だと判って耐えがたかったのが、このお下がりの存在だった。

不倫関係になる以前の服だけならまだしも、その関係が始まって2年というならその間に一体何度あの荷物を受け取っていたというのだろうか....?

私が覚えている限り、それは4、5回はあった。

何度も書くが一回分というのがすごい数で、ズボンなら10本以上、シャツや上着は20着はいく量でそれが一回分、段ボール一箱なのだ。
2年後くらいに使うだろう大きいサイズの服まで、地下室に2箱置いてあった。

不倫関係の期間、彼女とは一度も会ってなかった。全て夫が受け取って私に渡していた。

不倫期間中も?
彼女も夫もどうかしている....半狂乱の様になって家中にある服を全部掻き集めた。


それは、段ボール6箱にもなった。
使い古した服は捨てた。まだキレイな状態のものは町の数カ所にある赤十字の集積箱に入れに行った。
まだ使ってない服やその他諸々でまだ4箱もあった...

返却するしかないと思った。

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処分にあたり一番胸が痛かったものが、次男を産んだ際に誕生祝いに貰った“お包みおくるみ”だ。

それはくすんだ美しい薄青の毛糸で、ところどころにアクセントとして白いビーズが編み込まれていた。
縁が薄茶色で縁取られていた美しい大判のお包みは彼女の手作りだった。
元夫の言う時系列が正直なものだとしたら、その頃はまだ同僚としての関係しかなかった頃である。

私にとって彼女は、知り合い以上友人未満だったので、病室でその贈り物を夫を通して受け取った時に微かな違和感があった。
こんな手の込んだ品を贈る相手というのは、家族かそれか親友レベルの相手ではないか...という感覚だった。
どうして私にこれほどの物を贈ってくれるのか....という違和感の正体を知ったのはずっと後になってからだ。

そのお包みは次男が赤ん坊のころとても活躍して、大事にしていたものだった。

手にとって何度も何度も考えた。

捨てるべきなのか
置いておくべきなのか
彼女に返すものなのか

使い古した服の中にも、思い出深い物が幾つかあった。こんなことにならなければ、たぶんソッと手元に残した服を私は捨てていた。
このお包みも外のゴミ箱に入れるのか..と想像しただけで胸が張り裂けそうになった。

しばらく地下室に保存していた。
それでもそこにあるとずっと考えてしまう。
返すのは絶対に嫌だった。
そのお包みは、次男の赤ちゃんの頃の匂いや想い出が染み付いているから。

しばらくして袋に二重に入れてテープで封をして外のゴミ箱に入れた。

心の中で何度も謝った。

ごめんね、置いておけなくて...
あなたのことは忘れないし、ずっと覚えてるからね

本当にごめんね
ごめんなさい
あなたを捨ててしまうことを許してね

どうしてもどうしても置いておけないんだ。。

ゴミ収集車が来るまで1週間以上はあった。
外に出ても視線はそのゴミ箱に行く。
今ならまだ間に合う、本当にそれでいいの?


それでも取り出すことは出来なかった。断じてできないと自分に言い聞かせた。


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不倫が発覚した数日後の土曜日の午後。
上の二人を補習校へ送り、まだ3歳の末っ子と一緒に彼女の家へ向かった。
4つの段ボールはトランクに入れている。一刻も早く家から出したくて、返却しに行きたかった。
幸か不幸か、彼女の家は補習校からそう遠くない所にあった。

本当に彼女に返却できるのか?
その日在宅しているのかも不明だったし、面と向かう勇気が自分にあるのだろうか?

携帯を持つ手が震えていた。
でも隣には幼児がいるし、いつまでもグズグズしている時間はなかった。

玄関先に置き去りにしようか....

その時点で、夫は彼女に別れを告げていて2人の関係は終わっていたし、向こうの旦那さんはこの事実を知らなかった。

もし彼女ではなくこの段ボールを彼女の旦那さんが見たら...
大量の段ボール箱を見て、暗に知らしめるようなやり方は違うのではないか...

それに私はやっぱり彼女に聞いてみたかった。

その後の詳しいやりとりは割愛するが彼女は在宅しており近くの公園で1時間以上話をした。
無邪気に遊んでいる次男を見ながら、なぜ関係ができてからも服を渡すようなことをしたの?と聞いた。

ただのマテリアルだわ...

これが私のなぜ?の答えだった。

同じ答えを夫からも聞いた。
ただの物質...
愕然とした。

「返しに来ると思っていた...」とも言われた。

話し合いの終わり、補習校の迎えの時間が迫っていた。
彼女は何度も運転できる?と心配気に聞いてきた。

「不倫のこと、旦那さんに言わないから...」と言って別れようとした時に、彼女から抱きしめさせてほしいと言われた。

意味も真意も解らなくて、彼女と話している間中混乱していた頭は飽和状態だった。
それでもこの場面でそれはあり得ないでしょう...

断ってももう一度ハグしたいと言われた。
Neinノーというのが苦痛だった。

ずっとなぜ彼女があんなことを言ったのか疑問が残った。


服のことも理解できなかった。

同じ女として、自分の子供が着る服をただの物質だと思えるはずがなかった。
母親なら、子供の服は自分が買ったものか、誰に貰ったものかほとんど反射的に思い出す事ができる。

私は2年もの間、何も知らずあの服を息子らに着せて、服ごと彼らを抱きしめ、洗濯し畳んでいた。


その事実が耐えられなかった。


たとえ家から一切それらが無くなっても、写真や動画に残っている。
ずっとあれ以降、その頃の子供達の写真も動画も見ることができない。
彼らが一番可愛い頃のもの。

小学校の入り口の壁には、開校五十周年記念の航空写真が飾られている。そこに写る長男が着ている服もおそらく彼女からの服だ。
なんの心の準備もしていない時に、そういう事実が目に入る。


結局、2人の関係は数年後に再燃し、私達夫婦の関係は壊れた。


ただの恋愛相手だったらどんなに良かったか...
幾度もそう思った。

ただ彼女が彼を好きになったなら、私はもっと早く割り切れただろう...

結婚していても、ひとの心はどうしようもないものだから、他に好きな人ができることもあるだろう。
古今東西、そういう恋愛から生まれた芸術は数多い。
結婚したら絶対に他に心を移すことは許せないとは言えないし、誘惑に弱いのも人間だろう....

私が彼女に対して抱く気持ちは、そういう事柄があって、私は彼女が嫌いだ。
それは人間としての拒否感、だと思う。

なかなか根深く、この気持ちを消化できない。
消化不良はシンドイので、消化してトイレに流してしまいたいと思って数年経つが、昨年の義母のお葬式の件もあり「できない」というのが今の私の正直な気持ちだ。

この「写真を見たくない」というのを何とかしたい。
“自分の中の成仏させる事ができない”そういう想いを、どうにかしたくてここに記そうと思った。

ここに書いてあるから、もう自分の中で反芻するのはヤメにしよう。

もっと時間が経って、
いつか「あぁそういえばそうだったわね」と呑気そうに話せる日が、いつか来るだろう....きっと。



それを自分に願っている。

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非常に読みにくい、醜いものを含む文を最後まで読んでくださって有難うございます。

前を向くために、過去も自分の中で変えていける...と思い記してみました。
気持ちの区切りは、もう自分の内面の問題ですので自分自身が区切りをつけよう!
と思い切らない限り難しいのだと、この顛末から6年近く経過した今、実感しています。

涙も悔しさも、全部この記事にあると思ってそっと置いて行きたいと思います。


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